9-2

 モトユキたちの見送りが済んだ頃、アビーは再び仕事場に戻っているのであった。彼女はどことなく不安を感じていた。決して、彼らの安否を心配しているのではなく、むしろ逆。


 ――――本当に、「幻魔教」ではないのか。


 「幻魔教」、それは、魔物を崇拝する宗教。人間の上に魔物を君臨させ、人間を「餌」として献上する狂った連中。ともかく、アビーの中では最悪なイメージしかない。

 いつもなら溜まった仕事を見てため息をつくのだが、今日に至っては違う意味のため息。重い感情を空中にぶちまけた。



「……あれ、僕、なんかやらかしました?」



 そんなアビーに声をかけたのが、仕事仲間兼弟子であるバートだった。筋肉質な大柄の男で、短い髭を生やしている。



「……いや、気にしない、で」


「そういえば、ミヤビさんの家にお世話係になったんですよね」


「まあ、ね」


ドナート息子から聞いたんですけど、ルベルちゃんが最近遊んでくれない、元気がないって言ってたんです」


「……ミヤビと、喧嘩、してる、らしい、わ」


「親子喧嘩……いや、姉妹喧嘩と言った方がいいのかな……」


「一応、親子、よ」



 ミヤビは二十三歳、ルベルは十三歳。実は、年齢は十歳ほどしか離れていない。ミヤビはルベルのことを「子」と言い張り、ルベルは「姉御&師匠」と言う。アビーにとっては、どちらも子供にしか見えないのだけれど。ミヤビが母親らしいかと聞かれたらそうでもないし、かといって姉らしいかと聞かれてもそうでもない。「ただ一緒にいるだけ」のようにも見える。



「ま、ぼちぼち、がんばる、わ」


「なんで、そこまで、ミヤビさんに肩入れしてるんですか?」


「……竹馬の友、って言ったら、少し違うわ、ね。アタシの方が、年を取りすぎてる、わ」


「アビーさんっていくつなんですか?」


「女性に、年齢を聞くのは、失礼。でも、教えて、あげる。――――四十よ」


「……え!?」



 バートはリアクションがとても小さい方なのだが、これに関して驚いているところを見ると、アビーは複雑な気持ちになった。



「もっと若いかと」


「あら、どうも。プロポーションには、自信がある、の」


「あんまり子供たちの前に出てほしくない格好をしてますね」


「あらあら、おしゃべりする時間、そんなに、あるの、かしら」


「……」



 アビーがそう言った瞬間、受付嬢のエメリーヌがたくさんの武器を抱えて持ってきた。どうやら、帰ってきた冒険者たちが武器の調整を依頼したらしい。



「さ、仕事の時間、ね」


「……がんばります」



 ☆



 昼下がり、突然の来客。

 静かな訪れだった。ダラムクス周辺には一応「警備結界」が張られていて、よそ者が近づくと、ギルドの警備係が知ることができるようになっている(モトユキ等の場合はミヤビが手を回していた)。しかしながら、その「警備結界」に引っ掛からず、突如、ダラムクスのギルドに訪ねてきた集団がいた。



「アビーさん、なんか、変な人たちが!」


「……変な、人たち?」



 エメリーヌに言われて仕事場を抜け、クエスト受注所へ向かう。アビーの目に飛び込んできたのは、大きな黒いフードマントに身を包み、顔の分からない、十数人程度の集団だった。一足先に酒を飲んでいた調査隊のメンバーも、その異様な光景に固まっている。


 その集団を統べているであろう者、一人だけ「赤い」フードマントの者が、その深くかぶったフードを外し、こう言った。





「――――どうも、こんにちは! 『幻魔教紅緋派代表』、レン・アメノと申します! ブライトンという方はどこにいらっしゃるのでしょうか?」





「幻魔教……?」


「幻魔教って何?」


「さぁ、知らねぇ」


「つか、警備は何してんだよ」


「なんか、ヒョロい男だな」



 冒険者がヒソヒソと話す。

 赤いフードマントの男は、中肉中背で、それなりの美青年だった。にっこりと笑うその顔とはきはきとした声は、冒険者たちには疑われつつ、割と良い印象を与えた。



「冒険者のユーグと申します。すみません、マスターブライトンは、今もまだ、ダンジョンを調査中なんですよ」



 共に帰ってきていた、金級冒険者ユーグが答えた。一応、一番マスターに近いとされている人物で、ブライトンからの信頼も厚い。ブライトンとはまた違って、長身で細身の男だ。



「……ダンジョンを、ほう。それはどちらに?」


「それは言えません。それと、先にこっちの質問に答えてください。警備魔法をどのように抜けてきたんですか?」


「見つかったら殺されるかと思いまして……それと、うちの部下は結構優秀なんですよ。ほら、アンゼルマ、顔を」


「……」



 アンゼルマと言われた女性が前に踏み出し、その顔を表に出す。赤髪の非常に美しい女性で、髪色と同じ赤い瞳で真っすぐとユーグを見つめる。男だらけの冒険者は、一気にどよめき、集団への印象ががらりと変わった。



「こいつには、魔法を無効化する能力があります。これで、弱い僕たちも、いろんなところを冒険することができるんです」


「……なるほど。それで、『幻魔教』さんが、どんな用事でうちに?」


「なに、難しい話ではありません。宣教師は宣教師らしく、布教する活動の許可を、と思いまして」


「……ダラムクスには、そもそも宗教がありません。先の紅い月の影響で、神など信じている暇もないんです。一重に宗教と言っても、信じる人はいないといないと思いますが」


「いえいえ、私たちが信じているのは神ではありません。というのも、人が信じる神像は十人十色、別に私たちはそれを統一しろと言っているのではありません。故に、どんな神も信じていただいて構いません。ただ、私たちが掲げ、伝えたいのは――――『命の尊さ』」


