第24話 水見さんは話さない ③
あの日の夜、小寺くんに会っていなかったらと思うと、いろんな意味で怖いと思ってしまう。
そして、運命というものを信じたくなる気持ちを理解した。
何かを変えたくて、二十歳になったのを機に家族に相談しお願いをして、一人暮らしを始めることになった。部屋を決め、引っ越しをしたのが七月の半ばの連休だった。
引っ越しをした翌日、お姉ちゃんに
夕方くらいにお姉ちゃんと待ち合わせ、連れられるがまま服や小物など色々な店を見て回った。その後、お姉ちゃんが調べていたお店でおいしいご飯とお酒を楽しんだ。
その食事中、ヨシさんからお姉ちゃんに連絡が来た。
「仕事終わったから、今からでも会えないか――だって」
お姉ちゃんは少し不機嫌そうな表情をする。
「お姉ちゃん、喧嘩でもしたの?」
「してないよ。今日、本当はデートしようって言ってたのに急に仕事が入ったみたいでね。それだけよ」
「それで私と憂さ晴らし?」
「そうよ。かわいい妹とデートして楽しく気晴らししたのよ」
お姉ちゃんは、にっとわざとらしく笑って見せる。
「気晴らしはできた?」
「そりゃあ、もちろん。ありがとう、アキちゃん」
お姉ちゃんは何もなかったのように食事に戻るが、意識はスマホの方にいってるようだった。
「気になるなら、ヨシさんのところに行ったら?」
「いいの? アキちゃんも来る?」
首を横に振る。恋人同士の時間を邪魔するほど空気が読めないわけではない。お姉ちゃんは「本当にいいの?」ともう一度確認するので、「大丈夫」と返事をする。食事を途中で切り上げ、店を出て、急いでタクシーに乗り込むお姉ちゃんを見送った。お姉ちゃんは、ごめんねと謝っていたが、会いに行くと決めてからは表情は明るくなり、自分の姉ながらとても綺麗に見えた。
恋をすると人は輝いて見えるのかもしれない。
ふと、お姉ちゃんと昔一緒に見た恋愛映画を見たくなった。その映画のテレビドラマ版の主題歌が好きで、今でも鼻歌でときどき口ずさんだりする。
スマホで近くのレンタルショップを検索して、その映画を借りた。そのままネットカフェに行き、一人で映画鑑賞。充実した時間を過ごし、テレビドラマ版の主題歌を聴いて、さらに満たされた気分になる。ふとスマホを見ると日付が変わっていて、もったいないけどタクシーで帰ろうかなと慌てて店を出て、繁華街の中を歩いた。タクシーを拾うため大通りに向かっていると、突然同年代くらいの三人組の男に進路をふさがれた。
「お姉さん、こんな時間に一人? よかったら俺らと遊ばね?」
そう一人が声を掛けてきた。呼気がアルコール臭い。
「ごめんなさい」
そう断って、声を掛けた男の脇をすり抜け、足早に去ろうとすると、別の一人が進路をふさいできた。怖くなり反転して逃げようとすると、後ろにもう一人が回り込んでいて囲まれてしまう。
「そんな逃げなくてもいいじゃん。遊ぼうって言ってるだけじゃん」
最初に声を掛けてきた男がそう言いながら肩に手を置いてくる。反射的に手を払うと、顔つきが変わり、腕を強く掴まれる。
「い、痛い……」
腕を払おうにもそれ以上の力で強く掴まれているので、動かすこともできない。そのとき、男の中の一人が、
「あれ、なんか見覚えあると思ったら、うちの大学の水見じゃね?」
と、口にする。名前を言われてビクッとなる。そして、正面からまじまじと顔を見られる。
「ああ、やっぱりそうだ」
「えっ、何? お前知り合いなの?」
「いやね、前に学内で一人寂しそうにしてたから声かけたんだけど、無視されて、あげく睨まれてね」
「まじで?」
「まじまじ。ちょっと美人だからって、調子乗ってるんじゃね? なあ?」
そう言いながら顔を覗き込んでくる。怖くて助けを呼ぶことも逃げ出すこともできなかった。
「ちっ、また無視かよ。むかつくなあ」
「こいつ連れて帰るか? 無視した分は体で返してもらったらどうだ?」
「いいっすね」
そう目の前でゲラゲラと笑いながら
その時だった。
「あっ、警察ですか? 今、目の前で女性が襲われてます。場所ですか? えっと――」
そんな声が響いてきた。声の方を見るとなんとそこには小寺くんがいた。その小寺くんの声を聞いて、
「ちっ!! あいつまじかよ?」
「警察とか面倒だし、行こうぜ」
と、血相を変えて走ってどこかに消えていった。助かったと安心すると足に力が入らなくて、道路にへたり込んでしまう。小寺くんはスマホを耳に当てたまま、フラフラとゆっくり近づいてくる。
すぐ脇で足を止め、スマホを耳から離し、
「なんて、嘘でーす」
と、小声で口にする。
「嘘?」
「うん。ほら」
小寺くんは私の前にしゃがみスマホをスピーカーモードに切り替える。スマホから聞こえてきたのは、
『――でしょう。明日は北西の風。晴れでしょう。波の高さは――』
なんと天気予報だった。理解が追い付かず、呆けていると小寺くんは通話を終了させる。
「明日は晴れだってさ」
小寺くんは立ち上がり、スマホをポケットにしまう。そして、「立てる?」と手を差し出してくれる。しかし、さっき男の人に乱暴に腕を掴まれたばかりでその恐怖を思い出し、差し出され手は掴めなかった。自分の力でゆっくりと立ち上がる。
「大丈夫っぽいなら、俺は帰るわ」
