第15話 水見さんは誘いたい(海) ③

 目が覚めると、窓から見える景色は建物が少なくなり、海の青が目に入るようになっていた。

 シートにうずめ過ぎていた体を起こすと、はらりと布がずり下がる感覚がした。気が付くといつの間にか薄手のパーカーが掛けられていた。


「起きた?」


 水見さんが隣から声を掛けてくる。そして、手を差し出してくる。理由が分からず、寝起きで頭も回らないので、その手を握ろうと手を伸ばす。


「パーカー」

「ああ、これ水見さんの? ありがとう」


 手を慌てて引っ込めて、掛けられていたパーカーを水見さんに渡す。水見さんは受け取ったパーカーをそのまま膝に掛ける。


「エアコンで冷えたら、風邪引いちゃうかもしれないから」


 水見さんは膝に手を置き、視線を窓の外に移した。もう少し話したい気もしたけれど、仕方がない。


「すいません。かなり寝ちゃいましたか?」


 前の二人に座席の間から声を掛ける。


「ハルくん、起きたんだね。よく寝てたから起こさなかったよ。起こす気もなかったけどね」


 千冬さんは笑いながら話す。


「そうだね。ぐっすりだったもんなあ。寝てたのはだいたい二時間くらいじゃないかな?」


 ヨシさんも運転しながら答えてくれる。ちらりと時計に目をやると、十時半前くらいを表示していて、ヨシさんの言葉が間違っていないと実感する。


「まあ、目的地はもうすぐだし、タイミングがよかったんじゃないかな」

「そうですか? それにしてもすいません。何もしていない俺が寝てしまって……」

「気にすることはないよ。アキちゃんが言ってたけど、キミは昨日もバイトだったんだろう? それに比べて俺は今週はずっと休みだったからね」


 ヨシさんはそう言いながら笑ってくれるので、救われる思いがした。

 席に座り直すと水見さんが隣からペットボトルのお茶を渡してくれる。


「ありがとう」

「うん」

「お茶なんていつの間に?」

「小寺くんは寝てたけれど、途中コンビニで買い出しと休憩をしたんだよ」

「起こしてくれたらよかったのに」

「気持ちよさそうに寝てたから、起こせなかった」


 水見さんはふっと楽しそうに笑う。その笑顔に心が跳ね上がりそうになるが、ちょっと待てよと思いとどまる。さっきの発言とかもろもろ加味して考えてみると、水見さんにしっかりと寝顔を見られたことになる。見られるのは初めてじゃないとはいえ、どこか恥ずかしくなってくる。寝るんじゃなかったと少しだけ後悔する。

 お茶に口を付けながら、もしかしたら、隣の水見さんもうとうとしていたかもしれないと思った。そうだとすれば、水見さんの無防備な寝顔を見るチャンスを逃したことにもなる。


「ハルくん。ブラックガムいる?」


 千冬さんが全てを察しているかのようなタイミングでニヤニヤとガムの入ったボトルを前から差し出してくる。まだ食べていないにもかかわらず苦い表情を浮かべながらガムを受け取った。


 しばらくすると、目的地のキャンプ場に到着し、一棟いっとうのロッジの前に車を止める。車を降りると、ヨシさんが「管理棟で鍵貰ってくる」と足早に歩いて行った。

 千冬さんは「ちょっと二人ともついてきて」と言い、水見さんと俺を先導し、ロッジを回り込むように裏手に行くと、すぐ近くに砂浜と海が広がっていた。


「ここは会員制のキャンプ場でね、どのロッジにもプライベートビーチが付いているのよ。あまり広くはないけどね」

「いや、それでもすごくないっすか? こんなところがあるなんて知りませんでした」

「そうね。私も初めてだし、来る前にネットとかで調べて驚いたのよ。だから、キミたちも驚かせたくて、アキちゃんにも詳しくは教えなかったのよね」


 水見さんはというと、太陽の光を反射しきらめく海に目を奪われたのか、立ち尽くし、波の音に消え入りそうなほど小さな声で、「すごい。綺麗」と声をあげる。隣にいてその声を聞きもらさなかった俺は、「本当に綺麗だね」と、相槌を打つ。


