1-2

「やっぱ、やーめた」


「……カハッ……な、なぜだ?」



 ドラゴンは驚いたようにこちらを見つめた。

 だが、俺自身にも良くわからない。単純にかわいそうだったから、というのは少しだけ違う気がする。そうだな、知らない場所に自分一人だけというのが寂しかったからだろうか。ドラゴンでも話し相手になってくれるのなら、わざわざ殺す理由もない。



「そうだなぁ……ドラゴンであるお前を使役するの、面白そうだし」



 とってつけたような言い訳。

 でも逆に信用しやすいだろう。



「吾輩を使役……だと? テイムでもするのか?」


「そうだな。そういうことにしておく」


「ふ、フハハハッ……すぐに奢るところが人間の悪いところだ。お前が吾輩に勝てるのは、この状況があって、だろ?」


「まぁまぁ、せっかく助けてやろうって言ってるんだ」



 ドラゴンを包むシャボン玉みたいな結界に思い切り力を込めた。果たして俺に壊せるだろうかという懸念はあったが、やってみなければ分からない。ジャンプ理論だな。

 手で握りつぶすようなイメージ。思ったよりずっと強くて、並の力じゃびくともしない。だが、もっと俺は力を放出できる。


 もっと、もっと、もっと……。山を一つ消し飛ばすくらいの出力でも全然だめだ。流石大賢者の封印だ。それがどこの誰なのかは分からないが、どうやらその名は伊達ではないらしい。



「な、なんだ、魔力とはまた違ったこのエネルギーは……!?」



 魔力とはまた違ったエネルギー、か。この「力」は魔法ではないということになるな。だが、こいつは力の気配を感じ取ることができるようだ。俺は術者だからもちろん感覚として認識できるわけだが、他の人間がこれの気配を認識した試しはない。こいつだけだ。



 ――――パリンッ。

 まるでシャボン玉をつついたときのように、結界は弾けた。キラキラと残骸が降ってくる。黄金に輝く雪のようだった。やがてそれは目に見えないくらい小さくなって、冷たい石の地面に落ちた瞬間消えてなくなった。



「……!!??」


「うーん」



 ドラゴンの驚いた顔を見れたのはいいが……なんか、あっけなかった。

 自分の掌をぐっと握って開く。別に何ともない。頭も痛くならないし鼻血も出ない。何か体に現れるデメリットが無いと、どこからか恐怖が湧いて出てくるものだ。無い方が良いことには越したことないのだがな。



「で、どうする? 仲間になるか?」


「そうする以外の選択肢、無くないか……?」



 こうして、このドラゴンは俺の仲間になった。

 ま、力づくで従えてるだけだけど。



 ☆



「人間に変化できたのかお前……ってか女の子だったんだな」


「まぁ、このくらい朝飯前だ。長い間、朝飯どころか飯自体食ってなかったけどな」



 目の前にいたのはあのクソでかいドラゴンではなく、紫髪の少女だった。蜥蜴の特徴であるスリット状の瞳孔は残ったままだったが、それ以外は人間と変わらない。

 いきなり変化したときは素っ裸で驚いたが、こいつには恥じらいが無かった。今は歴代勇者の持ち物の中に入っていたボロ布を身に着けている。どのくらい前のものでどのくらい汚れているのかは見当がつかず、衛生的に大丈夫かどうかは分からないけど。

 ま、最強のドラゴンさんなのだから、死ぬことはないだろう。



「お前にお前って言われるのはなんか嫌だ」


「じゃ、『ディアケイレス』か? 長いからディアでいい?」


「……いいだろう。さ、行くぞ」


「どこに?」


「どこって、地上に決まってるだろ?」



 こちらを見つめる大きな黄金の瞳は長い睫毛が縁取っている。それから、形の良い鼻ときゅっと結んだ桃色の唇。それらが構成する顔面は、まさに人形のようだった。

 とんでもない美少女がそこにいる。体中の傷は残ったままだが。顔面にも少しだけある。

 それにしても言葉遣いが似合わない。しかも、一人称が「吾輩」だ。どこぞの猫だ?



「なぁ、その姿ってどうなってるんだ?」


「あぁ、これか? 吾輩の姿の一つだ。なんだ? そんなに吾輩が醜く見えるか?」


「……いや、別に」



 むしろ逆だけど、まぁいい。

 本当にこいつが邪悪なドラゴンなんだろうか。人一人殺せないような、優しい心を持っている姿をしているのに。……かわいいから優しいっていう論理は、俺の偏見か。



「この世界って魔法があるんだろ? 治癒魔法でその怪我治したらいいんじゃないか?」


「吾輩は治癒魔法が使えん。今まで怪我なんてしたことなかったし、あの結界の中では魔法使えなかったし」


「そうか。でも、応急処置位はしとかないと」


「おうきゅうしょち? なんだそれは?」


「まぁ、じっとしてろ……この辺に綺麗な水ってあるか?」


「そこの水なら飲めると思う」



 彼女の小さな指が示す先にあったのは、小さな水たまりだった。天井からぽたぽたと落ちてきた水が溜まっている。ここが地下だとするならば、わりと綺麗な水なのだろう。地上からしみ込んできた水的な、ともかく浄化されていそうな雰囲気ではある。

 ディアの手を引いてそこへ向かった。少し水を舐めてみたが変な味はしない。ついでに苔も生えているので大丈夫そうだった。その水を手ですくい、彼女の腕の傷をそっと洗った。



「痛ぇ」


「我慢しろ。じゃないと破傷風になる」


「え、何だそれ怖え」



 水をすくって撫でる度に、びくりと筋肉が動く。だが確実に、泥で汚れていた傷口が洗われている。



「他に怪我してるところは?」


「背中に数か所」


「分かった」



 破傷風というワードのおかげで結構おとなしくなった。実際ドラゴンが破傷風になるのかどうかは分からないが、傷口をこのまま放っておくよりかマシなはず。なんとなく背徳感を覚えながらも、ディアの背中の傷を洗い続けた。

 体全体を見て特別大きな傷はなかったものの、色んな種類の傷がついている。切り傷、擦り傷、打撲、火傷、裂傷、凍傷……様々な攻撃を受けたようだった。あとに残りそうなものはないけども。



「よし……あとは顔、か」



 少女の顔の傷はあまり触れてやるものではないが……こいつは気にしないか。

 本当は、完全に血を止めるために布を当てておくのがいいかもしれないが、残念ながら辺りにあるのはボロ布だけだ。今ディアが身に着けている物だけがとりわけ綺麗な布。それでも雑菌は多い。他の布を当てるということは、毒を盛るみたいなものだろう。



「……ありがと」


「どういたしまして。じゃ、外へ行こう」


「なんかお前、変だな。体と心が合ってないような感じだ」


「……ここに来る前は、大人だった」


「どういうことだ? 今のお前は子供じゃないか」


「なんかよくわかんないけど、ここに来たら子供になってたんだ。嫌なもんだな。この身体じゃ、力が弱いし、声もドスが利かない」



 大人ぶって行動するクソガキ、とでも言おうか。もし今の俺のような子供と出会ったのなら、間違いなく嫌う自信がある。何とか子供らしい子供を演じたいものだが、想像するだけで寒気がする。



「そういや、名前を聞いていなかったな。誰だ、お前」



 唐突で簡潔な質問。純粋無垢で世間知らずなのが、少しだけ面白い。



「モトユキ」


「……そうか。変な名前だな」


「文化の違いだ」

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