2-7

 「殺した」と誰もが思った。

 人の体などいとも簡単に貫けるレイスの銃を、何発も、頭に受けたのだから。いくら魔力を膨大に持っているとはいえ、銃弾をゼロ距離で受けきれるほど強固な守りではない。加えてあの様子だから、防御魔法を展開したとも思えない。


 そして、騎士たちは知っていた。レイスの血が冷たいことを。


 ヴァンクール騎士長レイス。

 民営騎士団という特殊な環境のリーダーに彼が就いているのにはもちろん理由がある。


 もともとヴァンクールが発足したのは今から百年ほど前、ちょうど「大厄災」が起こった後のことだった。アンラサルは国土が四分の一になるほどの攻撃を受け、王国機能が一時停滞。即ち、騎士や貴族の領地統治が行われなくなったため、そこかしこで犯罪が起き始める。それを取り締まるために、市民が協力して作ったのが「ヴァンクール」であり、民営騎士団と呼ばれているものだ。通常「騎士」とは、王のもと人武器を使って戦闘を義務付けられた人間のことを尊敬の意味を込めて呼ぶものであるが、これの「王」が「市民」になっている違いがある。

 騎士長になる人間は、必ず「冷血」である。場合によって人の命を奪える権利がある以上、「命」を簡単に奪えるほどの度胸が無ければいけない。レイスの戦闘スタイルである、右拳銃・左長剣は、確実に相手を殺すためのモノだった。

 彼の功績は様々だったが、その中でも大きなものは、犯罪組織に単独で乗り込み、その巧みな話術と弱そうな見た目で油断させ、内側から崩壊させたという話がある。事前に殺すことが決まっていた人間は決まって眼球から脳を撃ち抜かれ、後に投票で死刑が決まった人間も、執行人を彼が務めた。

 戦闘の技術は勿論のこと、精神的な強さも群を抜く。エクスダイア家の「真実ウェルス」という特殊魔力も相まって、最強の人間。少々自己中なのが玉に瑕だが。



 さて、前置きが長くなったが、要は場が「凍った」のだ。

 何の罪のない少女を殺した、でも騎士長ならやりかねない、と。





 ……一瞬でも心配した自分がバカだった。

 ビルギットはそう思った。


 確かに、弾丸はディアケイレスのこめかみへと放たれた。しかし、当然といえば当然のこと、弾丸は彼女の脳天を貫通することは遂にあり得なかった。

 ただそこに彼女が居ただけ。たったそれだけの光景が、周囲に戦慄を走らせる。



「満足か?」



 ディアが低く呟いた。



「……ハハハハ、マジかよ」



 無論、レイスも殺すつもりはなかった。銃を素手で止めるほどの実力……というか体の強さだったから、きっとこめかみゼロ距離射撃でも彼女なら何とかするだろうと踏んでいた。

 ただ、少しくらいは「傷」がつくだろうと思っていたが、彼女は無抵抗無傷でケロッとしている。さも生きているのが当たり前かのように、そこに居るのだ。



「あぁ終わりだよ。約束通り、幻魔について俺たちの持っている情報すべてを話そう」


「……はぁ」



 ――――レイスは痛感した。

 彼女には「消す」能力があることを。


 何よりもその証拠として、今さっき撃った弾丸が「消えている」。どこにもないのだ。弾いたわけでもなければ、掴み取ったわけでも、飲み込んだわけでもなく、消えている。

 ……どんなに強い生き物も、内臓や、目や耳などの感覚器官は弱い。外の情報を取り入れないといけないのだから、弱くなるのは当然である。無論ディアだってそうだ。音を聞いて話すことができるのは、耳の奥に鼓膜が存在し、それを操る脳があるからだ。だが、彼女は、音速で動いても、耳元で銃を幾度も鳴らされても、それらへのダメージが一切ない。「真実ウェルス」で見れば、尚更はっきり分かる。


 こいつやべぇな。

 彼はそう呟いた。ふざけて発言したトーンでは無く、ただひたすら真剣に「やばい」と感じたのである。それは決して周囲の人間も感じていないことではなかったが、彼のその危機感は、他より一回りも二回りも大きかった。


 凍り付いていた場を最初に動き出したのは、ビルギットたちの背後にいた人間だった。先ほど、声をかけても聞いてくれなかった人間である。内気な彼女だったが、今度こそ意を決して、「肩をたたく」という手段に出たのだ。


