上へと目指して

片宮 太郎

第1話


 人間は欲望のままに生きているものだ。


 あの子のハートをゲットしたいとか、プロ野球選手になってみせるだとか、あるいは、世界を征服してみたいなんて望む人もいるだろう。

 どんな人間でも必ずといってもいい。

 人は日々、願望を持ち合わせながら生きている。


 なので、生物の定義をクリアしており、生物の種類上、人間と見なされている僕にも願望があった。

 その願望とは、将来役に立つだとか、将来の夢だとか、そんなものではなかった。



 僕は、視界に入る全ての物を自分の手で隠したい。


 正確に言うと、腕をピンと伸ばし、手のひらを広げて、目に見えていた物を視界から消してみたいというものだ。

 どんなに大きな物でも遠くから手をかざせばすぐに自分の手で隠せることに、ささやかな征服感を感じることができ、それは僕にとって唯一、たまらない幸福感を生み出すものだった。


 そんな僕は学生の頃、放課後や休日を散歩の時間に費やしてた。

 放課後では、学校の近くの公園やスーパーなど手頃な場所を選んで、休日には、電車や自転車などで遠くまで散歩をしていた。

 もちろんそれは、自分の願望を叶える為である。



 ただ、他人から見れば僕のこの行動は奇行でしかない。

 その事を分かっているからこそ、学校で変人扱いされ、避けられている事には納得していた。


 考えてみてほしい。

 学校の帰宅中、前を歩いていた生徒が急に立ち止まり、何かに向かって手を伸ばしたと思ったらニヤニヤと笑いだしているのだ。


 誰もが思うであろう。

 なんかヤバイ奴、厨二病の類い、変人オブ変人…

 話しかけちゃいけない奴だ。


 僕も、そんな奴がいたらそう思ってしまうだろう。




 ただ彼女は違った。


「じゃあ、地面はどう見るの?」

「………えっ?」

 その時、その年、初会話アンド女子生徒との初会話と、二つの初めてを彼女は僕から奪った。


 彼女は名を空架と名乗り、放課後、真っ直ぐな視線を飛ばして質問してきた。

「あなた、地面はどう見るつもりなの?」


 女子と話したことのない僕は、少し恥ずかしく、空架から目をそらしてしまう。

「じ、地面って…地球って事?無理だよ、無理無理。僕が地球を隠すなんて」

 その時、何故か少し空架の顔が曇ったように見えた。

 なんだろうと思いつつ、僕は空架にわかりやすく説明することにした。


「僕が手で何かを隠す時は、いつも下に地面、つまり地球の上に乗っかりながら隠しているんだ。それを僕の小さな手で隠そうなんて、無謀が過ぎる。悲しくなるだけだよ」

 と、早口で言いたいことを全て話し終えて、空架へと顔を向ける。


 言いたいこと、なんて言ってみたが僕は当たり前のことしか言っていない。

 例えるなら、なんで名前ってあるの?レベルの当たり前度だ。


 それなのに彼女は、

「分からないわ」

 分からなかった。


「僕の話の何処が分からないの?」

 さっきの話、どこか言い間違えたかと不安になる。

 そう思っていたが、空架の返答はこうだった。

「全て」


『全て』というのは僕の願望の全てということなのか、それともまた僕とは別の何かのことなのか。

 そんな内容の返答を言おうとしていたが、空架は話はまだ終わってなかった。


「あなたの願望、視界に入る全ての物を隠したいんでしょう?じゃあ、その『全て』になんで地面を入れないのかが、分からないのよ」

 ま、まあ確かに。

 そう思ってしまった僕の目の前には既に空架の姿はなく、振り向くと彼女の後ろ姿だけが見えていた。




 その日以来、僕はモヤモヤとする気持ちが心の大半を占めていた。


 いつも楽しみにしていたはずの散歩の時間でさえ、心の底から楽しめない自分がいる。

 何かを見つけても手で隠そうとも思わないし、いつもは気にしていなかった人の目まで気になり始めた。


 なんだか、最近の僕はおかしい。

 そして、その原因は分かりきっている事だった。




 初めて話した時から実に一週間後。再び空架は僕の目の前に現れた。

 僕がモヤモヤしていた一週間、空架の姿を見る事はなかったので、少しだけ懐かしい感覚だった。


「あら?顔が曇っているけれど、果たして地面を隠す事には成功したのかしら」

 空架は、意地悪そうな顔をしてこちらを見ていた。

「おかげさまで最悪な一週間だったよ。歩いてる時もずっと下が気になって、他のものを隠す気にもならなかったよ」

 会ってまだ二回目の関係なのに、もう緊張はしなく、自然な態度で話すことができた。


「諦められないんだ……出来ないと分かっているのに?」

 と、空架。


「…ああ、そうだ」

 少し悩んだが、本心で話す事にした。

「君から地球の事を言われるまで、考えもしなかったね。自分の手で地球を隠す。そんな事を考えると、他のことなんかどうでも良くなってくるんだ。けど…」

「けど?」

 空架が首を傾げて、聞いてくる。


 僕は一呼吸置いてから続けた。

「けど、所詮は願望でしかない。例えると、僕は二次元の女の子に恋をしちゃったオタクの様な感じなのさ。願えど、決して叶わない。僕は叶わないなんて分かりきってるんだ。だけど、諦めがつかないんだよ…。これからどうすれば良いか…分からないよ。」

 僕は、最終的には頭を抱えながら話していた。


 それから少しの間が空いて、空架は僕に向かって笑いながら話しかけてきた。

「あんたって、変人ね」

 グサっ!

 変人だと思われているのは分かっていたが、対面で言われるのは強烈だな。


「君も僕と話しているだけで充分変人だと思うよ。」

 この、僕が少しジョークを挟んでみたくなったの使った言葉を空架は、

「そう、私って変人なの!」

 間に受けた。


「あの…今のはジョークだからね?」

 と、フォローをかけておいたが、空架の顔は真面目な表情になってもう一度、

「私、これから変人になるの」

 と、空架は答えた。


 空架の答えになんて言えばいいのかと考えていると、

「私ね、宇宙の謎を解き明かしたいのよ」

 と、ファンタスティックな事をまたもや真面目な表情で話し始めた。


「小学校で初めて星の授業を受けた時に思ったのよ。星っていくつあるのかなって。それから調べていく内に、どんどん宇宙について知りたくなっていったの。けれど、今の宇宙研究所だとせいぜい行けて火星まで。それは違うの」


 少しずつ熱が入っていっていたが、ここでますますヒートアップする。

「私は、生きている内に宇宙の全てを知りたいの。だから、そんなとこ行ったって私の願望は叶わない。だから、」



 今度は、僕の目を見て言い放った。

「だから私、学校を辞めるの!」


「学校を辞めて独学とアイデアで、宇宙へと移動できるシステムを作る。何が何でも作る。私もあんたと同じで、それ以外の事は考えられないタチなのよ。で、提案。」

「…あ、ああ」

 この話を聞いていた僕は、想像の斜め上の話に処理が追いついていなかったが、なんとか次の話の内容だけは理解していた。


「あなたも学校辞めて、私と宇宙に行きましょう!そうすればきっと、あなたの願望も私の願望も叶うはずよ!」

 そう言われて手を差し出してくる。


 初めは、何が何だか分からず、空架の顔を見ると…

 空架の顔は初めて笑顔になっていた。


 その笑顔を見た瞬間、僕はその後の人生を分かるであろう決断を迷いなく終わらせていた。





 そうして今、僕はここに立っているのだ。


 僕は前にいる彼女の後ろ姿を少し見ると、視界に見える、青く美しく丸い惑星を手で隠した。






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