小寺くんはそういうとフラフラと千鳥足で歩き始める。
「あっ、お礼……」
助けてもらったのに、ありがとうとお礼を言えてないことを思いだした。小寺くんの後を追いかけると、相変わらずフラフラしていて、バランスを崩して近くの降りたシャッターに手をついてガタンッと大きな音を立てたり、電柱にぶつかり「すいません」と反射で謝ったりと不安になる足取りをしていた。相当酔っぱらっているのが目に見えて分かる。そんな状況で助けてくれたということがなんだか嬉しかった。そして、ただお礼を言って立ち去ろうにも放っておけない危うさがあった。
「小寺くん、大丈夫?」
「大丈夫だって、まだ飲めるから」
話が噛み合わない。
「タクシー乗る?」
「歩くから平気、平気」
「家はどこ?」
「家? えっと、どこだっけ?」
今度は話は噛み合ったがこの酔っ払いは肝心なところでポンコツだった。はあっ、と隣を歩きながらため息をつく。仕方ないから家まで付いていって送り届けようと思った。そのぶん帰るのが遅くなってしまうが、ここで小寺くんを放置するという選択肢はなかった。小寺くんは他の人と違い私を見捨てなかったのだから。
しばらく歩くと、繁華街を抜ける。隣を歩く小寺くんの足は最初に比べて随分しっかりしたものになったが、まだ時々ふらっとしている。こういうとき肩を貸した方がいいのかなと思うも、それは最後の手段だ。以前、酔っぱらったお姉ちゃんに肩を貸してお姉ちゃんの部屋に連れて帰ったとき、へとへとになって大変だった。
風が吹き抜け、なびく髪を押さえる。小寺くんはふらっとした後、足を止める。そして、ちらりとこちらに目をやって、
「あれ? 水見さんじゃん。こんなところで何してるの?」
と、前後にふらふらと小さく揺れながら口にする。もしかして私だと気付かず助けたのだろうか。そもそも今になるまで私の存在を気付いていなかったのかと驚く。酔っ払いって怖い。
「小寺くんに助けてもらったからお礼を言いたくてさ」
「お礼? ああ、さっきの……なんだっけ。ああ、そうそう。そうだった。あれ、水見さんだったんだ」
「うん。ありがとう」
「どういたしまして」
そう深々と頭を下げる。そして、バッと顔をあげるとフラフラと歩き出す。酔っ払いのやることは意味が分からない。
心配でついてきたのは間違いだったかなと思いつつ、小寺くんを追いかける。
またしばらくすると、歩きながら、
「水見さんってさ、すごい綺麗で一人でも大丈夫な強い人だと思ってたけど、案外普通の女の子だったんだね」
と、口にする。突然何を言い出すのかと思い、言葉を返せずにいると、
「別にがんばりすぎなくてもいいんじゃね? もっと周りを頼ったり、気楽に好きなことして生きたらいいんじゃない?」
そう続けて言われる。小寺くんは今、酔っぱらっているので適当に言っているだけかもしれない。だけれど、その言葉はなぜだか胸の奥に届いた。図星だったのだ。
「なんで……なんでそんなこと言うの?」
「なんでって……たぶん水見さんのことが好きだからじゃない?」
小寺くんの言葉はまたしても心に響いてしまう。今まで何度も告白されたりしてきたが、こんな適当っぽく言われた言葉が一番響いてきて、そのことに私自身が一番驚いていた。
「私のこと本当に好きなの?」
「うん。好きだよ。綺麗でかわいいし」
ふいに容姿を褒められる。小寺くんは酔っているので、酔いに任せて適当なことを言っているのか、本心が漏れているのか分からない。でも、本心だったら嬉しいと思ってしまった。そして、言葉がちゃんと私に届く小寺くんに、本心が漏れている方に
「ねえ、小寺くんは……小寺くんは私の目、怖くないの?」
コンプレックスに感じている大きなつり目を小寺くんがどう思うのか知りたかった。
「目?」
「うん」
小寺くんは立ち止まり、街灯の下で近づいて顔を寄せてくる。そして、何の迷いもなく真っ直ぐに私の目を覗き込んでくる。それは、あまりにも唐突で、無遠慮で。
「うん。大きくて綺麗な目じゃん」
そうはっきりと口にする。その言葉にすっと涙が頬を伝う。
初めて自分の目を――嫌いだった自分を肯定された気がして、嬉しさから涙が止められなかった。
「ありがとう、小寺くん」
自分でも分かるくらい自然に口角が上がり、頬の筋肉が緩んでいくのを感じる。こんな風に心の底から嬉しくて笑える日が来るなんて思わなかった。
小寺くんは私の顔を見つめ、少し困ったように首の後ろをさする。そして、ゆっくりと手を伸ばし、私の頬を流れる涙をあたたかい指で
「もし泣きたいくらい辛いことがあるんなら、酒飲んで全部忘れようぜ。一人で飲むのが嫌なら付き合うから」
小寺くんは私の頬に手を当てたまま、そう呟いた。
もし酔っぱらって適当に言っていたとしても私は今日のことを忘れないだろう。
そして、ついさっきまでの自分と今の自分では何かが決定的に違っていた。軽くなった心で、自分で重くしていたものを忘れるため、
「うん。飲みたい」
と、声を弾ませる。小寺くんと向かい合い、笑顔で見つめ合う。
このとき、私は人生で初めての恋に落ちてしまった――。
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