2-4

 心臓が大きく鼓動した。同時に目が開いて、意識が水から引き揚げられる。一回、二回と呼吸すればすぐに落ち着く。見覚えのない違和感のある天井だが、何も異変はない。力は暴走していないようだ。


 さっきよりも静寂に包まれたこの空間。締め切ったカーテンの隙間からそっと覗いてみると、未だに振り続ける黒い雪……「死の雪」。曇に包まれた夜は、世界が墨色に見える。

 あの向こうで、銀の月が輝いているのだろうか。


 サングイスが人間を襲っているというのは、あくまでも俺の推測に過ぎない。推理小説や探偵ドラマとかさえも碌に読んだことのない俺が、勝手に考えたものだ。故に穴はある。絶対ではない。

 ただ俺は、この推理が外れていてほしいと思った。


 《念力探知》……サングイスがいない。

 あの書斎で眠っているはずなのに、そこに居ない。


 まだ近くにいるはずだ。

 そう思って、能力を拡大してみる。


 ……下にいる。 冷てぇ、なんだこれ?


 どうやら地下室にいるようだった。地上への階段をなぞると、書斎へとつながっている。それが分かると、俺は急いで部屋を出て、あの書斎へと向かった。昼間よりも静かな空間。そして、足元を漂うひんやりとした空気を感じながら。


 書斎へ入って右手。昼間にはなかったはずの扉があった。いや、正確には本棚がそこに在って、昼間は隠されていた。元々あった本棚は隣へずらされている。よくよく見れば、その床には引きずった跡が付いている。

 ギギィと軋ませながら扉を開いた。階段は下へ続いており、照明もなにもない。先が見えないが、俺の探知だとこの先に部屋がある。しかも結構広い。階段を下りていくたびに、冷気に体が埋まっていくのを感じる。


 これは一体なんだ? 氷魔法の研究でもしているのか?


 なるべく足音を響かせないように。気付かれないように。

 屋敷とは打って変わって、高級感のかけらもない石壁。業務的に作られた空間だ。階段を下りれば無愛想な廊下が伸びていて、扉もなしに部屋につながっている。そこからは青白い光が出ていて、サングイスの話し声が聞こえてきた。

 俺は、壁に隠れるように部屋を覗き込んだ。



 ――――氷漬けにされた女性。



 最初に見えたのがそれだった。俺が「冷たい」と感じていたのはこの氷塊だったようだ。沢山の白い花……恐らく月下美人も一緒に氷漬けにされていて、その周りを取り囲むように魔法陣が描かれていた。典型的な魔法陣だ。俺のイメージ通りの、円の中に規則的な図形があって、難しい文字が並んでいる。この世界において、この魔法陣は複雑な方なのだろうか。細かすぎて、最早一種のアートのようにも思えた。

 そして手前側には、もう一つ大きな魔法陣が描かれている。そっちは発動しているようで、文字から黒い光がきらきら飛び出していた。ただ、発動している魔法陣の中心にあるのは、「氷漬けにされた心臓」……趣味が悪いと思った。


 サングイスは氷の中の女性に向かって、膝を抱えて座っていた。何かをぶつぶつ呟いているが、俺の耳じゃ聞こえない。


 ……なんなんだ、これ?

 異様で猟奇的な空間に、室温とは別に寒気を感じた。


 氷に閉じ込められているのは、サングイスの血縁者だろう。肩のあたりまである銀髪、サングイスとどこか共通点を感じる整った顔立ち、蝙蝠のような翼。そして、体に無数にある縫い針の跡。もちろん顔にも。すごい美人だ、生きているのならば。



「覗き見って、趣味が悪いと思うよ」



 音のない空間に響くのは、銀髪の吸血鬼の低い声。

 バレていたかと思いつつ、諦めて部屋の中へ入った。


 寒い。息が白くなるくらいに。



「ただの変態ってわけじゃなさそうだな」


「……彼女は、僕の実の妹だ。美しいだろう?」


「……」



 後ろを向いたまま、彼は話し続ける。



「兄として、欲情するわけにはいかないよ。別にしているわけでもない」


「……」


「あー、そうだね。君には気付かれちゃったか」


「……何をしているんだよ?」



 なんとなく察しがついた。だけど、聞いてみた。

 彼の口から語らせるのは、非道なことだと分かっていても。



「『死の雪』、あれは僕の魔法。あれで、人間という下賤な下等種族から魔力を巻き上げて、彼女をもう一度この世に戻すんだ」



 立ち上がり、その長身でこちらを見下ろした。部屋を薄暗く照らす幻想的な青の光が、彼を包み込むように輝いた気がした。血のように紅い瞳と、異様に発達した犬歯。それを見せつけるように口角を上げる。えげつない鋭さだ、何もかも。牙は一咬みで致命傷を食らわせられるだろうし、瞳は睨みつけられただけでこちらが潰れそうだし、何より彼を包むオーラが全てを凍てつかせるくらいに冷たい。

 「吸血鬼」という言葉の意味を改めて理解した。



 人間を襲っていた。あの黒い雪で、彼は。

 人間は突き止めたのか、彼のことを。だが小さな大陸とはいえ、その全てに雪を降らすことのできる吸血鬼に、敵うはずは無かったのだろう。



「――――人間。僕を殺すか? 君と同じ種族を、何十年も苦しめた僕を。君の敵だ。文字通り殺人鬼で吸血鬼なんだ。殺すか?」



 昼間とは格の違う風格。だが、彼に戦う意思はない。

 そして何故か、嘆き、苦しんで、叫んでいる。そう見える。



「……」


「君たちは『優しい吸血鬼』と言ったね? 違うよ。あれはただ、君たちが『怖かった』からなんだ。圧倒的な力の差を感じて、殺されないように必死だった。君たちが強すぎる異常者じゃなければ、僕は迷うことなく君たちを殺した……殺して、この魔法の、『死者蘇生』の糧にしていた!」


「……」


「僕は優しくなんてないんだよ。僕は……僕は……!」



 どうしたものか。

 今すぐにこいつを殺そうか。

 それが正解だ。間違いない。


 だけど……俺にその権利があるのだろうか。

 彼は妹の為に人を殺している。

 俺は姪の為に人を殺した。



 ……何が違う?



 俺は何も言わずに部屋に戻った。

 振り返らなかったから、彼がどんな表情をしていたのかは分からない。どんなことを思ったのかも分からない。

 考えたかった。もう一度じっくり。


 昼間に食べた、あのムニエルはおいしかった。

 殺したかったのなら、毒でも盛ればよかったのにな。

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