9-3

 アビーとユーグ、それから、疑っていた賢い冒険者たちの予想は、「良い意味で」外れた。


 というのも、彼らは「布教活動」を早速始めたわけだが、無理に教えを押し付けず、さまざまな「奉仕活動」を通して親切に伝えていった。例えば、仕事に疲れた人々に料理を振る舞ったり、魔物との戦闘で傷を負った冒険者を癒したり、壊れた建物を直したり、家出をした子供を連れ戻したり……ともかく、「良い事」を喜び勇んで行い、人々は幻魔教の意思に少しずつ耳を傾け始めていた。加えて、美女揃いだったため、男は特に、幻魔教に興味を持ち始めている。



 しまいには……「紅い月の警備の手伝いをする」と言い始めた。



 あれから、ユーグは冒険者たちに酒を禁止したが、やはり聞かない奴は聞かず、いくらか人員が削られてしまった。今いるメンバーだと、怪我人はおろか、町の人にまで被害が出てしまう恐れがあった。


 夕方。だが、今日の空はどこか暗い緑色をしていて、いつものような赤色ではなかった。「紅い月」は雲に覆われていれば起こることは無いが、それでも警備を怠るわけにはいかない。事実、雲に僅かな隙間があるから、絶対に魔物が狂暴化しないとは言い切れなかった。





 故に……ギルド、もといユーグは、彼らに手伝いを求めた。





 アビーも承知の上だった。今まで彼らをこっそりと見てきたが、特に怪しい行動は無かった。まだ「安全である」と判断するには早いと思ったが、背に腹は代えられない。使える戦力は使っていかなければ、こちらが負ける。

 彼らが弱いというのはあくまでも「幻魔教として」であり、普通の冒険者パーティだとしたら、かなりの強さがある。レンという男はそこまで魔力を持っていないが、部下と呼ばれた者たちからは、研ぎ澄まされた魔力を感じていた。防衛戦でも十分な活躍が期待される……。



 ☆





 ――――死のう。





 ルベルはそう思った。



 皆は、自分がいない方が幸せだ。アネゴも、自分がいない方が幸せだ。

 モトユキくんも、ディアちゃんも、自分が嫌いだからいなくなったんだ。



 自分のベッドに仰向けになり、アビーの作った飯に手を付けず、暗い部屋で天井を眺める。とても悲しいのに、涙は一滴も流れてこない。ただ漠然とした、心の穴だけが。


 ルベルが帰ったとき、確かにアビーがいた。優しく出迎えてくれる上に、自分の仮面や行動のことについて何も言ってくることが無かった。それが何よりも辛く、苦しかった。

 そして、手の離せない仕事があると言って、いなくなった。



 自分は一体、何人を傷つけただろう?

 学校でルベルは、誰とも話せなくなっていた。だが、ガスに逆らうことが許されず、学校から逃げることもできない。



 それならいっそ、死んでしまおう、と。

 それがルベルなりの抵抗であり、謝罪であった。



 人の物を取り、弱みを売り、悪口を言い、暴力を振るい……


 機械といえど「大切な物」を壊し、


 魔物といえど「小さな命」を奪った。



 まだ、自分の意思に完璧に反する事なら、自分は善だと、被害者だと信じることができた。

 ただ、自分の今までやってきたことは、全て「一度考えたことがあるもの」。

 自分も、ガスと同じくらい……悪い奴だ。





 ……どうやって死のうかな。

 皆の迷惑にならないようにしなくちゃ。


 ……どうやったら死ねるんだろ?

 なるべく苦しくないやつがいいな。


 ……アネゴに謝らなきゃ。

 お礼も言わなきゃ。


 ……お腹空いたなぁ。

 でも動きたくないや。





 孤独。

 ただただ、孤独。


 次に来るのは無気力。

 ただただ、なにもしたくない。





 ふと、気が付くと、ルベルは大勢の人に囲まれていた。


 彼らは、顔が黒塗られていて、分からない。

 だけれど、漠然とした「恐怖」が襲ってくる。


 何か良く分からない言葉を投げかけてくる。

 目が回ってるみたいに、ぐわんぐわんと視界が揺れる。



 ――――痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!!!??



 自分の右腕に、刃物が押し当てられて、表面を薄く、剥がしていく。

 メリメリ、メリメリメリメリ………!!


 痛いのに、声が出ない。息もできない。

 剥がれた後の、赤い腕に、血が滲んでいる。


 剥がされた皮を、顔の目の前に持ってきた。

 錆びた鉄の臭いがする。



 ――――嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!!!!



 今度はそのナイフが足元へ行って、右の親指を、





 ――――切った。





 鈍痛だった。思っていたよりも、痛みが無い。いや、痛すぎて分からない。

 だけど、大人につままれている自分の足の親指を見ると、ゾクゾクと、異様な寒気が襲い来る。



 あれ、アタシの、だよね?

 どうして、離れて、いるの?



 それを「理解」すると、果てしない、暗闇に。

 ただのその中で、大人たちの「目」と「歯」だけが、白く。


 それから、次々に、「ナイフ」が輝き始める。

 色んなところから。





 ――――、切られた。





 どこを切られたのか分からなかけど、多分足。

 また切られた。あ、また。

 

 すごく、冷たい感覚がする。

 すごく、熱い感覚がする。

 すごく、気持ち悪い。

 すごく、怖い。

 すごく、痛い。

 すごく、すごく、すごく、すごく、すごく…………。





「……あ」



 必死で声を出したはずだったが、実際に出たのは虫ほどに小さな声。落ち着いて呼吸をして、まじまじと辺りを見回すと、そこはただの部屋だった。何も変わっていない。ミヤビアネゴとともに過ごした部屋。


 どうやら夢を見ていたようだ。もう忘れたと思っていたのに。

 あぁ、そうだった。そもそも自分がこんな目に遭ったのは、「お母さん」のせいだ。


 「お母さん」? それは良い言葉なの?

 悪魔と言った方が、まだ。


 でもどうして……忘れられない?


 たった一度でも好きと言ってくれたことないのに。

 たった一度でも頭を撫でてくれたことないのに。

 たった一度でも絵本を読んでくれたことないのに。


 「レセルド」と自分を呼ぶその声を、未だに……。

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