「……命の、尊さ?」


「ええ。主にの」



 それを彼が言ったとき、場の空気が凍った。冒険者たちは、顔を見合わせながら、今一度彼らのことを話している。無論、ユーグも不思議に思っている。



「魔物の、ですか。失礼ですが、そちらは、ここがどういう場所か分かっているんですよね?」


「はい」


「――――私たちに仕事を辞めろ、と?」


「え!? いえいえ滅相もございません! あ、そうでしたかそうでしたか。いやいやすみません! 皆さんに不快な思いをさせてしまって。ええとですね、私たちは別に、魔物を狩ることを敵対視してないんですよ。そうしなければ人間は守れませんし、その上、魔物の体を利用して得る恩恵は大きなものです。我々の食となり、服となり、道具となり、時には家にもなるでしょう。それを奪おうとは微塵も思っておりません」


「じゃあ、一体、何をしろと?」


「『魔物の命』に感謝をしましょう! ってだけです。魔物を狩ること、それは人間にとって必要なことだと言いつつ、感謝をしないのはあまりに傲慢です。私たちは神に命を与えられましたが、魔物たちもそれは同じです。だからこそ、『感謝』を勧めているのです」


「……」



 柔らかい性格の男だと、その場の全員が思った。ユーグの冷たい対応にもにこりと微笑んで、明るく対応している。彼の心が本物であると確信したが、胡散臭さは今も消えない。ただ、これ以上話すのも無駄だろうし、気を取り直して酒を飲みたいと思っている者が大半だった。



「で、本題の許可の方なのですが……」


「……しばらく待ってください。ブライトンが帰ってきてから、また話しましょう」



 話題を先送りにするユーグに冒険者たちが投げかける。



「おい、ユーグのおっさん。そいつら悪い奴には見えねぇよ。とっとと許可出してやれよ」


「あんたも見ただろ!? アンゼルマちゃんの美しさをよぉ!!」


「フハハハ、もしかして照れてんじゃねぇだろうな」


「無駄無駄、ユーグさん幾つだと思ってんだよ」



 冒険者たちの笑い声でその場が包まれる。酒を飲んだ男どもの、うるさい笑い声だ。



「うるっせぇ!! 酒禁止にするぞ!!」



 ユーグが怒鳴った。その声により周りは委縮する。本来なら、レッドモルスドラゴンが出た時点で酒は禁止というルールになっている。だが、どうせ夜にはぬけるんだから、という理由で押されたものだから、ユーグはしぶしぶ酒の許可を出していたのだ。



「コホン。取り乱しました」


「あぁ、は、はい」



 男は分かりやすく動揺している。



「民衆から金を払わせるのは禁止、という条件で許可します」


「あ、ありがとうございます。で、では私たちはこれで」



 彼らは一同に礼をしてから、ギルドを出て行った。ユーグはそれを確認すると、アビーを見つけ、彼女の手を引いて奥の部屋へ連れて行った。アビーはこのギルド内でもかなり上の立場にいる。酔っぱらった金級冒険者との話よりも有益だと判断したのだ。

 冒険者たちはしばらく沈黙していたが、やがて今のことを忘れることにして、飲みなおすことにした。



 アビーの仕事場にて。



「……アビーさんは、どう思いますか」



 低い声でユーグは言う。いつになく真剣なトーンだと理解し……というより「幻魔教」だと聞いた瞬間から、アビーも真剣な表情をしていた。



「幻魔教……私のいた、アンラサルでは、本当に、狂ってる集団、だった、わ」


「……どんなふうに?」


「人間を魔物に食わせる、の。でも、今回はなんだか、少し違った、わ。『紅緋派』って初めて聞いたし、なにより、あの集団は、あんまり強く、なかった。本当なら、祝福の使える、『転生者』をたくさん使って、いるのだけれど。みたところ、転生者は、あのレンという男だけ、だったわ」


「それも、魔力は一般人程度……」


「えぇ。身体つきや話し方を見ても、とても、戦えるとは、思えない」


「となると、本当に彼の言う通り布教活動だけ……?」


「慈善団体にも、程があると思うの。彼らは、金儲けをしないという条件を、すんなり飲んだ。ここは、ダラムクス、よ? 田舎も田舎で、アンラサルから、船が来ることなんて、一年に一回程度。そんな田舎に、わざわざ布教? あまりに非効率、だわ」


「……ともかく監視が必要ですが……あぁクソ。あの馬鹿どもが」


「まぁまぁ、落ち着いて。そろそろ、普通のクエストに、行ってる人たちが、帰ってくる頃だから、その人たちに、頼めばいい。そして、紅い月の、こともあるから、酒を飲むのを、やめさせて。それから、正常な判断が、できる人たちを、集めて、もう一度話し合い、を」


「……分かりました」


「それと……いや、やっぱり、いいわ」


「……?」



 アビーはモトユキたちにも監視をつけようと思ったが、幻魔のスパイだとは考えられなかった。彼らがそうだと仮定すれば、ますますここに来る意味がなくなるし、わざわざいなくなる理由もない。アビーにとって、のも幻魔ではない証拠だった。

 それに、あまり多くは監視役につかせることができない。「紅い月」の警戒もしなければならなかったから。


 アビーは完全に黒だとは疑っていなかった。彼の人柄の良さがあの会話で垣間見えている気がしたからだ。

 ただ、なんとなく気になるのが、右側だけ上がる口角だった。

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