2-2
「――――落ち着け蝙蝠。じゃないと殺す」
ディアが凄んで唸る。少女だったころの面影はなく、彼女の内面を知っている俺でさえも威圧を感じた。吸血鬼の彼はすぐにおとなしくなる。
……流石、というべきか。
「とりあえず敵意は無いから、安心して」
「……じゃあ離してくれ」
念力への抵抗がなくなったのを感じた。反撃してこないとは言い切れなかったが、ここで離しておかないと怪しまれるだろう。ってか、もう十二分に怪しまれてるけど。
恐る恐る力を解いた。しかし逃げる様子もなく、これと言って激昂する様子もない。ただ、その血の様な色の目は、こちらの様子をじっくり窺っている。隙があれば逃げられてしまうかもしれない。
「この先にある……っ」
突然肩に焼けるような痛みが走り、言葉が詰まった。見れば、マントごと服が溶けて肌が露出している。僅かに黒ずんでいるのを見て、あの「黒い雪」が当たったのだと察した。フードマントを着ているから多少は大丈夫だと思っていたが、そうはいかないようだ。俺はすぐにディアの体の下に避難する。
「……ただの人間か? なのにどうしてドラゴンを使役している?」
俺が質問を続ける前に、彼が口を開いた。低くて透き通るような声だった。
ただの人間、どこでそれを判断したのだろうか。念力自体は珍しい魔法じゃないのか?
「まぁいろいろあって、ね」
そうやって言葉を濁してみるが、やはり彼の反応は良くない。だが、俺にも、何故俺がドラゴンを使役しているのかは良く分かっていない。ディアはどうしてついてきてくれているのだろうか。ただの暇つぶしか?
「この先にある大きな家は、もしかして君の家?」
「ああ、そうだが。何が目的だ?」
「この雪について、色々話を聞きたいんだ」
「……」
俺の愛想笑いも、だんだん強張っていたと思う。彼がこちらをずっと睨みつけ、何を考えているのか本当に分からない。こちらを警戒しているのは分かっているが……。
ディアケイレスという圧倒的な力を前に、内心は怯えながらも攻撃を仕掛けてきたその度胸。そうまでして、俺たちをこの先へ進めたらいけない理由があるのか。それとも、ドラゴンという種族がそこまで忌み嫌われているのだろうか。あるいは人間が嫌いなのか。
「……分かった」
暫くの沈黙の後、彼はぼそりと呟いた。しかし、依然として彼の警戒は解けていないようだった。周囲を風と共に走り抜ける緊張感がそのままだったから。
彼は銀髪をなびかせながら、くるりと後ろを向いて歩きだした。
ぐぐう、と緊張を裂く間抜けな音が響く。
ディアの腹の鳴る音だと、瞬時に理解できた。
「……あの、洋服と食事も恵んでくれないかな? いえ、恵んでくれませんか?」
苦笑交じりに頼んでみた。彼は驚いたようにこちらを見ている。
「飯!」
食事、という言葉にだけ目を輝かせるドラゴン。先ほどの威厳はどこへやら。まぁ無理もないのかもしれない。彼女は二千年以上何も食べていないのだから。俺も、腹が減ってきていたし。
「もしかして君たちって『勇者』ではないのか?」
「むしろ逆だ。吾輩たちは倒される側……それより飯はどこだ!」
腹ペコドラゴンの言葉に便乗して、首を縦に振ってみる。しかし、もう一度背中を向けた彼からは、何の言葉も紡がれることはなかった。
勇者……?
☆
特に会話もせずに、肌寒い森の中を抜けて、感知したあの大きな屋敷にたどり着いた。でかい洋館だ。数十人が暮らしていると言われても全然不思議に思わないくらいの。だが、人の気配はない。
ディアはとりあえず人間に戻った。彼は初めこそ驚いていたが、今はもう慣れたようだ。ドラゴンが人間に変身するのは珍しいようだったが、ありえない話ではないらしい。そして、屋敷でディアの服を探してもらった。
合うサイズの服が無いかと思いきや、意外にもピッタリのものが見つかった。というわけで、今ディアはメイド服を着ている。……なんで? なんでこの屋敷に小さなサイズのメイド服があるんだ? 恐らく、子供たちでさえも召使いとして雇われていたか、練習させられていたか、そのどちらかだと思うが、彼は何も言わなかった。もしかしてそういう趣味か?
嫌いじゃない。
中に入ってみても、照明はなく埃っぽい。ホラーゲームの舞台にでもなりそうな暗い雰囲気。どうやら、本当に彼一人だけなようだ。客間は長い間掃除していないらしく、俺たちは、彼が普段生活しているという書斎に案内された。
書斎、というよりは図書室に近く、かなり広い。本棚が立ち並び、そこには分厚い本がぎっしりだ。タイトルには「精霊炎魔法」とか「魔法陣構成」といったような、いかにも魔導書っぽいことが書いてある。
いくつか机と椅子があり、俺たちはそこへ座った。料理ができるのかという心配もあったが、彼が持ってきたのは立派な洋食だった。料理名は詳しく教えてもらえず、なんのムニエルか、なんのスープかは分からなかったが、間違いなくこれは店で出せるレベルで美味しい。
別に怪しいものが入っているわけではなかった。単に彼が料理について話さないのは、俺たちから極力距離を置くためだろう。無駄な会話はしないタイプの人間……いや、吸血鬼か。
締め切ったカーテンの隙間から、曇りの日の灰色の光が入ってきて、部屋の中を淡く照らす。そんなしっとりとした雰囲気の中、彼は話し始めた。
「君らが知っている情報ってのは、どこまで?」
「全然わからない。あの雪が闇の魔法を帯びているということと、あれが周囲の魔素を吸い取っているということだけ。これは今さっき、ディアが調べた」
「ディア? その子……ドラゴンの名前か?」
「んむ」
夢中になってがっつき、口に食べ物が入ったままディアは答えた。人間の行儀は知らないようで、フォークを握りしめながら食べている。それも当然なのだが、なんか間抜けだ。いや、俺も異世界の行儀は知らないんだけどな。
「自己紹介がまだだったね。俺はモトユキ。モトユキ・ウエハラ、と言ったほうがいいのかな」
「僕はサングイス・L・スレイド。この屋敷の当主だ……僕以外に誰もいないけど」
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