第4話 初仕事
この退屈な日常が、出来損ないの精密機械みたいに同じ事を繰り返し言う大人が、嫌いだった。
小学校の頃から、自分は特別なんだと、もうすぐ世界を征服せんとする組織に巻き込まれたり、何処かから転校生が訪れてその人物が未来人だったり宇宙人だったりエクスマキナだったり以下略。そうなると信じていた。
だが、そんなことは一向に起きない。
こんな世界何も面白くない。それが彼女の口癖だった。
二十歳に到達した今でも、何かが起こるのではないかと、起こってくれるのではないかと密かに思っている。
周りの大人たちは彼女へ口々に言う。
もう大人になれ、と。現実を見ろ、と。
その度に、彼女は大人達に言う。
信じないと何も始まらない。信じるというスタートラインにすら立ててないあなた達は憐れね、と。
そして何時ものように、何かが起こりそうな予感を胸に彼女は家を飛び出した。
* * *
店前の古びた郵便受けの中身を穴が開きそうな程確認し、蓮は小さな溜め息を吐く。
――初めの三時間はなにもなし、か。まぁ、楽な方が良いんだけどね。しっかし、三人目の従業員の人はいつ来るんだろう
まだ見ぬ同業者に思いを馳せて、県道へと続く長い坂道を見下ろし、店内へと戻ろうとすると、
「あら、君。もしかして新人君?」
「ひいっ」
こんなこと前にもあったような、とデジャヴを感じさせる出来事に体を強張らせつつ、背後の人物――恐らく女性――と向き合う。
「そ、そうですけど」
「びっくりさせちゃった?ごめんね」
と、女性はイタズラ気に笑い、名前は?と聴いてきた。その問いに、一拍遅れて言葉を返す。別に目の前の女性がビックリするほど美人だから言葉が出にくかったって訳じゃないけど。
「なるほど。蓮君か…ふ~む…日下…蓮…」
なるほどと呟き、蓮の顔を覗き込む女性。近い…。猫を連想させる切れ長の瞳に、漫画みたいに長い睫毛。すっと通り完璧すぎるまでに美しく整った目鼻立ち。喋らなければ成人したフランス人形と間違えてもおかしくない程。茶髪の頭髪は緩やかにウェーブがかかっており、子供っぽさと大人らしさを併せ持ったような、非現実的な女性だった。だが、身長は蓮よりも頭一つ分高かったため年上であると予想出来た。ていうかいい匂い。何だこの甘い匂いは…思わず抱き締めたくなるような…何言ってるんだろう俺。
「よし決めた。よろしくねカレン君!」
「え?ちょっと待って下さい。カレン?それって俺の事ですか?」
「そうよ。日下蓮のくさを取ってカレン。可愛い名前でしょ?」
いや何で『くさ』を取ったんだ。別に蓮でいいじゃないか…
「カレン君どうしたの?いい名前ねカレン君。よろしくねカレン君」
駄目だこりゃ。是が非でも『カレン』で押し通すつもりだ。はあ、相浦さんに何て言われることやら。
「そう言えば、貴女のお名前は何というんです?」
「私?私はねぇ――」
意図の分からない空白を経て、女性は再び口を開いた。
「大沢美嘉よ。ミーちゃんって呼んでねっ」
誰もが恋に落ちるような笑顔で、そう名乗った。
大沢美嘉。それが三人目の何でも屋従業員だった。
* * *
「ところで、カレン君は何処から来たの?」
店に入り、俺の仕事場に入るなりそう質問してきた。
「俺は東京から来ました。東京って言っても聞いたこと無いような地区ですが」
「そんな遠くから来たの?何でこんな田舎に来たのさ?もしかして…遠距離恋愛?」
「そんなんじゃありませんよ。ただ、急ぎの用が出来まして…」
1年後の大地震とリアル忘れな草の調査に来たなどと言えるはずも無く、言葉を濁して、目の前にある世にも珍しい女性にしか無い豊満な双丘を眺める作業に戻る。
「ふむふむ。この先に起こるであろう災厄を食い止めるべくやって来たと、なるほど」
「え?」
「い、いやぁ何でもないの!こっちの話」
美嘉は内心、歓喜に飛び上がりそうだった。
久し振りにやってきた新人の可愛い子と話をするのが楽しく、つい心の奥に閉まっていた妄想を口に出してしまう。それは目の前の少年に対する一種の願望だと言えるだろう。その願望が正に当たっているなどと、このとき本人は知る由も無いのだが。
ところで、口に出すのも憚られるのだが、ここは大人っぽさアピールしないといけないため、気持ちを落ち着けてさっきから、いや、最初から気になる事を言ってみた。
「ところでカレン君?カレン君はそんなに私の胸が気になるのかしら?」
そう言うと、目の前の少年は弾かれたようにプイッ、と慌てて目をそらしてしまった。ふふっ、可愛い。
「みみ、み見てませんよ!別に気になるわけでもないですし!」
振り切るように早口で捲し立てる蓮。ホント、冗談は止めてほしいものだ……。
「そ、それより、美嘉さんの仕事内容は何ですか?」
「もう、ミーちゃんって呼んでよ。私は仕事してないわよ。会計してる代わりにご飯三食食べさせて貰ってるだけ。でもアイちゃんは給料くれるのよねぇ」
「そうなんですか。で、アイちゃんは相浦さんの事ですか…?」
そうよ、と答える美嘉…ミーちゃん。そうか…相浦さんも既に犠牲になってたか…。
「この部屋に居るって事はカレン君はお悩み相談かしら?」
「そうですが…」
すると、美嘉は全てを諦めたような顔になり、長くは続かなそうね、と呟いた。
「お仕事、頑張ってね」
と、さっきの呟きは何だったのか、いつの間にか出会った時の微笑みに戻っており、エールを送ってくれた。
* * *
――コンコン
本日二回目の郵便受け確認を終え、昼休憩に入ろうかとしたその時、来訪者を告げる控えめなノックの音が部屋に響いた。
――これは…初仕事なのか…!
