46話 リメンバー あの日の記憶

「それじゃ、今日もありがとね。また明日」


「また明日ー!」


 井ノ瀬家の玄関で愛と里美が手を振って別れる。賑やかな二人の側で龍二が険しい顔で周りを見渡していた。


「隊長、今日も護衛任務達成であります!」


「ああ、今日も奴は来なかったな」


 里美の元に予告状が届き、ドラキュラに襲撃されたのも未だに記憶に新しい時期、それ以降下校時には龍二と、ついでに隣に住む愛の護衛がつく日々が続いていた。


「後はあちらの仕事か」


 電信柱の陰からひょっこりと顔だけ出して井ノ瀬宅を見守る人影に目をやる。はたから見ればいかにも怪しい不審者なのだが、その人物を知っていた愛は物怖じせずにその人影に寄って行く。


「こんにちはー! お、あんパンと牛乳! 本格的ですねー!」


 右手にあんパン、左手には牛乳瓶を持ちながら深く帽子を被り顔を隠す人影、隠れていたのに話しかけられて驚いたのか目を丸くさせるも、言葉をかけた主が見知った人物だとわかると笑顔を見せてきた。


「んぎゃ!? ど、どうも遠藤さん。張り込みにはこれが欠かせませんわよね? 実はわたくし、あんパンは初めていただきましたの」


「ええっ!? 私三日に一回は食べてますよ!?」


 あんパンを始めて食べたと言う咲姫に驚きを隠せない愛。時々弁当だけでは飽き足らず購買であんパンを昼休み中に頬張る愛にとってはあれ程美味しいものを食べたことが無いなど信じがたい。


「特にこだわってる訳では無いのですけど、あんな館に住んでいると、不思議と日本風の食べ物は食べなくなりますの」


「ああ、洋館の雰囲気には合わないかも?」


「ですから、今日の為に私が焼いたのです。お一ついかがですか」


「のわぁぁ!?」


 住宅街の何気ない植木の中から緑の塊が這い出てきた。驚いて尻餅をついてしまう愛だったが、よく見てみると、ギリースーツを着た朱里だとわかった。

 バレバレかつ不審な張り込みをしている主人と違ってこちらは素人ならば全く気づかないほどの潜伏ぶりだ。


「これは失礼。確実に護衛するには必要な装備かと思いまして」


 朱里は愛の口にあんパンを優しくねじ込むと、周囲に目を光らせ、怪しいものが無いか確認する。どうやら異常はないようだ。


 朱里たち朱雀一行は、未だに知能がある恐らく上位クラスのベルゼリアン、ドラキュラに命を狙われている里美の放課後からの護衛を任されていた。学校の中は龍二達が近くに居るので安全だが高校生の身であるが故、夜中までは守れない。困っていた所を朱里が自分ならと志願してきたのだ。


「我々紅神同盟の盟友を守る為です。気は抜けませんから」


「あ、同盟の名前はホントにそれで決定なんですね……」


 共闘を結んだ時のその時の勢いだけで決めたと思っていた名前が未だに残っていることに多少驚く愛。ついさっきねじ込まれたあんパンは既に胃の中だ。


「玄武にこっ酷くやられて、懲りたと思いたいのですけど……備えあれば憂いなし、貴方の親友はわたくし達が完璧に守ってみせますわ!」


 任せておけと言わんばかりに胸を叩いて自信を見せる咲姫、しかしその表情はすぐに崩れた。


「へくちょん!」


 大きなくしゃみを咲姫が一つ。ちなみに「へくちょん!」はくしゃみを可愛く表したわけではなく、確実に「へくちょん!」と言った。間違いない。


「お嬢様、これを」


 すかさず朱里がティッシュを差し出す。


「ありがとう朱里、もう寒くなってきましたわね」


 鼻をかんで身震いさせる咲姫、秋もそろそろ終わりを告げ、最近は急に冷えてきた。そのせいで少し前までと同じ服装で出かけるも、思ったより寒くて凍える人が後を絶たない。咲姫もその一人だ。


