第22話 水見さんは話さない ①

 修学旅行などの学校行事以外で初めて同年代の男の子と泊りがけで出かけた日の夜。

 お姉ちゃんとお姉ちゃんの彼氏のヨシさんが酔いつぶれ、小寺くんが介抱しながら、二人を部屋に連れて行った。

 それを見送りながらテーブルの周囲のひどい有様に目を向ける。さいわい用意した料理は量が少なったため、サラダ以外は完食されていたが、食べかすが散らかっていた。一番ひどいのは大量の酒の空き缶だろう。

 ゴミの分別や洗い物、テーブル周辺の掃除を終えると、コップに冷蔵庫で冷やしていたお茶を半分ほど入れ、ずっと動いて乾いた喉をうるおした。


「小寺くん、戻ってこなかったけど、寝ちゃったのかな?」


 ソファーのあるスペースのメインの照明を落とし、誰かが夜中に起きてくることを想定して間接照明だけはけておくことにした。

 お姉ちゃんに仕組まれた小寺くんと割り当てられた部屋の前で立ち止まり、小さく深呼吸をする。ゆっくりと部屋の扉を開け、中に入ると部屋の中は真っ暗で、スマホの灯りを頼りにベッド脇にあったサイドテーブルの照明をつける。そして、小寺くんのベッドに目を向けると、小寺くんはベッドにうつぶせに突っ伏して眠っていた。それを横目に自分のベッド脇に置いた鞄から、寝巻き用に持ってきたゆったりとしたシャツと短パンを取り出す。それを手に静かに部屋を出てバスルームで着替えた。

 普段、自分の部屋で寝るときは高校のときのジャージを履いているがさすがに見せられないので、部屋着用の短パンで代用することにした。それだけでなくいつもはブラジャーも外して寝るが今日はさすがに我慢しなければならない。

 部屋に戻って、もう一度サイドテーブルの照明をつける。小寺くんは相変わらず眠っていて、片付けと明日の着替えを準備して、電気を消し、自分のベッドで布団にくるまった。

 目を閉じて寝ようとするも、小寺くんが隣にいると思うと緊張して眠れない。今日は朝から色々とあり過ぎたせいで、心身ともにかなり疲れているはずなのに。

 静かに寝返りをうち、小寺くんの方に顔を向ける。暗い部屋の中では影がわずかに動いているくらいしか分からない。小寺くんが寝ている姿を近くで見たことは数度あったが、同じ部屋で眠るというのは今日が二度目で一度目は酒を飲み過ぎていたのと気分が極度にハイになっていたうえに、突然の睡魔に襲われていつの間にか眠ってしまっていたので事故みたいなものだった。あの日の翌日の起きた後のことを思い出すと、今でも顔から火が出そうなほど恥ずかしい。

 余計なことを思い出したせいで眠気は完全にどこかにいってしまった。


「お酒……飲んだら眠れるかな?」


 静かにベッドを抜け出し、小寺くんを起こさないように部屋を出て、キッチンへ。チューハイを片手にテラスに出て、砂浜に降りる階段に腰かけた。

 夜の闇の中、真っ暗な海から聞こえる静かな潮騒を聞きながら、チューハイに口をつける。海風がときおり吹き抜け肌寒さを感じるが、恥ずかしさで火照ほてった顔や頭を冷やすにはちょうどいいように思えた。


「今日はいろいろあったなあ」


 小寺くんにスカート姿を褒められて、車の中で隣で寝息を立てる寝顔を眺めて、砂浜で初めて手を繋いで――。今日は本当に小寺くんと一日中ずっと一緒で、私の心は幸せや緊張などいろんな感情で溢れかえり容量オーバーでパンクしてしまうんじゃないかと思うほどだった。

 最近はずっと小寺くんのことばかり考えている気がする。


 私が小寺春樹という男の子のことを知ったのは、大学一年生の前期のとある講義で一緒になったことがきっかけだった。

 それは必修のアクティブイングリッシュという講義で、高校までの普通の教室くらいの講義室でネイティブの先生と実践的な英語を勉強するというものだった。基本的に日本語禁止で先生がランダムで質問をしたり問題を答えさせるために生徒を当てるというよくある形式のものだった。