「どうぞー」
「し、失礼します…」
ふむ、少し緊張しているようだ。当然か。初対面の人と流暢に自分の悩みを話すなんて難しいことだ。俺でも出来ない自信がある。俺は聞く側だから幾分マシだが…さて、どうやってリラックスさせようか。
「まあまあ、肩の力を抜いて下さい。どうぞお掛けになって」
迷った挙げ句、出来る限りの穏和な口調で話しかける事にした。詐欺師と間違えられていなければいいけど。
「はい…」
さてと、こうして向かい合って座ったわけだが…こんな事言うのもなんだけどめちゃくちゃ可愛い。丸く愛らしい潤んだ瞳に朱に染まった頬。似合いすぎるボブエアーで、恥ずかしがっているのか唇をもにょもにょさせている。思わず守ってあげたくなる仔犬のような…俺は本当に何を言ってるんだろう…
おっと、いつの間にか空気が氷点下50℃の氷河期に突入していたようだ。
「では、秘密はお守りしますので、何なりとご相談ください」
……
言ってみたが、少女は言うか言わないか迷っているようで、口を開いては閉じ、開いては閉じといった行為を繰り返していた。
どうしたものか…
「実はですね、私も新人でしてこう見えてとても緊張しているのです。少し喉が渇きますね。何かお飲み物とか」
「じゃ、じゃあココアを…」
遠慮がちに少女はココアを要求してきた。
――そう言えば
と、俺は思い出した事を口に出す。
「お嬢さん、猫はお好きですか?」
「猫…ですか?大好きです」
大好きなのか…。猫って言った瞬間目を輝かせていたから相当好きなんだろうな。よし――
「では、少しお待ちを」
そう言って、俺は部屋を後にした。
何処に行っているのかと言うと、相浦さんの仕事場である。一回目の郵便受けの確認を終えた時、相浦さんが猫を連れていたため、聞いてみたら相浦さんの飼い猫のようだった。毎日仕事場に連れて来ているのだとか。
「ああ?猫?別にいいけど…相談終わったらすぐに返せよ」
猫を連れていこうとすると、相浦さんが悲しそうな顔をするので連れていくのが大変だった。猫好きには見えんがなあ…人は見た目によらないものだな。誰が初めに提唱したのだろう。まあ、それは一先ず置いて、相浦さんは猫をライオンキングと呼んでいる。ライオンキングという名前を猫に付けるのは些か誇張しすぎているだろうが、そこは個人の自由なので俺が口出しするまでもないのだ。体毛も白と黒だし。つまり俺がこの猫を何て呼んでも良いわけで、例えダークネスデーモンキャットなんていうような妙に心をくすぐられる名前にしても良いわけで…おっといけない。この呼び方はミーちゃんこと美嘉さんの呼び方なんだった。
そんな事を考えている内に、少女が待っている部屋へと戻ってくる。
ドアを開けると、少女は小さく肩を跳ねさせた。臆病な性格なのだろう。
「あ、どうも遅かったですね…あ、猫!」
少女は、俺が抱えている猫を見た瞬間にその大きな瞳を輝かせ、ソファーを蹴り倒す勢いで起立した。
「…し、失礼しましたぁ…」
と、自分の行動を自覚したのか、両手で顔を覆って崩れるようにソファーへと着席してしまった。
うん。可愛い。
「いえいえ。私がココアを作るまでの間にこの猫と遊んであげてください。人懐っこいので、大丈夫ですよ」
「ホントですか!?ありがとうございます!」
そして、少女は猫を抱えて慈愛の眼差しで猫を優しく撫で始めた。
この変わりようは予想外だった。まあ、リラックス出来たようで何よりだ。
部屋の奥のキッチンで湯を沸かし始めた時、さっきまでの遠慮や緊張が嘘のように消えた表情の少女が話しかけてきた。
「この猫ちゃんの名前は何て言うんですか?」
「ああ、ライオ…いや、何でもない。えーと…」
不味いな…。
蓮の頬を一筋の汗が流れる。
ネーミングセンス皆無の俺には難しすぎる問いだぞこれは。朝だって猫の事をポチって呼んだら相浦さんにアホって言われたし。別にポチでもいいじゃないかと思い、ライオンキングとポチのどちらにするかの議論が白熱していたその時、美嘉さんのダークネスデーモンキャットが乱入してきてすっかり白けてしまったという出来事が俺とあの少女に抱かれて気持ち良さそうに目を細めている白黒猫が関わるキッカケだった。
――決めた。この際外見なんか気にせず猫っぽい名前を付けることにしよう。
そして、蓮は意を決したように口を開いた。
「チェ、チェシャっていうんだその猫…」
言い終わると同時に、チェシャという名を気に入ったのか、チェシャ(仮)が「ニャー」と声を上げた。
「チェシャっていうんだ!可愛い名前ですね!よしよし~」
どうやら、成功したようである。
すっかり沸騰した湯をコップに注ぎ、ココアの粉を混ぜて少女に差し出した。
「少しは落ち着きましたか?」
「はい。ありがとうございました!」
アチ、と少女は熱そうにしながらココアに口をつけた。
そして、一際大きな溜め息を吐き、視線を俺に合わせてきた。
「では、私の相談を聞いてくださりますか?」
「どうぞ、何なりと」
静かに、しかし力強く、一言一言を噛み締めるように少女は言葉を紡ぎ始めた。
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