第5話 告白
衞宮家は代々受け継がれてきた武士の家系で、私は幼い頃から剣術を叩き込まれてきた。
私は女の子なのに、お父さんは私の事を男の子として扱った。
女の子として生まれた私が嫌いだったのか、お父さんはいつも竹刀で私の頭を叩いた。
何故お父さんが男の子であることに固執するのか。それは、女の子は本当の武士にはなれないからだろう。
何としても、お父さんは私を男の子として育てようとしていた。
その影響か、小学校卒業までは自分の事を男の子だと思って生活していた。
中学校に入ってから、私は可愛いものに対して興味を抱くようになった。
猫然り、ぬいぐるみ然り、洋服然り、可愛いものに目がなかった。
そして、好機が訪れた。
お父さんが毎年の健康診断で引っ掛かり、人間ドッグで検査することになったため、1日家を開ける事になったのだ。
――今しかない!
そう思った私は、今まで遣った事のないお小遣いが、貯まりに貯まった財布を手に、家を飛び出したのだ。
向かったのは、同級生の女の子達の中で度々話題に挙がる有名なお店。
耳に入ってきた情報によると、アクセサリーや洋服、ぬいぐるみなど、可愛い商品が店一杯に並んでいるのだとか。
実はその店は通学路の途中に在り、私は何度も目にしているのだが、入ったことは一度も無かった。
その日、私は1200円程のぬいぐるみを10体購入した。
今まで買い物もしたことが無かったため、金銭感覚の分からなかった私は、自動販売機でジュースを一本買った感覚だった。
あの日の出来事は、今でも鮮明に覚えている。
何だか、悪い事をしているようで、万引きでもしたような気分だったが、それ以上に、初めての買い物は新鮮で、ぬいぐるみを手にした喜びが大きかった。
お父さんは、私の部屋にまでは入って来なかったため、部屋にぬいぐるみを一通り並び終えた後完全に安心しきっていたが、広間に置き忘れていたレジ袋がお父さんに見つかってしまい、結局竹刀を千回振らされるという罰が降った。
この日、私が女の子に目覚めつつあるという事が確固たるものとなった。
私は迷った。
男の子なのか、本当は女の子なのか。
表向きは当然女の子だ。トイレはちゃんと女子トイレを利用しているし体育の時は女子更衣室で着替えている。
だが、おかしいのだ。
普通の女の子なら、他の女の子から告白される事なんて無いし、お姉様とか呼ばれることもない。
そんな事が重なって、自分の性別が分からなくなっていた。
お母さんが居ればこんな悩みを抱く事など無かったのかもしれない。
だが、お母さんは私が物心付いた時には既に居なかった。
お母さんは死んだのか、生きているのか、それさえも分からない。
現在お父さんは病に蝕まれ、県立病院に入院している。
悩みを打ち明けるには今しかない、そう思っているのだが、怖くて打ち明ける事が出来ない。
迷った末、私はここに訪れた。
一通り言い終わると、目の前の少女――衞宮栞――は、深く深呼吸した。
ふむ……初仕事なのにとんでもなく重い相談持ってこられちゃったんだけど……。え?いやちょっと待てウェイトウェイト。これって俺が気軽に答えても良い問題なの?下手したらこの人の人生を左右するかもしれない程大きな相談なんだけど。でも、こんなに愛らしい見た目なのに女子から告白されるって全然想像出来ないんだが。いや、それはあるかもしれないがお姉様はどうだろう…昔は違ったのかな。
「あの……やっぱりおかしいですよね。お時間取らせてしまってすみませんでした。では」
俺が黙っているのを悪く受け取ってしまったのか、栞さんは席を立とうとする。
「いえ。少し考え込んでいただけです。安心してください。おかしいだなんて思っていませんよ」
内心、慌てていたが、穏やかに取り繕って栞さんが立ち去ってしまうのを回避した。
栞さんは驚いたように少し目を見開き、上げかけた腰を再びソファーへと下ろした。
「しかし意外ですね。あなたはこんなに可愛らしい見た目なのにお姉様だなんて呼ばれていたとは」
「そ、そんな、可愛らしいだなんて…!」
栞さんは頬を真っ赤に染めて反応してきた。相変わらず可愛い。
「昔はロングヘアーで誰とも話さなかったので、あ、厳密に言えば一人だけ親友が居ましたが、それが影響してか孤高の女剣士とかいう渾名も付けられたりして恥ずかしかったです…あ、写真見ますか…?」
「是非、お願いします」
栞さんは、お父さんが送ってくれました、とスマホに写真を表示させておずおずと差し出してきた。
「え、これ本当に栞さんですか?」
「そ、そうなんです。今とは少し感じが違ってますよね…」
いやいやそんな細かいレベルじゃないだろ。
写真には、今の栞さんとは似ても似つかないクールな、大和撫子という名が相応しいポニーテールの少女が写っていた。
女は年を取ると化けるというが、これ程とはな…。
ん?でもおかしいな。写真の少女には右目の下に泣き黒子があるが、目の前の栞さんにはそれが無い。整形でもしたんだろうか…?
