1-1 「ダンジョン脱出」

「――――ろ」



 誰かに呼ばれた気がしたが意識がはっきりとしない。長い間、どこまでも続く深海に似た暗闇を漂っていたような気がする。それが真実かどうか確かめる術はなかったが。

 頭がぼうっとする。まるで何か大きなものと一つになった気分だ。



「――い……――――きろ」



 ……うるさいな。

 ん? うるさい……?



「おーい! 起きろ!」


「……!?」



 暗闇の中から引っこ抜かれた、そんな感覚がした。

 心臓が大きく鼓動して、意識が鮮明になっていくのを感じる。全身に血が巡り、「自分」がそこにあることを認識する。


 やばい。これはやばい。確実に寝過ごしたという自信がある。辺りの物は壊れて……ってあれ?



「なんだ? ここ」


「……? 知らずにここに来たのか?」


「うわっ!? 誰だテメェ!」



 起き上がった俺の目の前にいたのは、大きな大きなドラゴン。

 実際にドラゴンという生物を見たことは無かったが、空想上の生物とされるそれに目の前の生物は酷似していた。平たく言えば蜥蜴とかげだが、蜥蜴というには少々格好良すぎる気がする。

 黒色の大きな鱗は光が当たると紫色に淡く光る。その上品な色合いと厳格な風貌、そしてその巨躯に思わず息を呑んだ。



「……変な奴だ」



 そのドラゴンは、淡く金に光るシャボン玉のようなものの中に入っていた。これは一体なんだ?

 変な奴に変な奴と言われたのはなんだか癪だったが、しかしここは意地を張っている場合ではないと判断する。冷静に、あるいは見せかけでもいい。動揺してないように振る舞え。そう自分に言い聞かせ、深く息を吐き、ドラゴンを半ば睨むように見つめた。



「教えてくれ。ここはどこなんだ?」


「教えるも何も、ここまで来たのはお前だろう? 吾輩よりも詳しいはずだ」


「はぁ? 俺は目が覚めたらここに居て……ってあれ? 俺、声すげぇ高くね?」



 あー、あー、と声に出してみる。やはりものすごく高い。女の子になっているという訳ではなく、声変わり前の少年の声だ。



「フン。お前みたいな子供が来るのも珍しいな」


「こ、子供って……ん? 子供?」



 自分の掌を見るとやけに小さかった。掌だけじゃなく足も小さくなっている。加えて、全てが少年だったころの若々しい肌をしていた。一人では何もできない、何もしてこなかったということが分かるような、そういう形をしている。



「どう見たって子供だろ」


「そんな、これは一体?」


「吾輩に聞かれても知らん」



 子供の体だ。鉱石に映る俺の顔は幼き日のそれと同じ。あどけない上に生意気そうなその顔が、こちらを覗き込んでいる。


 どうやらここは洞窟のようだった。ところどころ鉱石が飛び出し、赤、緑、青の幻想的な光を弱々しく放ち、空間を淡く照らしている。だがそれは辺りを見回すには少し足りない。

 そんな中で、俺ははっきりとドラゴンの姿を見ることができる。その理由がこのドラゴンが包まれているシャボン玉の光だ。黄色に強く光っているが、金と表現しても問題ないほど高貴な色をしている。いやここは間を取って黄金と表現した方がいいかもな。

 天井は高く、何も見えなかった。吸い込まれそうな闇があったが不思議と怖くない。きっと天井がそこにあるだろうという、思い込みのせいだろう。


 そして何よりも驚いたのは、



「……うわっ!? なんだこれ?」


「先に死んで逝った勇者たちだ。吾輩に指一本触れることもできずにな」



 人骨と古びた布。それがひとまとめにして置いてある。一番新しい死体は、洞窟の壁を背もたれにして座ったまま骨になっている。どうやら彼がこれらを整理してくれたみたいだ。

 武器も並べておいてある。鞘から出してみると、錆びているのがほとんどだったが。これでは使えない。ずっと長い間ここに放置されていたのだろう。それとも数多の血を浴びてきたのか。



「お前も吾輩を倒しに来たんだろ? だが、残念だったな。この結界の前にはどんな勇者も無力だ。それに吾輩は『厄災』の原因ではない」



 ドラゴンらしい、威厳のある低い声。いや、らしいと言って良いものなのか。

 ……倒しに来た? 俺が?



