第3話 旅路

――あの記憶は誰のものなのか

あれからずっと考えているが、全く分からない。

――それもそうだ。理屈ではなく何か、もっと大きな物の存在を感じる。それこそリアル忘れな草のような…ともかく、それについては置いておくとして、今はリアル忘れな草の捜索に専念しないと

現在、蓮は地方のあるホテルの一室に居た。家を旅立ったのは三日前で、学校にも何も言っていないため、失踪したという扱いにでもなってるんだろう。

――まぁ、どうでもいいが

と、蓮はパソコンを起動させる。

旅をするにあたって、最も重要だったものは金銭だ。両親の通帳は空であり、保険にも入っていなかったため全てを自分の財布で補わなければならなかった。だが、所持金は10万円程残っていたため充分だと言えた。さらに、父が登山家、母が植物学者であったため、ホテルの無い田舎用に野宿の道具も買い揃える必要も無く、忘れな草の群生地帯も理解していたため、楽な旅になる――

――はずだったのに!

二日間で知識の内の群生地帯の大半は回ったものの収穫は何一つ無く、寒い冬の時期に野宿するはめになり睡眠もままならず本当に地獄だった。幸い、熊などの動物は冬眠していたから良かったものの、寒さで死にそうになるという味わいたくも無い経験を無理やり味わわされ披露困憊だった。

――でも仕方無いよなぁ…まぁ、今はやるべきことは…

忘れな草の群生地帯と言っても、雑草の一種だから極論どこにでも生えているし、季節も少しずれている。冬ではなく春の方が好ましいのだ。気候的にも。

そこで、蓮はまだ本格的に調査を行っていない東日本に拠点を置き、そこをベースに東日本全体の調査を行う事にした。だが、こんな寒い時期に野宿など考えられない。リアル忘れな草を見つけ出す前にかつ一人旅体調を崩すなど馬鹿の所業である。

つまり、宿泊施設を利用するしかなく、そのような生活を続けるにはお金が必要なのである。今でこそ、旅を初めて二日目であるため残金も充分にあるが、無くなるのは時間の問題である。

したがって、今蓮がしようとしているのは

――バイト先を探す!

である。

こんな地方でのバイトなど限られているだろうが、無いよりはマシだ。

そして、インターネットで検索を始める。

――ふむふむ、中々のバイトの数だな

[〈夜の蝶〉男性従業員募集。女に飢えたそこのあなた!当店自慢の美女達と極上の時間を味わいませんか?]

――って!

「ストップストップストオオオオオップ!!」

――駄目だ!これは絶対に駄目だ!一番始めに目に入ってきたのがあんな店のバイトとは…いや別に!?別にバイトとしてじゃなく客として行きたいだなんて微塵も思っていませんともはい!

自分相手に心の中で弁解をする蓮。部屋に一人であわあわしている男の図は中々にシュールである。

「まあまあ、気を取り直して…」

[〈何でも屋DC〉従業員募集。なお、身分証の提示不要。不具合品の修理。売却。お悩み解決など、何でも承ります]

――おお。これは…

素晴らしいバイト先が見つかった!と、蓮は歓喜する。

最も重要な点は『身分証の提示不要』という点である。バイトで雇ってもらうには殆どの場合身分証の提示が必要であり、バイトが見つからない可能性を蓮は考慮していたのだが、杞憂に終わったようである。

――条件は完璧だ!そしてこのホテルからも近い!決めた。ここにしよう。非の打ち所が無い程素晴らしいバイトだ。強いて言えばDCの意味が分からないということだけだな。だが、そんな事は最早どうでもいいのだ!

