第14話 水見さんは誘いたい(海) ②

「ここで待ってればいいんだっけ?」

「うん。お姉ちゃんがアパートの前まで迎えに来てくれるって」


 朝のまだ肌寒さを感じる時間帯にアパートの前で二人で立ち尽くしていた。

 荷物は海の近くで一泊する荷物なので普段使いしているリュックで事足りた。水見さんも大きくない鞄と手持ちのバッグのみだった。他にも必要なもの、例えば食べ物だとかは千冬さんと千冬さんの彼氏が用意するので心配ないと説明はされていたが、どこか不安を感じてしまう。そもそも千冬さんの彼氏とは初対面で、千冬さんとも一度会ったきりで、水見さんに誘われでもしなければ断りたくなる誘いだった。

 一つため息をついて、隣の水見さんを見ると、今日はいつもと雰囲気が違って見えた。それはいつもはパンツスタイルのシンプルな服装を好む水見さんが、スカートを履いているからだろうか。ただ生足を見せるわけでなく下にレギンスを履いているわけだが、それでも印象は変わって見える。


「なに? 小寺くん」

「いや、スカートが珍しいなって」

「似合わない?」


 水見さんは自分の服装に変なところがないか体をひねったりして確認する。


「よく似合ってるよ」

「よかった」

「そういや、普段はなんでスカート履かないの?」

「動きにくいのと、いかにも女の子らしい服装が苦手だからかな」

「そういうもんなんだ」


 水見さんは「うん」と頷きながら、「でも今日は思い切って履いてよかった」と小声で呟く。それは朝の静かな時間だから聞こえたからで、聞こえないふりをすることにした。

 しばらくすると、一台のミニバンが自分たちの前に停まる。助手席の窓が下がり、千冬さんが顔を出しながら、


「ごめん。待たせちゃった? 荷物は後ろ開けるから適当に積んでくれる?」


 と、明るい調子で声を掛けてくる。その声に従い、ロックの解除されたトランクを開ける。最初は大きなクーラーボックスに目が行くが、よく見るとそれ以上に箱買いされている酒があるのが気になった。これを一晩で四人で全部飲むつもりなのかと思うとため息が出る。他にも鞄など荷物が積み込まれていて、崩れないように自分の荷物と水見さんの荷物を置いて、トランクを閉める。

 車に乗り込んで座ると、運転席から優しそうな顔つきの男性が振り向いてくる。


「やあ、アキちゃん。久しぶりだね。引っ越し以来かな?」

「そうですね。お久しぶりです、ヨシさん。このたびはお世話になります」


 水見さんが座ったまま小さくお辞儀をする。


「そんな他人行儀はやめてくれよ。知らない仲ではないんだからさ」


 そういってヨシさんが笑うと、水見さんも口角を薄く上げながら、「そうですね」と答える。


「相変わらず、アキちゃんは堅いなあ。それでキミは初めましてだよね。えっと、たしか――」

「ハルくんよ」


 助手席で千冬さんが助け舟を出す。千冬さんもいつのまにか振り向いていて、笑顔でやあやあという感じに小さく手を振ってくる。


「そうそう。ハルくん。俺もそう呼んでも構わないかな?」

「あっ、はい。大丈夫です」


 ヨシさんは一度笑顔で頷いて見せる。


「俺は多田おおた由行よしゆき。アキちゃんみたいにヨシさんって気軽に呼んでもらって構わないから」

「分かりました。あっ、俺は小寺春樹って言います。このたびは俺まで誘ってくれてありがとうございます」

「誘ったのは千冬だから、お礼はそっちに言ってくれ」

「でも、優待券もらったのはヨシくんなんだから、いいんじゃない?」


 千冬さんが横からけらけらと笑う。


「じゃあ、ここで話していてもあれだし、そろそろ出発しようか」


 ヨシさんがそう言うと、車は静かに動き出す。これから昼前の到着をめどに移動するらしい。その間中、隣のシートにはずっと水見さんがいる。何を話していいかも分からないし、何か話そうにも必然的に千冬さんやヨシさんにも聞かれるので迂闊うかつなことも言えない。

 前に座る千冬さんとヨシさんは、同じような笑顔を浮かべながら楽しそうに話している。例えば、今日のために水着を新調したんだとか、優待券をくれた同僚が誰と行くんだと絡んできてうざかったとかなどなど、話の内容は大学生の会話と大差ないように思えた。

