47話 プレリュード 予感
「でさ、私は言ってやったのよ。そんなにカエルが食べたいならアマゾンに行けってね!」
「……何の話をしているんだ今は」
里美の家から愛の家へ向かう間のたわいもない会話。いつも通りに愛のどうでもいい話を龍二が真剣に聞いている。しかし和気藹々な会話を続けるにはあまりに短い道のりで。
「着いたな、よし今日はこれで……」
家の目の前で別れを告げ去ろうとした龍二。しかし愛に腕を捕まれて阻まれる。
「ちょっと待って! 咲姫さんが寒そうだったから、上着持って行ってあげたいんだ。付いて行ってくれる?」
門限が短い龍二にとってはなるべく早く帰りたいところだが、確かに先ほど見た咲姫は季節感があっていない服装であった。これからも見張りを続けるなら寒さも厳しくなる。上着の1枚ぐらい持っていってやった方が良いだろう。
「時間がかからないなら問題ないが、この距離なら一人でも行けないか?」
「えー!短くてもこの間に襲われたらどうすんのさ!」
里美の家と愛の家は小さな空き地を挟んですぐ隣。わざわざ一緒に行く必要もなさそうだが……
「可能性はなくは無いが、そもそも狙われているのは里美でだな……」
「つべこべ言わずについてくる!」
愛にそのまま腕に引っ張られ、家の中まで連れて行かれる龍二。
「お、おいなぜ家に俺が!」
「寒い中待ってるのは嫌でしょ? お茶出すからさ!」
「し、失礼しまぁぁす!」
青木龍二、十七歳。近寄りがたいオーラと厳つい顔だが、こう見えて礼儀は正しい。
「ささどうぞ、粗茶ですが」
「これはご丁寧にどうも……いただきます」
差し出された緑茶を一口飲む龍二。うまい、渋みが程よくありちょうどいい温かさが胸をホッとさせる。いや、何故愛の部屋に上がり込む事態になっているのだ。
「じゃあこの上着届けてくるから、それ飲んで待っててね」
言われるままに出されたお茶を飲み干す。初めて入る女性の部屋は男なら絶対にしないだろうピンクの内装で、身体がそわそわしてむず痒い。吸う空気も普段と全く違い、何らかの未知なるイオンが発生していると言われても今なら信じてしまいそうだ。
そんなこんなで頭がノイズだらけになっていると、愛が上着を片手に抱えて部屋を飛び出して行った。一人残された龍二は不必要に観察したり物に触れてはならないと、テーブルの前でじっと座っている。
「……上着を貸すのに付いていけという話では無かったのか?」
なぜか置いて行かれた違和感に気づいたのは、愛が飛び出して少しした後だった。
「やーおまたせ! もう一杯いる? お菓子出そうか?」
愛が戻ってくるのは数分、いや数十秒後だった。走って届けたのか息が微かに息切れしている。
「……ベルゼリアンは現れなかったらしいな」
「え? なんだ心配性だなー、こんな短いなら大丈夫だって!」
先ほどとは正反対の事を言い出す愛。結局、愛の思惑があるか無いかは分からないが、龍二は部屋に連れ込まれる事になってしまった。
「良いのか、そもそも男を挨拶もせずに上がり込ませて」
色恋沙汰に鈍い龍二と言えど女性の部屋に男が上り込むマズさは知っている。即座に立ち去るかせめて家族に挨拶ぐらいはしたいところなのだが。
「挨拶っても今誰もいないしなぁ……いいんじゃない?」
「一人なのか?」
「そうだよ? 今日はみんな帰り遅いから」
「尚更ダメじゃ無いか!」
机を両手で勢いよく叩く龍二。つまり部屋どころではなく家に二人きりと言うことになる。
「えー? 見知らぬ仲でもないんだからよくない?」
「ダメだダメだ! ともかく俺は帰らせてもらうぞ」
「嘘ぉ!? 二人だけだよ、しないの? この――」
「しない! 破廉恥な!」
「ゲーム!」
「は?」
愛が突きつけてきたのはゲームのコントローラーだった。何をしようと誘っているのかハラハラしていた龍二にとっては相当な肩透かしである。
「いや、地下の研究所にはテレビないじゃん? だからうちでやるしかないと思って」
「……これをやれば満足するのか」
「そう! 一回だけやろ! ね?」
「仕方ない、ゲームには慣れないが勝負から逃げるわけにはいかんな!」
龍二はコントローラーを手渡されると、テレビ画面の前にどっしりと座る。やると決めた勝負にはとことん乗るつもりだ。
二人が遊んでいるゲームはシリーズの長く続くオーソドックスな格闘ゲームだ。龍二は主人公を選択し、ポーズ画面で以前の作品とコマンドが変わっていない事を確認していざ戦いに挑むも。
「いえー! 私の勝ち! 無理に付き合わせてごめんね?」
惨敗。初めてプレイした人間がソフトの所持者に勝てるわけもないのだが、大差をつけられて負けた事は龍二のプライドに火をつけた。
「……もう一回だ。まさか初心者狩りだけして、帰れとは言わんよな?」
「じ、時間が大丈夫ならいいよ」
愛が熱に押され再戦。先ほどよりかは差は縮まるも、屈強な投げキャラの前に龍二は再び敗北した。
「まだだ、大体は掴めてきた。もう一回だ!」
「ほ、本当に大丈夫?」