「ちょっと待て。状況が呑み込めない。何故俺がお前を倒す必要があるんだ?」


「……ん? じゃあ何でお前はここにいるんだ?」


「知らない。お前は俺が来る瞬間見てなかったのか?」


「寝て起きたらそこにいた」


「……えぇ」



 なんでだよと突っ込みたかったが、それはそれでおかしい気もした。

 とりあえず自分が覚えているのは、知らない空間の裂け目に入ったところまで。そこからは一切記憶がない。ここがどんなところなのかも知らない。



「えっと、とりあえず俺は、お前を倒しに来た勇者ってこと?」


「そうだ」


「いや、多分人違いだと思います。帰ってもいいですか?」


「人違いなのにここまで来たのか?」


「そもそもここどこだ。まずそれを教えてくれないか」


「アルトナダンジョンの最下層……百層目だが?」


「……ん?」



 ☆



 このドラゴンの名は混沌邪神龍ディアケイレス。

 大層な名前がついているわけだが、それはそれは凶悪な龍で、人間の町で滅法暴れまわり、ついには世界を滅ぼしかけた存在……だったそうで。にわかには信じがたいが、まあ他に何も情報が無いので取り敢えず信じておくことにする。

 しかし「大賢者」という人物が現れ、ここに封印されてしまった。この結界は、中にいる人物の肉体の時間を止め、永遠の時間の中で精神を蝕んでいくんだとか。


 その期間、実に二千年。二千年間ずっと、こいつはここにいるらしい。


 アルトナダンジョン、か。そもそもダンジョンが何か良く分かっていないが、聞くところによると、地下の方へのびる階層型の建物らしい。「魔物」も湧く……詳しいことは何も分からないが、ゲームのダンジョンと同じような捉え方をしておいて大丈夫だろう。



 世界が違う、そんなことがあり得るのか?

 しかし現に、俺は「ここにいる」。この感覚は夢じゃない。人間の体を介して伝わってくる刺激だ。


 今は止そう。考えたところで、材料が足りなすぎる。

 やるべきは、「とりあえず受け止めること」そして「どうするかを考えること」だ。



 こっちでは、千年前くらいから地上で何か問題が起きているそうだ。だから勇者が度々訪れて、元凶であると考えられているこいつを倒そうとしているらしい。だけどそれにこいつは関係していない。つまり、とばっちりだ。

 勇者がここに訪れても、結界が完璧すぎて誰も破れるやつらはいなかった。戻ろうにも、途中で仲間を失いながら来たから後に引くことができず挟み撃ち。だから、諦めて死んで逝った勇者たちの遺品が、そこら辺にあるんだとか。



 ……にしても、



「何故俺がここにいるのかが分からない。倒せってことか?」


「倒せるのか? お前のような童に」


「うーん……」



 何もかもが分からないこの状況。いきなり凶悪なドラゴンを退治しろと言われても、そんな御伽噺の様な展開、現実に生きてきた俺がはいそうですねと理解できる訳がない。ただ、目の前のドラゴンは確かに存在するし、自殺したはずの俺は確かに生きている。

 仮にこいつの話が真実だと受け入れたとしても、俺自身にそれほど深い恨みがあるわけでもない。昔はものすごく悪い奴だったのかもしれないが、今はなんだかやる気のないジジイのようだし。


 こいつは大量殺人犯。俺が殺した奴よりもよっぽど凶悪だ。

 ……だけど、



「お前はもう、悪さをするつもりはないのか?」


「ああ。もうこんなところは懲り懲りだ。いっそのこと、殺してほしい」


「……」



 可哀想だな、と思うのはエゴだと分かっているのに。

 いっそのこと、この能力を失っていれば……。



「……クッ、ガ!?」



 ――――結界の中にいるドラゴンの首に、ゆっくりと力をかける。

 そう、「念力」が使えた。



 本当はひと思いに殺してやるのがいいのかもしれないが、それは大きな間違いである気がしてならなかった。俺が断罪していいものなのか、このドラゴンを殺すことで俺は何を得られるのか、何が一番の正義なのか……だから俺の力には「迷い」があった。



「ククク……なるほど、結界越しに攻撃できるとはな。おも、しろ、い……」



 よくよく見てみれば、傷のついた鱗、そこから見える痛々しい傷口。肉体の時間が止まっているから、治癒することもできていないのだろう。


 二千年間、ずっとそのまま、だったのか。

 ここから動けずにずっと、ずっと……。



 更に力を、入れる……。

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