「やったぜ!」

そして、流れるようにスマホを取り出し、電話をかけた。

「いよぉ~し!取り敢えずバイト先ゲット!」

と、気を抜いて両手を振り上げ大きく体を反らした結果、椅子ごとそのままひっくり返り、蓮は後頭部を強打した。

既に日付を跨いでおり、眠気に対抗しバイトを探していた蓮だが、今の強打によりそのまま眠りについしまった。

喜んだ瞬間眠りにつくという荒業を見せ、悪い体勢のまま寝てしまった蓮は、翌朝首の痛みに悶絶することになるのだが、それは別の話…。



* * *



その日、相浦賢あいうらけんは絶望した。

世の全てを呪った。姿の見えない狂人を呪った。無力な己を呪った。

――泣かないで…

最後に聞いた言葉はそれだった。

血の海に沈み、壮絶な痛みが襲っているだろうに、愛する妻は己が身ではなく賢の身を案じたのだ。

どうにかして助ける方法を探すが、腹部に突き立てられたナイフと、首から流れる大量の血が、その悉くを嘲笑うかのように処置をすり抜ける。

目の前が真っ赤になった。激しい怒りにより目の血管が破け、血が溢れ出たのだ。赤い涙がこぼれ落ちた。

そしてさっきから聴こえていた空気を震わすような獣の咆哮のようなものが自分の声であることに気づいた。

「誰だ…誰がこんな事を…!ふざけるな!何一つ与えてくれなかったくせに!積み上げてきた全てを奪っていったくせに!返せよ!俺から何も奪うなよお!!許さない…許さない――!」

――だが、賢の意思とは裏腹に、10年経っても犯人は見つからなかった。警察も既に捜索を諦めているようである。

犯人は、完全犯罪をやってのけたのだ。


その日、相浦賢は愛する妻とその身に宿された娘を、失った。



* * *



「ここが何でも屋DCか…」

その建物は平屋建てで、右側にある玄関が入り口となっていた。

――ふむ、どうやら家兼店という感じのようだ。中々綺麗じゃないか…

そして、蓮は店内に足を踏み入れた。

「ごめん下さ~い!おはようございます!昨日お電話させて頂きました日下蓮です!相浦さんはいらっしゃいますか~!」

――居ないのか…?入ってもいいのだろうか…

店の奥へと進み、ドアを開けると部屋の中央に大きな机が置かれており、向かい合うようにソファーが置かれていた。どうやら悩み相談用の部屋のようである。

――暖かい…暖房が入っているということは誰か居るのかな

抜き足差し足で、音を立てぬようにゆっくりと部屋の中に進もうとしたその時、突如背後から声がかかった。

「誰だ小僧。泥棒なら許さん」

その声にあわや心臓が止まるかと思うほど驚いた蓮。だが、すぐに取り直し、

「お、おはようございます。昨日お電話させて頂きました日下蓮といいます。相浦さんでしょうか…?」

年齢は40代後半程度だろうか、鷹のような鋭い目付きに、相浦の顔には所々皺が刻まれており、頭髪も白髪が混じっていた。雰囲気は、歴戦の老いたライオンのようで、蓮の相浦に対しての第一印象は『かっこいい』であった。

「ああ、俺が相浦賢だ。そして突然だが君にはここの正社員になってもらうので、というわけでよろしく」

――はて、聞き間違いだろうか

「あの、今なんて…」

「ああ?聴こえなかったのか?よろしくな。そんだけだ」

「いやそこじゃなくて!その前ですよ!」

「あ、そこか。バイトとは言わず正社員になってくれって言ったんだよ。別に、合わなかったらいつ辞めてもいいぜ」

蓮はその言葉に喜びと混乱がない交ぜになった。

――ど、どうしよう!バイト初日からいきなり正社員になってしまった!バイトの正社員昇格記録を更新してしまった!

「嫌、か?」

「とんでもない!ですが、せめて理由を聞かせて貰えないでしょうか?」

「いや、昨日まで働いてた奴が会社立ち上げるっつって辞めちまってよ。人手が足りなかったんだ。というわけで君は採用だ。今日から悩み相談の仕事についてもらうから、ここが仕事場だ。自由に使ってもらって構わない」

「は、はい!ありがとうございます!」

知らぬ間に、蓮は相浦に向かって敬礼をしていた。

蓮も内心はこんがらがっており、こんなに早く仕事に就けるとは思っていなかった。

「そんなんはいいから。後からもう一人従業員が来るから挨拶しとけよ。これが悩み相談のマニュアルだ。目を通しておけ」

そう言って、相浦は退出していった。

そして、言われた通り、蓮は手渡された紙に目を通す。

1.常にお客様の視点に立ち、相談に乗ること。

2.どんな相談内容でも、全力で話を聞き入れること。

3.悩み相談で、少しでもお客様の心を軽くさせること。

※手紙を書いて相談するお客様も居るため、3時間おきに店前の郵便受けを確認すること。

※手紙があった場合は、12時間以内に速やかに返信を書くこと。

以上だ。

仕事内容は大体理解出来た。問題は無いだろう。一つあるとすれば見知らぬ人と自然体で会話出来るかどうかだが、特に問題は無い…と思う。

そして、何かが始まりそうな予感に胸を弾ませ、悩み相談が来るまで部屋で待ち続けるという精神の訓練を開始した。

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