「暗くなるのも早くなって参りました、ここは一旦青龍に任せて、お嬢様はお屋敷にお戻りになってください。私がお送りします」


「……俺も早く帰らねば怒られてしまうのだが」


 龍二が気まずそうな表情を浮かべる。孤児であった龍二を引き取った義理の両親は過保護で門限が早い。


「君はか弱き女性が夜遅くまで外に居るのを良しとするのか?」


 普段の快闊さからするとか弱いと言われてもしっくりこないが、これからベルゼリアンとの戦いに巻き込まれると考えれば、帰した方が安全かもしれないが……そう龍二が悩んでいると咲姫が口を開く。


「それでもお断りしますわ。紅神家の当主として仲間の安全を見守るのが使命。第一、朱里はわたくしが居なければ朱雀になれないでしょう!」


 朱雀へ姿を変えるには両者の承認が無くてはできないことを思い出す。朱里が自分の力を身勝手に使わないために、咲姫が一方的に力を従えないために二人で決めたルールが二人を片時も離れる事を許さない。故に朱雀は両翼揃わねば羽ばたけないのだ。


「わたくしが安全でも朱里が危険では意味がありませんわ。それとも紅神の従者でありながら、主人を傍で守る自信がないとでも?」


 確かに朱雀の力を使えない状態で敵と遭遇しては危険だ。夜遅くに出歩かせるのは不本意だがここは仕方がない。


「……承知しました。お嬢様は私が全力でお守りします」


「それでいいのです。たとえどんな敵が来てもわたくしたちなら負けません」


 主人にここまで言われては従うしかないと、朱里は片膝をついて忠誠を示す。


「それなら俺たちは帰らせてもらうぞ。里美の事は頼んだ」


「お二人ともさようなら! 私の家すぐ隣なんで、大声出せばすぐ駆けつけますから!」


 この程度の距離なら送っていこうと、龍二が愛に話すと、二人が別れを告げて、愛の家へ向かっていく。横並びで仲睦まじく歩く姿を咲姫は見守った。


「さて、私はもう一度茂みに隠れますので、それでは」


 そう言い残して朱里が緑の中にしゃがみ込む。外から見るとそこに人がいるとは本当に思えない、わが従者の仕事ぶりには関心だが、そこまでやる必要はあるのかと咲姫は疑問に思った。




「咲姫、私の声は聞こえますわよね?」


 監視を続けて何時間経っただろうか、周囲は既に闇に包まれ月明りと疎らに設置された小さな街灯が咲姫を照らす。ベルゼリアンどころか不審者も出ず、退屈していた咲姫が朱里に話しかけてみた。


「はい、お嬢様。何か気づいたことでも?」


 植木の中から朱里の声が聞こえてくる。相変わらず姿は見えないが任務は続けているらしい。


「いえ、今の所、問題は……暇すぎることぐらいですわね。話し相手になってくださる?」


 どうせ見えないならと、視線は里美の家に向けたまま二人が会話を続ける。二階の明かりが丁度消えて一回だけが付いている。リビングに家族で揃って夕飯を食べているのだろうか。


「もちろん、いつまでもお相手します。お嬢様、先ほどよりいっそう寒くなりましたが、大丈夫でしょうか」


「遠藤さんから貰った上着のおかげでなんとか。朱里は……そのスーツは暖かそうでしたわね」


 愛達とは一旦別れたが、その直後に寒さで凍えていた咲姫を見かねて愛が暖かい上着を持ってきてくれた。ブラウンでモコモコなジャンパー、お嬢様に安物を着せて申し訳ないなどと謙遜していたが、あの気の利き方は友人に好かれる訳だと感じていた。その一方、朱里が来ているのは通気性が全くないギリースーツ。


