9-4

 「土」の日。

 結局、紅い月は来なかったが、ギルドはまた今夜に備えなければならない。アビーはひと眠りするために、ミヤビの家に戻ってきていた。

 彼女はルベルと入れ替わりになった。いつもの通り、顔を隠すための仮面をつけて、何も言わずにそそくさと出て行く。その光景を眺め、少し心配になったが、自分の作った夕食をしっかり食べてくれた跡があったから安心した。


 きっとすぐにおさまるだろう。

 そういう考えがアビーの中にあった。ミヤビとルベルが喧嘩をすることなど、珍しい事ではない。昨今はあまりその話を聞くことは無かったが、初めの方は本当に酷かったな、と思い返す。


 五年前、ミヤビが冒険者になりたての頃。彼女が女の子を拾ってきた。酷くボロボロで、言葉にするのも辛いくらいの、女の子。ダラムクスには小さな孤児院があったが、他の子どもたちが怖がってしまうから、結局ミヤビが育てることになってしまった。その時のミヤビはいつも不機嫌で、「不愛想だ」「可愛くない」なんて、平気で愚痴を言う。呼び名が欲しいと言われたから、「ルベル」と提案した。意味は、「黄金の宝物」だが、それはミヤビには教えないことにした。


 それから、一年後くらいか。特にミヤビが不機嫌な日があった。いつもはあまり嗜まない煙草を仕事場で吸うものだから、流石に少しだけ苛立った。それをぐっとこらえて、何があったのかを聞いてみると、どうやら喧嘩をしたらしい。ルベルが、「顔が恥ずかしくて外に出られない」と喚き散らしたらしい。「ンなん、気にすんなよ。女々しい奴」とミヤビが言っていた。九歳の女の子なんだから女々しいのは当たり前だろというのはさておき、アビーはそれなりに嬉しい気分になった。

 なぜなら、不愛想、もっと言えば、「無感情」だった彼女が、「自我」を持ち始めたからだ。少し遅い反抗期と言おうか。ともかく、何とか外に出られるようにしてあげたいと思って、「仮面」の提案をした。ミヤビがちょうど金級冒険者になりたてで、そこそこ著名になってきていたから、ミヤビが「仮面」をつけて活動をすれば、ルベルの仮面は「真似をしている」と捉えられるから、騙せるんじゃないか、というもの。


 それは上手くいき、以来、ルベルは活発な子になった。ミヤビも、少しずつ、彼女に寄り添うようになってきた。


 ……ただ、未だに仮面をとれないのは失敗だ。

 いくら、アビー自身が「大丈夫」と言ったとて、ルベルは耳を傾けない。



 彼女の仮面を外させる、それが今後の課題ね……。



 仕事の疲れが回ってきたのか、家事もせず、風呂にも入らず、机に突っ伏したままアビーは寝てしまった。



 ☆



 ガスとの約束を破り、学校をさぼる。死を覚悟したルベルと言えど、なかなかに堪えるものがあった。


 ダラムクスを出て西の森。ビルキットの家の近くだが、そもそも獣道にもなっていないような場所。植物たちが好き放題に生え散らかっている。

 首を吊るために、足を運んだ。


 いい感じの木を見つけて、ロープをかける。ただ何の感情も無くぶら下がるそれは、海から吹いてきた風に弱々しく揺られている。とても今から命を奪う代物とは思えない。


 あとは、あの真っ白な輪っかに首を通してぶら下がるだけなのに……体が鉛のように重い。


 朝、起きる時にも、同じような感覚になった。重くて、とても起き上がれない。自分の存在意義を感じられなくて、起き上がりたくない。それでも、「死ぬため」に、今日はここまで来た。

 アビーの夕飯を、「食べた」と見せかけるために捨て、学校に「行った」と見せかけるために鞄も持ってきた。ガスの約束を破ってしまった今、きっと自分の顔のことを、言いふらされているだろう。でも関係ない。



「……」



 動けない。

 動きたくない。


 仮面を外してみる。火傷跡が空気に触れるが、その感覚が良く分からない。仮面をこっちに向けて、眺めてみる。にこりと無機質に笑うそれは、今から自分が死ぬことなど知らないだろう。気持ちが悪い仮面だけど、自分をずっと守ってくれていた。


 自分の手の指を眺める。五本残っていたのは、奇跡に近い。、ミヤビが来てくれなかったら、十秒でも遅れていたら、きっと、この指はここについてくれてなかっただろう。



「……」



「…………」



「………………」



「……………………」



 何時間ここにいただろう。

 木々に囲まれている上に、曇っているから、良く分からないが、多分、太陽が沈み始めている。



 また、明日にしよう。



 不思議と、足が軽くなった。ほんの少しだけだが。





 家に帰ると、ミヤビがいた。丁度、同じ時間だったようだ。

 帰ってきたんだと嬉しくなったが、「もう一人」、居た。



「あ! ルベル、お帰り!」



 明るく話しかけてくれたけど、なにも返せなかった。



「紹介します! じゃじゃん! ちゃん! これから一緒に暮らすことにしたから、仲良くしてあげてね! じゃ、なんか紅い月近いみたいだから、ちょっと行ってくる! 夕飯はアビーが作ってくれたみたいだから、食べといてね!」



 ミヤビらしい喋り方だったが、どこか、違和感があった。そそくさとしているし、変に気を逸らそうとしている。謝りたかったのに、口が動かなかった。



 ただそれだけの言葉を残し、ミヤビは仕事に向かった。

 そして、ルルンタースと呼ばれた少女と自分だけが、この場に残る。



 女子ながら、「可愛い」と感じた。自分の焼け爛れた肌とは対照的に、白くて美しい肌をしている。作られたかのように顔のパーツが整っているし、宝石のような赤い瞳もとても美しい。


 ミヤビはすべてを話さなかったが、きっと「可愛い」から、孤児院に預けなかったんだろうなと思った。話を少しだけしかしなかったのは、確かに忙しいのもあるはずだが、一番は「自分と話したくないから」だと思った。


 ……思ってしまった。



 ルルンタースは何も話さなかった。じっとこちらを見つめてくるだけで、うんともすんとも言わない。自分にとってはその方が都合が良い。今は何も話したくない気分だったからだ。それに、突然「一緒に暮らす」と言われたところで、信頼できるわけない。


 流石に、この子の前では自殺はできない。だが、今、確実に、死ぬ覚悟ができた。





 寧ろ、愛情を確認できなかったのは、

 もしかしたら、ミヤビが止めてくれるかもという、無駄な期待を、しなくて済むから。





 ……しなくて済むから。

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