2-3

「どこから話そうか……」


「ゆっくりでいいよ。時間はあるし。それに俺たち、ここについて本当に何にも知らないから」


「ここの過去も?」


「うん。だからよろしく」



 彼は考え込むようにこちらを見ていたが、何か結論が出たのか小さく頷き、席を立った。すると、大きな地図を持ってきた。といってもこれに全世界が描かれているわけではなく、どうやら一部分だけなようだ。大陸「シューテル」がそこにあり、東側は「アルトナ」、西側は「クロノルス」という名前が付けられている。



「今から二、三百年前……詳しい年数は僕も知らない。特にこの時期は混乱していて、詳しい文献が残っていないんだ。元々この大陸、シューテルには大きな二つの国があった。一つは僕たち吸血鬼の国『アルトナ』。そしてもう一つは、人間の国『クロノルス』。我らが吸血鬼の王は、戦争になることを恐れ、人間たちと同盟を組むことにしたらしい」


「人間と吸血鬼が同盟? そりゃまた珍しいな」



 ディアが食事を終え、会話に参加してきた。俺はまだ半分も食べていないというのに。

 こいつ、吸血鬼についての知識はあるのか。



「かの王は『平和主義』を掲げていた。有名な法律では、『人間の生き血を飲んではいけない』というものがあるくらいだったんだ。当時は既に死んでしまった人間の血を飲むことにしていたらしい」


「へぇ。優しい吸血鬼もいるもんだな」


「優しい吸血鬼のほうが珍しいのか」


「そうだな。少なくとも吾輩が知る限りそんな奴はいなかった」



 吸血鬼とは、俺の世界の認識で合っているのだろうか。人間の血を啜る、獰猛で危険な生物。元の世界じゃそもそも存在しなかったはずだけど。


 警戒が薄れていると言えど、彼はまだこちらを信じているわけではないようだ。俺たちの会話の隅々まで耳を澄まし、真剣な眼差しでこちらを見ている。だが、彼はおとなしい上にこちらに食事も提供してくれた。確かに「優しい」と言ってもいいだろう。こんな状況下で、本人も辛いだろうに。

 まぁ、警戒されるのは素性を明かしてないし、力で無理やりここに上がり込んだようなものだから当然だ。素性を明かそうと思っても、難しいのだけれど。だって俺たち自身が良く分かっていないし。



「だが、そんな王を快く思わない連中もいた。それが『反対派ティニアト』。吸血鬼の国アルトナは、同盟を結んで間もなく、平和派と反対派ティニアトの二つに分かれた。そして反対派ティニアトは同盟を結んだクロノルスを攻撃し始めた。結果クロノルスの怒りを買って、戦争になったんだ」


「……へぇ。なぁ、おかわりあるか?」


「俺のを食っとけ」



 食いしん坊だなぁとは思うが、元はドラゴンだからしょうがない。



「……結果は吸血鬼側の負け。彼らの技術力と数に押された。平和派は戦争に参戦しなかったが、戦火の影響を少なからず受けた。そして、人間の警戒心は解けることなく、アルトナは植民地開拓が進められた。その際、平和派は人間との友好条約を結ぼうと思ったが……それは叶わなかった」


「で、どうなったんだ?」



 ディアの食うスピードは異常だと思う。もう既に食べ終えて、サングイスに会話の催促をするのだから。



「吸血鬼排除、それが人間の選択だ。利害とか一切考えずに、吸血鬼を抹殺する。恐らくそのときの人間は『吸血鬼は裏切り者』と断定していたんだろう」


「平和派は、抵抗しなかったのか?」


「したけど、駄目だったらしい。平和派は人間の血を啜るのを限界まで我慢しているわけだから、君ら人間でいう断食と同じなんだ。だから、反対派ティニアトの連中と比べて圧倒的に弱い。吸血鬼の本来の力を発揮できずに、無残に死んで逝った……」