「ええ、排気熱がこもって暖かいです。この体がこのように役立つとは」


「あら、オーバーヒートだけは気を付けてね? 次の夏までにはさらに排熱を改善しなければなりませんわね」


「最初の夏は大変でしたからね。あの時はご迷惑をおかけしました」


「わたくしの技術不足が原因です。謝罪は必要ないですわ」


 朱里が機械の体になって最初の夏、いつも通りに庭仕事をしていた最中に体がオーバーヒートを起こし動けなくなったことがあった。


「最初の頃は大変でしたわよね。あれからもう二年……なんだか時間の流れが速く感じますわ」


「私たちにとって激動の二年でしたね。そう、私がこの体になったのもこんな冬の初めだった……覚えてますか?」


「もちろんですわ、忘れようとしても忘れられるものじゃない……でしょう?」


 二人は生き方も体も責任も……全てが変わってしまったあの運命の日を思い出す。二年前強力なベルゼリアン『ジャック』が紅神邸に襲いかかり、朱里は自らの体を、咲姫は父を失ったあの日を。


「私も頭に焼き付いて離れませんよ。……あの日私が見たことを詳しくはお嬢様にお伝えしていませんでしたね、お嬢様がよろしければ、今お話しします」


「わたくしは大丈夫です。紅神の現当主として全てを知る覚悟がある。でも、朱里にとってあの日を思い出すのは、辛くはなくて?」


 少しの沈黙、顔は見えなくとも咲姫は自らの従者が辛い顔をしているのが感じ取れた。


「……確かに辛いです。それに必要なことは既に話してありますから、辛い上に何かヒントになることもないでしょう。でも、仇であるジャックが現れた以上、私はあの日と向き合わねばならないのです。……少々、お付き合いください」


「わかりました。でも無理に思い出さなくとも結構よ。本当に辛くなったらそこでやめて構いませんわ」


「お心遣い、感謝します」


 再びの沈黙。だが今回は前とは違う。朱里があの日と向き合う覚悟を決めるための間なのだと、咲姫は思う。


「あの日、私は同じく住み込みで働くメイドたちと共に部屋で就寝をしていました。時刻は……確か午前二時を過ぎたあたりだったでしょうか、その頃ガラスが割れる大きな音で私と数人のメイドが目覚めました」


「ええ、確かその時間でしたわね、私も覚えてる……」


 二人が記憶をすり合わせる。体に当たる冷たい風と、碌に照らさない月明りの暗さのせいか、まるでタイムスリップでもしたかのように。


「その数人のメイドと、音の元を確かめに行くかで小声で相談しました。このような深夜に大事にはしたくなかったので、その中で一番長く勤めていた私が代表して確認することにしたのです」


 高校生の時に両親と喧嘩別れし、若くから紅神家に住み込みで働く朱里は、当時もそして今もメイドの中で最古参だった。他のメイドと役職に違いはなくも、実質的なメイド長を務めている。


「不審者や強盗なら、一人で立ち向かうなど無謀極まりない愚策でしたでしょうね。でも、相手が相手なので他のメイドに被害が出ない策を不幸中の幸いながら選んでいたと言えるでしょうね」


「若いメイド達のために勇気を持って行動してくれたことを感謝します。今更ではあるけれど……あなたは昔から紅神家の自慢の従者です」


 ありがとうございます。と茂みの中から声が聞こえる。主人に褒められて一瞬声が明るくなったが、また暗いトーンに落として話は続いた。


「中央階段の付近で、人が通れる大きさに割れたガラスを発見しました。粉々に破片だけが残っていて

侵入してきただろう人影は見つからず、ろうそくの明かりだけで周囲を見渡しましても、それ以外何も見つかりませんでした」


 声に僅かだが震えが加わったような気が咲姫はした。この記憶も、衝撃的で思い出したくない場面に近づいている。そう思って心を引き締める。


「そのままでも仕方がないので、お嬢様とご主人様の安全と値打ちの物が多い部屋を見回ろうと考えたのです。そこで真っ先に向かったのが一番近いご主人様の部屋でした」


「部屋の前で、小さな異変に気付いたのです。いつも確認していたわけではないですが、鍵が閉められておらず、少しだけドアが開いていた。ご主人様の性格からして考えにくいことだと思い、就寝を邪魔してしまう可能性も問わずに扉を開けて中に入りました。そこで見たのは――」