まあ、今は関係の無い事だな。
「それで本題ですが、あなたはぶっちゃけどっちだと思っているんですか?」
「…?何がでしょう…」
「性別です。体ではなく心の、です 」
すると、栞さんは心の中で自問するように、目を閉じて俯いた。
たっぷり十秒間、考え込んでいた栞さんは口を開く。
「…正直、分かりません。自分では女の子だと朧気には思っているのですが、誰かにそうだよって言って貰えないと確証が持てなくて…」
「なら、何も問題はありませんよ。朧気にも女の子だと思っている、それで充分です」
頭の中で静かに練っていた言葉を、俺は声に変えて語りかける。
「きっと、あなたは自分の事が良く分かっていないのでしょう。だから他人に判断を委ねる。相手に決めて貰おうとする。それが自分の納得のいかない答えだとしてもそれに従ってしまう。今まではそれで良かったのでしょう。しかし、これからはそんな考えは通用しないのです」
話しながら、俺は両親の事を思い出す。
俺がどうしようもなく寂しかった時、泣きたい程悔しかった時、その思いを打ち明ける相手も、真摯に聞き入ってくれる家族も居なかった。
嫌でも一人で立ち直り、一人で心を叩き直し、一人で生きていくしかなかった。
「あなたのお父さんも、あまり長くはないのでしょう?お父さんが亡くなった後はどうするのです?一人になれば、他人に判断を委ねる事は出来ません。自分で判断して、生きていくしかないのです。そのためには、自分の事を良く知る事が大切です。例えば、好きな食べ物然り、考え方然り、感受性然り、その他諸々。あなたの場合は性別ですね。あなたは先程、朧気にも自分の事を女の子だと思っている、と言いました。それはあなたの願望なのではないでしょうか。自分は女の子であって欲しいと、深層心理ではそう願っているのではないでしょうか。しかし、あなたは第三者の意見無しには物事を確定することが出来ない。それがフィルターとなってあなたの深層心理を朧気にしているのでしょう。つまり、誰かに頼る事を一時的にも止めてみることで、そのフィルターを取り払ってしまえるかもしれないということです。これは言わばリハビリです。人は誰かに頼っていないと生きていく事が出来ません。しかしあなたは、それが少々過剰なのです。少しずつ誰かに頼る事を減らしていくことで、自分で確定出来る事も増えてくると思います。誰かに頼る事を減らしていき、あなたの深層心理が浮かび上がって来たとき、即ち性別への願望がはっきりと見えてきたとき、それがあなたの答えです。邪魔なフィルターを取り払った時、本当のあなたに出会う事が出来るでしょう。あなたも武士ならば分かりますよね。刀は何度も叩いて叩き直すことで不純物を取り除き、それを耐え抜いた後に、綺麗な刀身が出来上がるのです。しかし、刀は自分で刀を打つ事は出来ませんよね。刀は刀鍛冶の人が打って作り上げます。それが『頼る』という事です。自分では絶対に出来ない事に直面したとき、どうしようも無くなった時に初めて人を頼るのです。あなたももう一度自分の心を叩き直して、本当の自分に出会えるように頑張ってください」
全て話し終わり、すっかり冷めてしまった自分のココアを口に含み、改めて栞さんを見てギョッ、とした。
栞さんは涙を流していた。
「あ、あの、何か失礼なことを…?」
「ぐすっ…いえ、こんなにも栞ちゃ、あ、いや私の事を考えてくれるなんて。あなたに相談して本当に良かった。救われたような気がします」
「いえいえ、あまり大層な事も言えず不安でしたが、少しでも心が軽くなったようで良かったです」
俺は穏やかに微笑みながら、言葉を返した。
栞さんは、相談料の二千円を会計の美嘉さんに払って帰っていった。
俺は、彼女の試みが上手くいくことを祈るばかりだ。
こうして、蓮の初仕事は幕を閉じた。
時の忘れな草 青葉日向 @gillgumessh
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