「……」



 俺は、それを聞いたとて特に何も思わない。確かに「可哀想だな」とは思うのだが、それきりだ。歴史の授業と似たような感覚。資料があるわけでもないから、想像も大雑把。それに、俺が人間側だったら間違いなくしていた。自分たちの命を最優先するのが当たり前だから、人間たちが悪には思えない。


 サングイスが悲しそうな眼をしていることに気が付いた。その瞳はルビーのように澄んだ紅色で、こちらを未だしっかり見つめているが、さっきまで恐怖に震えていたそれはなく、ただ、どこか虚空を眺めているように感じる。

 彼は小さくため息をついてから、ゆっくり言った。



「そして、『大厄災』が起こった」



 ☆



 知らない天井を眺めながら、俺たちは静寂の中にいた。横にいるディアは既に眠っている。ほんの少し前までは、地下深くで封印されていた凶悪なドラゴンだったのに。


 俺の脳の中で繰り返されるのは、今日のサングイスの話。

 

 大厄災として語られたのは、地震、噴火、竜巻、疫病……など。そして、あの黒い雪は「死の雪」というらしい。百年前からずっと降り続けて、ありとあらゆる場所の魔力を吸い取っているらしい。

 もう一つ、「紅い満月」についても少しだけ聞いた。千年前くらいから、魔力濃度(それが何なのかは良く分かっていないが)が異様に高くなる「紅い月」が定期的にあった。そして、今から百年ほど前(大厄災の時)にそれの「満月」があって、今までに類を見ないくらいに魔物が狂暴化したそうだ。結果、吸血鬼はほぼ全滅。人間も文明が衰退するレベルのダメージを受けた。

 サングイスはその少し前に生まれ、吸血鬼最後の生き残りらしい。実に百年の時が経ったが、未だに振り続けるこの「死の雪」のせいで、サングイス自身も外で何が起こっているのかは知らないと言っていた。


 この中で、「死の雪」と「紅い満月」が異質だ。俺の元居た世界には無かったもの。異世界だから、常識が違うのかもしれないが。

 「紅い月」に関しては、ディアからの情報がある。彼女が言うには、勇者が来るようになったのは千年くらい前かららしい。だから、サングイスの話と合っている。恐らく勇者たちの言っていた「厄災」がこれなんだろう。つまり、「紅い月」をディアの仕業と勘違いした彼ら勇者が、アルトナダンジョンに訪れていた、ということだ。





 ――――これじゃ辻褄が合わない。





 彼と初めて会ったとき、彼は「殺しに来た」と怯えていた。

 俺らを「勇者」と疑っていた。

 この屋敷の近くにだけ「生命」がある。

 その説明がつかない。


 あのときの彼の対応は、初めてであるとは思えなかった。

 吸血鬼抹殺計画は、大厄災が起こる前に施行されたと聞いた。サングイスは、この大陸シューテルの吸血鬼最後の生き残りだと言う。


 つまり人間(クロノロス生き残りの人間)は、文明衰退レベルの打撃を受けたにも関わらず、たった一匹の吸血鬼を恐れ、討伐しようとそれなりの頻度でサングイスを襲っているということになる。


 ……どうしてだ? 宗教的というか、洗脳的というか、抹殺をあまりにも徹底しすぎている。

 サングイスが弱いとは思えない。俺を庇うためとはいえ、ディアが避けるくらいの魔法を撃てる奴なんだ。勇者があまりにも強すぎて怯えている、という訳でもないだろう。その仮定ならば、勇者はこの森ごと焼き払ってやればいいだけの事。ここだけ綺麗に形が残っているということは、サングイスには彼らを追い払うだけの力がある上に、「死の雪」に魔力を奪われない方法を知っている。


 人間には、それ相応の「理由」があるはずだ。


 サングイスが街を襲っているのか……?

 なんのために?

 復讐? 生活用品の調達?


 もしそれなら、動くのは夜。つまり今……調べてみるか。

 俺たちを警戒しているから、そうすぐに動き出すかは分からない。今日動く可能性は低いかもしれないが、もう少し夜が更けるのを待ってから、調べることにしよう。

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