息巻く龍二だったが、悲しみの三連敗。だがこのくらいで折れるような男ではない。
「……次は勝てる」
「ね、ねえ! 違うゲームにしようか?」
迂闊に格闘ゲームを選ぶべきで無かったと愛は後悔した。負けず嫌いの性格を知っておきながら、ここまで圧勝してしまってはムキになるのは分かりきっていたはずなのに。せめて楽しく遊べるパーティゲームに今からでも変えれば……
「いいや、それではこのゲームで負けたままだ!」
「わ、わかったよ……」
こうも対抗意識を向けられるならば一度負けてやっても……
「情けをかけて手加減する必要などないからな!」
「わかったわかった!」
わざと負けるなどと言う甘い考えは読まれていたらしい。龍二とゲームをするのは愛の思っていたことだが、はたしていつまでやることになるだろうか。
「六勝六敗……だね? ここで白黒つけようじゃん!」
ゲーム自体は得意ではないそうだが、龍二は持ち前の物覚えの良さと反射神経を使い、十戦やる頃にははほぼ愛の腕を超えたと言っても過言では無かった。強大なライバルが出来たことで愛もノリに乗ってきていた。次の一戦に向けて気合を入れなおしていたのだが。
「いや、今日はここで終わりだ」
「なんでさ! こっからが面白いとこじゃん!」
龍二の方がやる気があると思いきや、コントローラーを置いてしまった。拍子抜けすしてしまいまだ遊ぼうと言う愛。それにも目をくれず、龍二は荷物をまとめて家から出る支度をしている。
「俺も続きがしたいのは山々だ。しかし、厄介な客が来ているようでな」
「それって……」
「遠くても強く感じるこの感覚……恐らく奴だ」
龍二は頭に来た痛みで、ベルゼリアンの接近を察知していた。言っていた奴とは、強力なベルゼリアン、ドラキュラ。里美を狙うジャックが少しずつ近づいてきているならば、迎え撃たないわけにはいかない。
「絶対に家から出るんじゃないぞ。俺は少し離れた場所で奴を迎え撃つ。俺が出たら朱雀に連絡を入れてくれ」
手早く的確に愛に指示を伝える龍二。その目はゲームをしている時とは違い、既に戦いに向かう者の目をしていた。
「わかった……無理、しないでよ」
この目をしている時の龍二を、愛は止めることができない。戦って危険な目にあって欲しくはなくても、自分を、友人たちを守ってもらうには龍二が戦うしかない事は分かっている。無意識のうちに愛は目を伏せてしまう。それに気づいたのか龍二が愛の手を取って。
「またゲームの続きをしたい。もう一度……ここに来ていいだろうか」
うつむき伏せる目をそっと優しく覗き込んで、龍二が微笑みかけた。龍二の笑顔などなかなか見れるものではない。それもこれほどの至近距離で見せられたとなれば、愛の胸は一瞬激しく高鳴った。この気持ちに応えないわけにはいかないとこちらも最大限の笑顔で。
「もちろん。行ってらっしゃい」
「必ず帰ってくるさ。俺はまだ負けられない」
彼の優しい笑顔が、心が、戦う理由なのだとしたら自分は信じることができる。そう愛は思いながら、戦いに赴く戦士の背中を見送った。
深夜の住宅街をつばの長い帽子で目元を隠しながら一人歩く怪しい人影があった。怪しくも堂々としたその歩みは、まるで今夜の闇を全て従えているかのように。だがその歩みも、突然聞こえてきた一言に止められる。
「そこで止まってもらおうか! これ以上先に一歩も進ませるわけにはいかない」
等間隔に設置された小さな街灯の一つに照らされた蒼き鱗の竜人。一本の剣の切っ先を向け、それと同じほどに鋭い目つきで相手を睨みつける。
「やれやれ、そちらから来てくれるとはありがたいね」
それにも動じずに、帽子を被り直しながら怪しい男――ドラキュラは答えるように牙と紅き瞳を竜人に向ける。
「また里美を狙ってきたのか、何度現れようと貴様の思い通りにはさせん!」
「この前は負けたくせに良く言うよ。今度こそは息の根を止めさせてもらう!」
戦う以外に術はないと激しくぶつかり合う両者。龍二の斬撃を避けながら反撃の隙を伺うドラキュラ。しかし、その狙いを龍二もわかっている。攻撃と攻撃の間に隙を作らないように流れるような連撃を決める。
「チッ!」
「以前の俺とは違う!」
連続攻撃を可能とさせているのは以前の戦いよりも短く生成した剣。リーチと威力を犠牲にしながらも、振り回しやすく小回りの利くカスタマイズを剣の生成の練度を上げることで可能にしたのだ。手数で勝負し相手にダメージと隙を与える。再生能力を超える一撃はその後で十分だ。
「そうやってりゃいつかは僕に届くだろってことなんだろうが、そんなのは机上の空論でしかない!」
このまま近距離戦をしていても不利でしかないと考えたドラキュラは大きく後ろに飛び退いて間合いから外れる。そしてマントの中から小さなコウモリを呼び出した。
「小癪な攻撃を!」
襲い掛かるコウモリを一匹一匹切り伏せる龍二。この間に相手は闇に姿をくらまし闇討ちを仕掛けてくるのだろう。前回の戦いでも似た場面があった。だが今度は違う!