 隣にいる水見さんを横目で見ると、窓から見える流れていく景色をぼんやりと眺めているようで、なんとなく声を掛けずらい。

 何か水見さんと話すきっかけはないかと考えていると、


「そういや、ハルくんはBラウンドでバイトしてるって聞いたけど?」


 と、ヨシさんがバックミラー越しにちらりと見ながら尋ねてくる。


「はい、そうですけど」

「俺さ、見間違いかもしれないけど、キミのこと見るの初めてじゃない気がするんだよ。行ってもほぼバッセンしかやらないんだけれどね」

「ああ。ありえない話じゃないですよ。気付かないうちに会ってるかもですね」

「どういうこと?」


 千冬さんも興味がわいたのか話に入ってくる。


「俺、スポーツアトラクション部門で働いてるので、バッティングセンターとかあるフロアが担当なんですよ」

「でも、ハルくん。あそこボーリングとか、カラオケとか色々あるわよね?」

「そうなんですけど、あそこのバイトって基本そのアトラクションごとに募集とかやってるんですよ」


 千冬さんもヨシさんもへえと声をあげる。


「それにバイトしてる時間は平日は遅い時間帯が多いし、週末は日中からバイトしてたりもするので、ヨシさんがもし仕事終わりだとかに行くのであれば、知らないうちに会っていても不思議じゃないですよ」

「なるほどなあ。今度見かけたら声掛けるかなんかするわ」


 ヨシさんは顔をくしゃっとさせて笑いながら言う。ヨシさんはなんというか表情や物腰が柔らかいからか、とても話しやすかった。きっと兄がいたらこんな感じなんだろうなと思える人だった。

 快活な千冬さんと柔和にゅうわなヨシさんは、まだよく知らない自分の目から見ても仲が良く、お似合いの二人に見えた。

 そんな風な人と出会えて一緒にいられるというのはどういう感じなのだろうか?

 隣にいる水見さんは相変わらずで、車が動き出してから声を聞いていない気がする。何でもいいから声を掛けようと水見さんの方に視線を向けると、窓に映った水見さんの目と視線が合った気がした。ふいのことでドキリとしてしまう。そのとき、千冬さんが振り返って、


「それにしても、アキちゃん。今日は一段と楽しそうね」


 と、口にする。そういえば、さっき窓に映った水見さんの表情はとても柔らかい表情をしていた気がする。千冬さんはバックミラー越しにその変化にずっと気付いていたのかもしれない。それはおそらくヨシさんも。隣にいる自分だけが気付けない死角にいたのが悔しかった。


「そうなの? 水見さん?」


 水見さんは揺れる車の中で小さく首肯する。そして、きまりが悪いのか髪の毛を耳に掛け直した。

 水見さんが楽しんでいるならよかったと安心し、シートに深く座り直すと大きなあくびが出た。


「小寺くんはなんだか疲れてる?」


 水見さんがいつの間にかこちらに顔を向けていて、あくびを見られたかと恥ずかしくなる。


「大丈夫。昨日あんまり眠れなくってさ」


 昨日は今日休む代わりの急遽入ったバイトで家に帰ってきたのは日付が変わりそうな時間帯だった。そこからシャワーを浴びて、ベッドで横になったが楽しみでなかなか寝付けなかった。さらに朝早かったので睡眠時間は足りていないので、ほどよい車の振動が睡魔を引き寄せる。


「そうなの? よかったら少し寝たら?」

「いや、それはなんだか悪いよ」

「ハルくん、無理せず寝ても大丈夫よ。まだ到着には時間あるからね」


 千冬さんが前から声を掛けてくれる。それに合わせるようにヨシさんも、


「そうそう。眠くて向こうで遊べませんでしたじゃあつまらないからね」


 と、言ってくれる。疲れているのも眠たいのも自分だけじゃないのかもしれないが、今は気を張っている余裕もなかった。


「じゃあ、お言葉に甘えて少し寝ていいですか? ちょっと限界で……着いたら雑用でもなんでもするんで」

「その言葉、しっかり覚えておくわ」


 千冬さんの怖い言葉が聞こえたが、それどころではないほどに睡魔はもう限界でまぶたが重たくなってくる。

 車のタイヤが道路に接する音を聞きながら、浅い眠りの中で聞き取れない喋り声が遠くから聞こえる気がする。

 そのぼんやりしたまどろみの中で水見さんの存在を不思議とずっと感じていて、ときおり水見さんの楽しそうな表情やなんかが浮かんでは消えていった――。

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