「お姉ちゃん、ありがとう」

「アキちゃんのそんな顔見られただけでも、来た甲斐はあったわ」


 千冬さんは照れ隠しをするように大げさに笑顔を作って見せる。そのまま並んで海を眺めていると、いつの間にか戻ってきたヨシさんがロッジのテラスに繋がる窓を開け、「荷物運ぶの手伝ってくれ」と声を掛ける。手分けをして車からロッジの中に荷物を移動させる。クーラーボックスの中には肉と野菜と保冷剤代わりに大量のかちわり氷が入っていた。水見さんは途中で買ったお茶のペットボトルや食べ物を備え付けの冷蔵庫に入れ始めたので手伝う。あらかた移し終えたところで氷はどうするのかと尋ねたら、


「あんまり溶けてないのは二袋くらい冷凍庫に入れて。あとはクーラーボックスの中にぶちまけて氷水作っちゃって」


 と、千冬さんが返事をするので言われた通りにする。そして、クーラーボックスに水を入れている最中にヨシさんが箱買いしたお酒を運んできて、隣からビールやチューハイの缶を雑に入れる。


「残りは入るだけ冷蔵庫に入れておいてくれる?」

「わかりました」


 指示された通りに動き、入りきらなかったお酒の箱を邪魔にならないように壁際に寄せる。一息つくと、ソファーでくつろぐ千冬さんに手招きされる。いつの間にか全員がこの一角に集まっていて、水見さんは千冬さんの隣に座らされ、ヨシさんは近くの壁に寄りかかっている。

 千冬さんはコホンと咳払いをして、


「それで部屋割りはどうする?」


 と、わざとらしいほどに真剣な口調で話す。何を言い出すのかと構えていた分、反応が遅れてしまった。くくくっ、と声が聞こえるのでそちらに視線をやるとヨシさんは笑いをこらえているようだった。あの様子だときっとこの先の展開も知っているのだろう。

 水見さんは千冬さんの隣で自分には関係ないと言わんばかりに事の顛末てんまつを見守っているようだった。なので、必然的に聞き返す役割は自分になる。


「どうするって、どういうことですか?」

「ここベッドルームが二部屋しかないのよ。それもツインの」

「単純に男性と女性ってわけには――」


 そう言いかけて、ふと気づく。男女で部屋を分けるつもりなら千冬さんはそもそもこんな話を切り出さない。切り出す前に決まっていることとして話すだろう。千冬さんの口の端がにやけているのも何かあることを示している。ため息をついてダメもとで提案する。


「一部屋は千冬さんとヨシさんが、もう一部屋は水見さんが使えばいいんじゃないですか?」

「それじゃあ、ハルくんはどこで寝るのかしら?」

「ソファーでいいですよ」


 きっと最善はこれだ。だけれど、予想通り千冬さんに「ダメよ」と言われる。


「じゃあ、男女で分けますか?」

「それだと、私がヨシくんと別々の部屋になっちゃうじゃない。せっかくの旅行なんだし気を遣いなさいよ」


 千冬さんははっきりと断る。ヨシさんもさっきからこらえきれず笑いがこぼれているので、きっと打ち合わせ済みなのだろう。水見さんだけが状況を把握しきれず、きょとんとしている。


「どうします? 水見さん」

「どうするって……?」

「千冬さんは俺と水見さんを同じ部屋にしたいんですよ」


 水見さんは一瞬固まり、「ちょっとお姉ちゃん!?」と驚きの声をあげる。千冬さんは「いいよね? アキちゃん」と笑顔でごり押そうとしてくる。

 結局、まともな反論がないうえに代替案もなく、千冬さんに耳元で「なんでもするのよね」と軽めに脅されて水見さんと同じ部屋に押し込まれる。

 ベッドが二つと簡素なテーブルが一つあるだけの部屋に水見さんと二人っきりになる。思わずため息がこぼれる。それははめられたことに対する呆れもあったが、こういう状況になっても、すぐ近くに千冬さんがいることを気にして――いや、それ以前に手を出す勇気のないチキンで童貞な自分のふがいなさに嘆いて出たものかもしれなかった。

 水見さんは表情を変えないが、あまり落ち着かない様子で、窓を開けながら、


「なんかお姉ちゃんがごめんなさい」


 と、申し訳なさそうな声で話しかけてくる。


「水見さんが気にすることないよ。あれはきっと最初から決めてたんだと思うよ」

「そうなの?」

「たぶんね」


 会話が途切れる。何を言っても変な方向に飛び火しそうで黙り込んでしまう。

 いつもは壁を挟んで隣の部屋にいる水見さんと、壁もない同じ部屋の隣のベッドで一晩を過ごすことになるなんて思いもしなかった。何もないはずで、間違いも起こりえないはずなのに、落ち着かないのはどうしてだろうか。

 静かな部屋に小さな波の音が打ち寄せて、不安と少しの期待を置いて消えていく。

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