第17話 水見さんは誘いたい(海) ⑤

「お昼は私たちが用意するから、二人は遊んでなさい」


 千冬さんはビール片手に俺と水見さんの前に立ち、そう告げる。


「でも、お姉ちゃん。ご飯は私が作る約束だったよね?」

「そうだけど、お昼は私とヨシくんに任せなさい」

「そうそう。バーベキューの予定だし、切って焼くだけだし手間もかからないよ」


 ヨシさんも千冬さんの隣で任せなさいと胸を張る。水見さんは一見するといつも通りの顔だが、どこか不安と困惑が混じった目をしているように見えた。


「何かあったら手伝うから言ってね? お姉ちゃん」

「大丈夫よ。お姉ちゃんを信じなさい」


 千冬さんは、「ねっ」と目配せを俺にもしてくるも、視線を逸らしビールに口を付けながら、


「どうせ何を言っても聞かないんだろうし、好きにやってください」


 と、半ば投げやりな言葉を返す。


「そんなこと言ってるとハルくんだけ、肉食べさせないからね」

「すいません。期待していますのでよろしくお願いします」


 わざとらしく頭を下げると、「よろしい」と千冬さんは笑う。千冬さんとヨシさんはロッジの方に歩き出し、その途中、千冬さんは振り返り後ろ向きに歩きながら、


「ハルくん。ご飯できるまでアキちゃんのことよろしくね」


 と、声を張り上げる。水見さんは隣で、「えっ? お姉ちゃん? どういうこと?」と驚きの声を漏らす。水見さんはこちらに向き直り、


「お姉ちゃんの言うこと、間に受けなくていいからね?」


 と、真顔で口にする。しかし、よく見ると頬と耳が少し赤いように見える。


「真に受けるもなにも、ご飯できるまでは実際二人っきりなんだし、どうしようか?」

「どうするって?」

「うーん。そうだな。こうやってパラソルの下でのんびり酒を飲みながら待つのもいいよね。他には、せっかく目の前に海があるんだし、入りに行くとか」

「小寺くんはどっちがいい?」

「どっちもいいなあ。俺はこうして水見さんと一緒にいるの楽しいから」


 いつものように「そう?」と言われるのかなと思っていたが、水見さんから返事がなかった。気になって隣を覗き見ると、足の親指同士をもじもじとこすり合わせたり、髪の毛の先をいじりながら俯いていた。

 水見さんが何を考えているか分からないが、水見さんからどんな言葉が返ってくるかビールを飲みながらのんびり待つことにした。波の音やどこからか聞こえてくるセミの声に夏を感じていると、


「ねえ、小寺くん」


 と、隣から小さく細い声で名前を呼ばれる。横目でちらりと水見さんを視界にとらえながら返事をする。


「何? 水見さん」

「海、行かない?」

「いいよ。泳ぐ?」


 水見さんは首を横に振る。


「じゃあ、波打ち際でベタに水のかけあいっこでもする?」

「それも面白そうだけど、今はいいかな」

「じゃあ、どうするの?」


 水見さんはすっと立ち上がり、巻いていたパレオを脱ぎ、シートの上にそっと投げる。突然、あらわになったビキニとそこから伸びるスラっとした美脚に目を奪われる。水見さんの生足をこんなに近くでまじまじと見たのはあの日のベッド以来で、心臓がどくんと跳ね上がる気がした。

 水見さんは当たり前だがこちらのそんな気も知らないで、手を差し伸べながら、


「さっきの小寺くんの案の間を取って、波打ち際に並んで座って、のんびりお酒を飲むのはどうかな?」


 と、満面の笑みで提案してくる。その顔で提案されたら断れない。真っ直ぐに見つめるには眩しい水見さんの笑顔を見上げながら、差し出された手に自分の手を重ね、立ち上がる。


「それは贅沢な案だね」


 初めて繋いだ水見さんの手は冷たくて柔らかかった。そのまま、飲みかけの酒を手に波打ち際に行く。足だけ波にさらすと気持ちがよかった。そして、海の中に座り、波が来るたびに腰のあたりまでつかり、引いていく。隣にいる水見さんは最初は波が来るたびに繋ぐ手に力が入っていたが、次第に慣れたのか気持ちよさそうに足を伸ばしている。


「私、海とか泳ぐのとかに今まであんまり興味はなかったんだけど、こうしてるのは好きかも」

「そう? よかった。水見さんが楽しそうで何よりだよ」

「小寺くんは楽しくない?」

「楽しいよ」

「本当に?」


 水見さんが確認するように覗き込みながら尋ねてくる。一瞬ドキリとするが、ビールにひとくち口を付け、酒の勢いを借りて返事をする。


「本当だよ。水見さんとこうやってちょっとアホなことをしたり、自然に手を繋げたり、楽しくないわけがないじゃん」


 そう少し悪戯いたずらっぽく口にする。水見さんは「えっ!? 手?」と今になって意識したのか、恥ずかしそうにつないだ手を離し、髪の毛の先をいじりだす。さっきまで海にかっていた指のせいで髪の毛の先が湿っていくのが分かった。

 それを横目に寂しくなった手は波に揺られ、指摘しなければよかったかなと内心では後悔するも、水見さんが隣で笑ったり照れたりしているのを一番間近で見れているというのが嬉しかった。

 しかし、やはり後悔が大きかった俺は恥ずかしさを堪えながら、


「手、繋がなくていいの?」


 と、水見さんに提案してみる。水見さんはこちらを見たまま固まり、すっと視線を真っ直ぐ水平線の先に向け、静かに海中で手を重ねてくる。冷たいような生ぬるいような海水の中で水見さんの体温だけがはっきりと伝わってくる。


「ご飯できるまでだから」

「分かった」


 それから会話もなく、お互いを感じながら波に揺られた。繋いだ手は同じ波に揺られ、離れることもなくゆっくりと同化していくような感覚になる。

 あと十数分後には離れることが約束されている手の感触を波の音とともに記憶に刻み込む。

 そして、終了の合図となる千冬さんがロッジのテラスから呼ぶ声が聞こえる。

 ゆっくりと手を離すと、海に何かを流されてしまったような寂しい気分になる。海から孤独になった手をゆっくりと引き上げ、何もなくなった手の平を握ると、暑い夏の空気の隙間から海水がしたたりり落ちた。

 もう片方の手には海に流されまいと空のビールが握られていて、それがむなしさだけを大きくする。隣にいると満たされていたのに今は空っぽだ。

 そこで今まで見ないようにしてきた水見さんに対して感じていた自分の気持ちの正体に気付いた。


 俺は水見さんに恋をしていたのだ――。

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