 朱里が続きを話さない。ここまでは思い返せても、決定的な瞬間は流石に口にするのは憚れるかと思い、もういいと咲姫が止めようかと思ったその瞬間に、もう一度口を開けて。


「血に……真っ赤に、染まったベッドシーツと……床に、床に転げ落ちていた……ご主人様の姿でした……」


 声が嗚咽と共に聞こえる。言葉に詰まりながらむせび泣くのを聞いていると、痛々しくも思えて制止せずにいられない。


「もういい、もう、いいですわ朱里。やはり辛いだけの記憶を思い出す意味なんて……」


「いえ、まだ話を聞いてください。今日本当にお話ししたかったのはここからなのです」


 止められてもなお、朱里は言葉を続けるのをやめない。自分の意思で過去と向き合うために。


「ご主人様は……私が部屋に入った時、実はまだ息があったのです。かすれた、絶え絶えの声で最後にこう言い残しました」


 咲姫も知らない父の最後の言葉。それを聞くのが自分のさだめだと、言葉を挟まない。冷たい空気が居の中に入って体の芯から冷えてくる。


「ご主人様は……ご主人様はっ! 咲姫を、逃がしてくれと。今際の際まで、お嬢様の事を考えてらっしゃった……私が伝えたかったのはそれだけなんです……」


 今更この遺言を知った所でどうなることもない。それでも咲姫と、その父である幸一郎の仲の良い姿を昔から見続けていた朱里にとって、自分の娘を思う最後の姿を伝えてあげたかった。


「……ふふっ、やはりお父様は紅神の名に恥じぬ立派な方でしたわ。ありがとう朱里。それが知れただけで私は嬉しいわ」


 咲姫の目から涙が止まらない。それでも、顔は笑って見せた。従者の必死の思い、そして自らの父は自分が泣くのは望まないと思って。


「ちょっと、涙で視界が……これじゃちゃんと見守れませんわ」


 涙も拭かずに、視線は前を向き続ける。朱雀の戦いは、まだ続くのだから。




 あれから少し時間も経ち、心も落ち着いた。夜も深まって更に寒さが厳しさを増す。体感はもう真冬と変わらないほどで、鼻と耳が冷たくてしょうがない。おそらく就寝したのか、家の灯りが消えてから何も変化も起きずただただ真っ暗な家を見つめる。……いつまでやればいいのだろうか。遠くで鳴くカエルの大合唱を疎ましく思っていると、携帯のバイブレーションが聞こえてきた。咲姫の携帯ではない。朱里だ。


「もしもし、遠藤さ――何ッ!?」


 電話越しからも聞こえる愛の叫びが、静かだった住宅街に緊張感を走らせる。緊急事態だと言うのは何も聞かなくてもすぐに分かった。


「朱里、何がありましたの!?」


「井ノ瀬さんを狙っているはずのベルゼリアンが青龍の元に現れたと、朱雀で向かいます!」


 茂みから朱里が勢いよく飛び出てくる。顔に塗った緑色のペイントが先ほどの涙で所々取れている……明らかに顔を塗るのはやりすぎだと思うのだが。今はそのようなことを言っている場合でもない。


「わかりましたわ! やりますわよ、朱里!」


 その声を聞くと、朱里がギリースーツを脱ぎ捨て、いつものメイド服姿に戻る。そして二人はお互いの指先を絡ませるように手繰り寄せ、そっと顔を近づける。


「ええ、お嬢様。朱雀、モードチェンジを承認。オールコンプリート」


「今ここに、朱雀の力を振るうことを認めます。モードチェンジ承認!」


「両者の承認を確認。朱雀、起動します!」


 朱里の言葉とともに辺り一面にスモークが溢れる。その中でメイド服が真紅の物に変わり、朱里の体が戦闘モードの朱雀へ変わっていった。水蒸気のスモークは、朱里の顔のペイントを全て落とした。


「綺麗な顔。やはりあのような化粧は朱里には似合いませんわ」


「ほ、褒められる物では……マスクを付けます」


 赤くなった顔を隠すように、朱里が正体を知られない為のマスクを付けた。朱雀の仮面舞踏会が今始まる。


「飛びます。しっかりとお掴まりください」


 ブーストを大きく吹かしながら咲姫を抱いた朱雀が空へ向かって行った。肩を並べて戦う仲間を助ける為に。

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