第23話 水見さんは話さない ②

 私――つまりは、水見秋穂という人間は幼いころから周囲から浮いていた。

 学校から帰っても、同年代の遊ぶ相手はおらず、真面目に勉強をして家の手伝いを好んでしていた。そのおかげで成績は安定し、料理や掃除など一通りなんでもできるようになっていた。特に料理は好きで、小学校高学年くらいには母親の代わりに作っても遜色そんしょくない程度にこなせるようになっていた。

 遊ぶ相手は五つ年上の姉の千冬とその友達とばかりで考え方や価値観が同級生とどんどん離れていき、細かいところで話も合わなくなっていった。

 特にお姉ちゃんとはべったりでよくお姉ちゃんと一緒に映画やドラマを見たりした。漫画や小説の好みもお姉ちゃんの影響が色濃く反映された。

 そもそも私は人と話すのが苦手だった。お姉ちゃんをはじめ家族など慣れていない人が相手だと、話しかけられても反応が遅れることもしばしばだった。それを補うために状況に応じた返す言葉のテンプレートを準備していた。そうすることである程度は口下手なのを誤魔化すこともできた。

 また、話すときは相手の目を見なさいという親だったか先生に言われたことを馬鹿正直に実践し、話しかけてきた相手を確認するために相手を見つめると、相手は何もしていないのに謝ってどこかにいってしまったり、泣き出してしまうこともあった。ただ視線が合うだけで、うっと委縮されるのが分かり、人と視線をあまり合わさないようにするきっかけになった。

 きっと私の大きなつり目は見上げるとにらんでいるように思われるのだろうと、自分の目にコンプレックスを感じるようになった。

 成長するにつれて、視線が自分に向けられることが増えた。そのことをお姉ちゃんに相談すると、


「アキちゃんがかわいいから、みんな見ちゃうんだよ」


 と、笑顔で言われるが身内の評価なので真に受けることはなかった。そもそも私の大きなつり目は何もしなくてもただ少し見上げるだけで睨んでいると思われたり、怖がられる対象になっているのは知っていた。だから、自分がかわいいとか思われることはないと思っていた。

 しかし、実際にナンパされたり、話したこともない男子からラブレターを貰ったり、告白されるようになると、お姉ちゃんの言うことが客観的には正しかったのだと実感した。正直なところ、なんで自分なんだと不思議で仕方なかった。

 そもそも話したこともどんな人かも知らない相手から突然、告白をされたりしても嬉しくもなく心に響くことはなかった。

 お姉ちゃんは昔から異性同性問わずモテていて、恋人も過去に何人もいた。近くで恋をする人間を見てきたが、いざ自分のことになると恋だとか愛だとか分からなかった。

 初恋というものすらしたことがなかった。


 高校生になると告白されたりする頻度も増えたが、一度も心を揺さぶられることもなく淡々と断り続けた。そのことでトイレの個室にいるときに何度か「水見は調子に乗ってる」「男子に色目使ってるビッチ」などなど陰口を言われるのを聞いた。そういうことを次第に言われ慣れたが、言われるたびにそれなりに傷つくもので自分は人の悪口や陰口は言わないようにしようと心に決めた。きっとそういう人と仲良くすることもできないだろうなとも思った。

 学校生活など人が多くいるところでは聞きたくなかったことを聞くことは意外にある。私はタイミングが悪いのか、先に述べた自分への陰口のようにそういうことをよく聞いてしまう。

 きっと悪意がないのだろうけど、たまたま男子が、


「水見さんってさ、スタイルいいよな。顔も美人なのに、あの目だけは俺ちょっと苦手」

「ああ、分かる。目さえ隠せば最高の女子だよな」

「だよな。てか、目隠しプレイ限定とかマニアックすぎ」


 と、楽しそうに私をネタに猥談わいだんをしている様を聞いてしまったことがあった。それは元々気にしていた自分の目をさらに気にするきっかけになった。それだけでなく、自分が性の対象に見られていたことがどこか気持ち悪く、男性からの視線というものに、ときおり不快感を覚えるようになった。それ以来、女の子らしい服装を避けるようになり私服でスカートを履くこともなくなった。

 男子からも女子からも自然に孤立していき、そのことにどこか安心している自分がいた。

 そして、人を頼らないで自分一人でなんでもできるようになろうと必死で強くあろうと努力した。努力すればするほど他人を遠ざけ、人との間に次第に壁を作るようになった。

 いつからか気を許した家族、特にお姉ちゃんの前でしか素直に笑ったりできなくなっていった。

 きっとお姉ちゃんには心配や迷惑をたくさんかけたと思う。

 お姉ちゃんは買い物や散歩、それ以外にもいろんなところに私を連れて行ってくれた。お姉ちゃんの友達と一緒に遊んだり、人と関わるきっかけのようなものをくれたが、私はお姉ちゃんの影に隠れてしまい、あまりいい結果にはならなかった。

 それでも中には嫌な顔をせずに相手をしてくれる人もいた。お姉ちゃんに彼氏だと紹介された多田由行さん――ヨシさんもその一人だった。

 そういう人は根が優しい人が多く、緊張はするが話すことは苦じゃなかった。

 ヨシさんとはお姉ちゃん含め、何度か三人でご飯を食べたりした。ヨシさんのことはお姉ちゃんの彼氏以上には見ておらず、友達というのも何か違う気がして、信用のできる人というカテゴライズに落ち着いた。


 そんな私が小寺くんといると自然に笑ったり、話すのが楽しいと感じたり、もっと人と関わりたいと思えた。お姉ちゃんに小寺くんのことを話したとき、お姉ちゃんは驚きつつも安心したような笑顔をしていた。

 小寺くんは私が自分でせばめていた世界を広く自由に解き放ってくれた。


 ロッジのテラスの階段から夜空に輝く月に手を伸ばしてみる。小寺くんの繋いだ手の感触をまだ思い出せる。大きくてゴツゴツとした温かい手だった。手を繋いでいるときは会話がなくても心まで繋がっているようなふわふわした気持ちになれた。

 小寺くんといると私は本当に楽だ。無理に話そうともしないし、言葉を選ぶのに時間をどれだけ使っても嫌な顔をしない。私のペースで話したり、行動したりしてくれる。それに私がしたいことを一緒になってしてくれる。

 それがどれだけ嬉しいかきっと小寺くんは知らない。そのことで私がどれだけ小寺くんに感謝しているかもきっと――。

 私から小寺くんに返せるものは何もない。できるのはおいしいご飯を作ることくらいで。


「なんだか、私が話しかけるときはご飯ばっかりだ」


 そう思うと自分の誇れるものはそれしかなく、そのことで喜んでくれる小寺くんを見るのが好きで、アピールする方法もそれしかなくて。


「でも、『男心をつかむには胃袋からつかめ』って言うし、いいよね」


 そう一人で呟きながらくすくすと笑う。お酒が入ってるからか、なんだか楽しさが増幅されているみたいだ。

 だけど、お酒は怖い。

 お酒が入ると口が軽くなるし、後で思い返すと不思議なことをしていることもある。

 それにあの日だって、元をたどればお酒が原因で。

 私の心はきっとあの日の夜に小寺くんに掴まれたのだろう。そして、惚れた方が負けでずっと小寺くんの言動に、私の気持ちは振り回されてきたのだから――。

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