「……来たか」
相手がどこから襲ってくるのか神経を尖らせていた龍二の耳に聞こえてきたのは、夜空を切り裂くようなブーストの音だった。
「手を貸しにきた! 青龍!」
その声のすぐ後に、闇討ちしようと空を飛んでいたドラキュラが地面に叩きつけられてきた。龍二の近くには咲姫をお姫様抱っこで抱いた朱里が、舞い降りるかのようにやってきた。
「き、貴様……この闇の中でどうやって居場所を……!」
ドラキュラが唇から流れる血を拭って立ち上がる。夜の暗さだけでなく、自分の能力で生み出した闇を呆気なく破られ、動揺しているようだ。朱里はそっと咲姫を下ろし、戦闘態勢を取りながら自らの目を指指した。
「生憎、この目は普通じゃないんだよ。暗さなど問題にならん!」
朱里の目は咲姫によって作られた義眼。その高性能で暗いところでも普段と変わらぬ視界を確保できる。
「人々を蝕み、苦しめる闇を切り裂く真紅の翼! 今ここに鉄槌となりて悪を消し去る! 朱雀が今ここに――むぐっ!」
いつも通りに口上高らかに謳い上げようとした咲姫だったが、突然口を朱里に塞がれてしまう。
「お嬢様さま、この時間では近所迷惑になりますので、お静かに」
「……仕方がないですわね、サクッとやっておしまい!」
「承知いたしました」
それを聞いて朱里が戦闘行動を始める。住宅街での戦いなので、ガトリングなどの周囲を巻き込むような武器は使わず、蹴り技とナイフを使っての戦いで圧倒していく。
「今なら……やれる! 貴様の再生能力、圧倒的な力と物量で凌駕してやるさ!」
龍二も朱雀の戦いをただ見ているだけではない。意識を集中させて、高い再生能力を持ったドラキュラを倒しきるための戦術を使おうとしていた。
「百でも千でも、気がすむまで殺してやる! インフィニートスパーダ!」
何もない空間から、次々と数多の剣が生み出される。その中から二本を拾い上げ、すぐさまドラキュラに投げつけた。朱里もそれに合わせるかのように近接戦闘の間合いから離れ、龍二の援護に回る。
投げた剣は軽く弾かれてしまうも、これはあくまで牽制。ドラキュラが敵の剣でこの空間が支配されている事を理解する間も無く次の攻撃が襲いかかる。
「なんだって言うんだ。こんな事、前は!?」
「以前とは違うと言ったろう!」
虎白との模擬戦で見せた、指の間に剣を挟み、八本もの剣で相手に襲いかかる戦い方でドラキュラを追い詰める。白虎のスピードをもってすら避けきれない攻撃を避け切れるはずもなく、刃は体に突き刺さる。
「まだだ!」
刺さった剣から手を離し、大きく両手を上げる龍二。次の瞬間その手の中に現れたのは、四メートルもありそうな大剣だった。
「叩き潰す!」
切断ではなく体全体に圧倒的質量を叩き込む。それが龍二の出した再生能力の攻略法だった。
大剣の横薙ぎを食らったドラキュラは、悲鳴すら上げる暇もなく激しく吹き飛ぶ。コンクリート塀に大きなヒビを入れながら叩きつけられ、満身創痍と言わざるを得ない状況で、ぐったりと放心していた。
「これでも足りないか……? なら」
大剣を引きずりながら、追撃を加えようとゆっくりとにじり寄る龍二。次こそ最後の一撃だろうと誰もが確信していた。
「……ハハッ……クハハハハ! これは傑作だなぁ!自分の存在が何者なのか、何もわかっていないらしい!」
突然声を大きく上げ、笑い出すドラキュラ。最後の強がりかと思えたその行動だが、戦い続けていた朱里と龍二は不気味さと不安が拭い去れない。
「何がおかしい、辞世の句を詠むのなら、せめて品の良いものにしろ」
黙らせるために冷たく睨みを効かせる龍二。しかし不気味な笑みは止まることはなかった。
「多くの剣を使うと思えば、しまいにはそんな大きな玩具まで生み出すなんて! そんな戦い方を続ければ、君は君の力で身を滅ぼすことになる……」
「どう言う意味だ!」
身を滅ぼす。その言葉に龍二の背筋が凍った。普段ならば悪足掻きの捨てゼリフと切り捨てられる言葉のはずなのに、その裏に何か、含みを感じずにいられなかったのだ。
「じゃあ……教えてあげよう。君の正体を、君が何処で何故生まれたのか! そして君に迫る死の恐怖を!」
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