 トントン、と叩かれる感触がして、ビルギットが振り返ってみれば、そこにあったのはモップだった。いや、この表現は少し違う。ビルギットのプログラムが、試行回数の少ない状況で導き出した物質に対する答えが「モップ」だったのだ。

 しかしよく見れば、それは前髪が長すぎるだけだった。ビルギットは「どうかされましたか?」と聞き、相手の返答を待つが、彼女は人差し指と人差し指とをくっつけたり離したりするばかりで、なかなか話し出そうとはしなかった。パクパクと口を動かしてはいるが、そこから音が鳴っているわけではないようだし、ビルギットのマイク機能は至って正常だった。


 ――――銀髪の女。

 長い前髪に隠れて見えなかった瞳が、ちらりと見えたとき、それはルビーのように赤かった。魔力量は一般の人間より少ない。しかも、彼女にとってはサイズが大きすぎる寝巻のような服を着ていて、全く手入れのない髪をしていたから、社会不適合者にしか見えなかった。それから、身長が低い。振る舞いや態度から、恐らくは成人しているが……百四十五センチといったところか。


 異質だ。異質なこの空間においては、「普通」が異質なのだ。



「あ、イブ。珍しいな」



 こちらに気が付いたギルバードが話しかけた。



「あ、え、と、その……ご、ご無沙汰です!」



 ギルバードとは面識があるらしく、まるで彼を上司かのように扱った。本当のところはどうなのか、ビルギットには分からなかったが。



「どうしたんだよ。確かお前は、幻魔調査に行ってただろ?」


「そ、その、終わりました」


「……随分早かったな」



 幻魔調査……今確かに彼はそう言った。

 この人はそんなに危険な仕事をしているのかと、ビルギットはまた疑問に思う。恰好を見ても寝間着にしか見えないし、態度を見ても弱そうにしか見えないし、魔力は子供レベルぐらいにしかない。どう考えたって、ここにいるべき人間ではなかった。



「えぇと、何の御用でしょうか?」


「あ、えと、その……今、戦っている女の子って、貴方の娘さん、なんですよね?」


「いえ、娘では……」


「あ、や、その、そんなつもりで言ったんじゃないんですぅ! えぇとその、血のつながりとか、そういうの関係なくて、だから事実的に家族かどうかじゃなくて、えぇと、えぇと……!!」


「すまないな、ビルギット。イブはずっとこんな調子だ。あとでゆっくり話す機会があると思うから、そう焦らなくてもいいと思うぞ」



 挙動不審な人物だった。喋らないと思ったら急に早口になったり、動かないと思ったら全身を使って言葉を表現するし……。


 何か怒られるようなことでもしたのでしょうか私。

 幻魔調査の実地に赴いている人物が、私に何の御用なんでしょう?


 ビルギットはまた一考してみたが、結局答えは見つからなかった。



 「はい、解散! 各々仕事へ戻れー!」というレイスの声により、周りの人間がやっと動き出した。

 イブと呼ばれた人物は、反対に、動かなくなってしまったが。先ほどと同じように、何かを伝えようと何かの身振り手振りを行ったり、口を動かしたりするが、結局ビルギットはおろかギルバードにさえも伝わることはなかった。


 ディアケイレスが、のそのそと、ここへやってきた。

 撃たれた部分をぽりぽり掻きながら。


 すると、やっと、イブはビルギットに用件を伝えた。





「――――その、紫の女の子の、汗を、ください!!」





 また、一同が凍り付いた。

 まるで思春期の女子が男子に告白するかのような紅顔で、とんでもないことを口走った女に、軽蔑と恐怖と驚愕が入り混じった視線が向けられる。



「あ! いや、その、えぇと、えぇと……あ、あぁ……」



 名探偵に追い詰められた真犯人の如く狼狽えると、今度はぺたんと座り込んだ。

 そして、



「――――うわぁぁぁぁん!!! れいすぅぅぅ!!!!」



 大声で泣き始めた。すると周囲の人間は、「なんだいつものことか」と言いたげに、仕事へ戻っていく。先程の戦いでも似たような感覚があった。異質な光景を論理的に説明することができない、即ち「カオス」。


 こいつやべぇな。

 ビルギットはそう思った。

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