 そこで小寺くんは先生に気に入られ、他の人が答えられなかったりすると、「コディラ」とローマ字表記の苗字をそう発音されて、よく当てられていた。小寺くんは日本語で「またっすか?」と抗議をして、先生に英語で「日本語は駄目だよ」と怒られ、小寺くんが謝り英語で答え始める。それが同じ講義を受けている生徒の間では恒例で、先生と小寺くんのやり取りが小気味よく面白いので、くすくすという笑い声が教室内のそこかしこから上がり、授業の雰囲気を和ましたりといい演出になっていた。

 小寺くんもその扱いを受け入れているようで、講義前後の空き時間に先生と楽しそうに雑談したりしているのを何度か見かけた。

 ある日、その講義の受講者が陰で、


「あの先生、当てすぎるからうざいよね」

「でも、生贄いけにえがいるから楽な講義じゃん」

「たしかに。当てられても黙ってれば、最終的には『コディラ』にいくしね」

「そうそう。あいつも裏では相当文句言ってるんじゃね?」

「それな。あるある」


 と、あまり聞きたくない会話をして笑っているのを聞いてしまった。たぶん他にも同じように講義に対していい感情を持っていない人もいるだろう。例えば、生贄にされている小寺くんも内心では――。

 その小寺くんの講義に対して思っていることをたまたま聞く機会があった。講義が終わり近くの自動販売機で飲み物を買い、建物の柱に軽くもたれながら飲んでいると、そこに小寺くんが同じ講義をいつも並んで座って受けている男の子と話しながらやってきた。


「今日もコディラくん、お疲れ」

「コディラって言うなよな」

「へいへい。てか、毎回、あんなに当てられて嫌になんないの? 最近はお前に回るの見こしてわざと答えないやつもいるじゃん」


 小寺くんにそう尋ねながら、聞いた側の声に怒りが混じっている気がした。きっと彼も思うところがあるのだろう。二人とも飲み物を買い、自動販売機のすぐ横で買ったものに口をつけながら先ほどの話の続きに戻っていく。私には気付いていないのかもしれない。


「まあ、それは先生が悪いわけじゃないからなあ。最初に調子に乗ってオーバーに答えて先生を笑わせたのが間違いだったよ」

「ああ、あったな。そんなこと」

「まあ、あんだけ当てられるから、ちゃんと予習含めてしっかりしなきゃってなるし、俺の英語力かなりやばいことになってるんじゃね?」

「お前の語彙ごい力の方がやべえよ」


 二人はそう言って笑う。そして、小寺くんは真面目な声に戻る。


「まあ、実際バイト先に来た外国人と英語でコミュニケーション取れた時は、俺まじかってなったからいいんだよ。人の倍以上勉強できてるんだから考えようによってはもうけものだよ」

「そりゃあな。実際、もっと当ててほしいって言ってるやつもいるからな」

「そうなんだ。そういう人たちにはちょっとは悪いけど、わざと答えないやつらは来なきゃいいのにな」

「そうかもな。でも、仮にいなくても当てられる回数は変わらないんじゃね?」

「それは別にいいよ。先生にこの前、学内のコンビニでたまたま会った時に、お菓子大量におごってもらったし」

「食べ物で釣られたのかよ?」


 再度、二人が笑う声が重なる。


「いや、食べ物は大事よ。それに『コディラ、いつもありがとう』って笑顔で言われたら、こっちもがんばろうってなるじゃん」

「そういわれたら確かにやる気でるわな。今度、たまには俺にも当てるように言ってくれよ」

「自分で言えよ」


 そう言いながら笑う声と話し声が次第に遠ざかっていく。

 その話を聞いて、小寺くんは批判は口にするが陰口は言わない人で、人との関り方というか距離感の取り方が上手い人なのかなと思った。

 人と関わるのが苦手で、口下手な私は小寺くんのような人間に少しでも近づきたいとあこがれた。

 それがまさか理想に近づくわけではなく、物理的に近づくことになろうとはさすがに考えてもみなかった。

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