3-1 「煤けたお姫様」

 座ったまま、寝てしまっていたようだ。

 ルルが膝の上に乗っかったままだったから寒くはなかったが、腰のあたりが悲鳴を上げている。


 彼女を抱きかかえて、ベッドへ寝かせる。背伸びをすると、寒々とした空気が服の中に入ってくる。だが、これくらいなら暖房をつけなくても大丈夫だろう。

 いや、ルルが大丈夫かどうか分からないな。子供は自分の体調を顧みることができないから、すぐに風邪を引いてしまう。子供の内は風邪を引いてナンボだとは思うが、お日様にあたることができないというハンデを考えれば、ストーブをつけてやるのが良さそうだ。


 変な形のストーブだ。円柱ではなく、球に近い形をしていて、子供が触れて火傷をしないように檻で囲ってある。この世界にしては珍しく、石油で動くタイプのやつ。魔力資源が枯渇しているのもあって、アンラサルではこれが今の主流なのだろう。


 いよいよ、今日、エミーの病院がある町「シャルクド」に到着する予定だ。アンラサルの中心に位置する王城から東へずっと進むとある町で、割と人口が多いらしい。立地上、山からの資源が流れてきやすいから、医療の研究もしやすかったのだろう。

 ディアの言う通り、無駄足に近いものになりそうな気はする。結局ただ同名の人物であるという可能性は無くはないのだし……というかその可能性がほとんどだ。今俺の手元にある「エミーの魔導書」は、百年前にサングイスが持っていたもので、しかも、別大陸の国の言語を翻訳したものだった。つまり、書かれたのは百五十年から二百年ほど前。この世界だからありえなくはないが、普通だったら死んでいる。

 ただ、エミーの病院は、革命軍が形成されているという話も聞いている。情報屋が国家転覆を企む人間の情報を流すくらいだから、国の警備システムも破綻しかけているのだろう。そう考えると、今いるこの町は、割と平和なのかもしれない。物乞いをする人も、倒れる人も、体を売る人もいないから。


 問題はどう幻魔にアプローチしていくか。

 彼らの中枢悪を排除する、そう一重に言っても、どうやって「中枢悪」を判断すればいいのか。彼らの理想は「魔物との共存」。それをするために、魔物を崇拝する。崇拝しない人間は穢れていると言って、「浄化」という名の殺戮をする。その思想自体は紛れもなく悪であり、排除すべき思想だが、その思想の出所は一体どこなのか。一国を支配するほどのカルト思想はありえない。この倫理では、必ずどこかで破綻するはずだ。となるとこの思想は「裏」のものだ。表向きはやはり、「魔物との共存」のみを掲げているのだろう。エーギルンの大部分は、そうやって支配されているはずだ。そうなれば、裏を支配する奴がいるし、殺戮のためだけに動く集団がいる。そこを壊す。ディアたちが聞き込みでこの辺の情報を探ってくれれば好都合なのだが……そう上手くいくとは思えない。もしもまとまった収穫が無かった場合は、こちらにもギルドのようなシステムはあるようだし、それを使ってスパイを送り込むってのも一種の手かもしれない。

 ……そもそも、俺が判断してもいいものなのだろうか。誰かの正義を否定できるほど、俺は賢い人間じゃないし、俺自身の正義もあやふやだったりする。二極端に考えること自体も間違いだ。


 ルルがゆっくりと起き上がった。寝ぐせだらけの髪だが、相変わらず映える。


 そうだな。

 こいつらには幸せに生きてほしい。


 幻魔教という大きな不安因子がある以上、確実に潰してやる。



 ☆



 馬車に揺られるルルは、興味津々に外を眺めている。

 煤けた石壁、ペンキの剥がれた看板、店頭に並ぶ果物と野菜、特に何も考えずに歩く通行人、誰かが落したパンをついばむ鳥……。


 流れていく風景は、お世辞にも綺麗とは言えなかったが、彼女にとっては輝いて見えるのだろう。俺だって、子供のころはそうだった。今は知れたことが多くなってきて、新しいものに興味を抱かなくなってしまった。異世界だというのにな。こうして老いていくんだろうな、人間って。



「――――お願いしますぅぅ!!!! やめてくださいぃ!!!」



 突如、静けさを破る、悲鳴にも似た懇願が聞こえてきた。ルルも俺も外を見ると、何人かがもみあっている。さっきの声の主が中年の女だということが分かった。涙交じりに、何度も何度も繰り返している。三人の衛兵に向かって叫んでいるらしい。

 その女がしがみつくのは、年齢を判断しづらい男だった。恐らく彼女の息子。何故判断しづらいのかと言えば、格好に全然気を使っていないからだ。髪型は坊主が少し伸びたような感じで、上下灰色の寝間着を着ている。

 ……その男は、暴れてはいるが、なんだか変な動きだった。子供っぽいというか、何というか、力任せに「不快」を取り除こうとしているだけに見えた。


 ルルは何か悪いものでも見たかのように、俺の胸へ目を伏せた。人の死体を見ても何も思わなかった彼女が、だ。誰かの心の、恐ろしいものを見たのだろう。衛兵の中の一人だろうか?



 ……なるほど、「生命税」か。

 生命税を払えなかった人間は、こんな風に強制的に連れていかれるのか。衛兵たちは心なしか、辛そうな顔をしている。それがどこから発生したのかは分からない。前向きな生命税に対する嫌悪か、それとも単に、暴れる男が嫌いなのか。


 馬車は、無情に、それを通り過ぎた。

 俺は彼を助けることができたのかもしれない。だが、そう簡単にこのルールは破って良いものなのだろうか? そもそもこのルールは市民を助けるためにあって……あぁダメだ。俺も理由をつけて、助けようとしない。


 ルルが震えている。どっしりと構える岩のような感性を持っていると思っていたのだが……俺には理解できない恐怖もあるんだな。人の心、それを理解できる世界はどんなものなのだろう。



「大丈夫だルル。もう通り過ぎ……」


「アハハハハハハ!! アハハハハハ!!! 清々したわ!!! アハハハハ!!!」



 俺の言葉が笑い声にさえぎられた。

 母親の声だった。乾いていて、どこか頭がおかしい……否、至って正気だ。何故だか分からないが、俺はそう思った。声のトーンだろうか? 遠目だから正確性はないが、涙が渇いていたからだろうか?


 ルルは……あの女の心を見たのか? それとも全員の心を見たのか?


 分からない。ただ、落ち着かせるのが先だ。



「大丈夫だ、ルル。大丈夫、大丈夫……」



 何も根拠はなかった。だから、ルルは落ち着かなかった。

 彼女が恐れているものは、世界の不条理さ、人間の不完全さ、邪悪さ、傲慢さのどれだろうか。いや、もしかしたら全てかもしれない。



 俺は……どうすべきだったのだろうか?

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