44話 ドリーム いつか見た夢
「こっちこっち! 置いてっちゃうよー?」
「……待ってくれ、愛。今行く」
気が付けば龍二は、愛と二人で花畑の真ん中に立っていた。周囲はピンクとも紫とも言えない、だが確かに綺麗な花で囲まれている。最近もこの花を見たような気がするが、何という名前の花だったか龍二にはわからなかった。
花に気を取られてはいけない、龍二が愛の元へ足を進める。待ってくれと言っているのに愛は足を止めることなく走り続けていた。純白のワンピースの裾がひらひらとはためき、その下から見える生足が眩しい。いつになったら止まるのかと思っていると、小さな丘の頂上でやっと二人は歩みを止めた。
「いやー、いい景色だねー! ここまで来た甲斐があるってもんだ!」
「ああ、本当にな。とても気分がいい」
太陽が真上から照らしているが、涼しげな空気と爽やかな秋風が暑さを全く感じさせない。その風に吹かれて花たちが揺らめく。その様子を一望できるこの丘は正に絶景であった。花の知識は全くない龍二でも花がこんなにも綺麗で周りを囲まれれば心地の良いことは知っている。
「うーん、幸せだなー」
全く同感だと龍二がうなずく。豊金は自然が今も多く残っている地域だが、ここまで綺麗な場所はそうそうない。そんな場所で、隣に居るのが愛となれば、まるで極楽浄土に来たような気持ちだと感じていた。
しばし何も考えずに景色を楽しむ。思えばどこに遊びに行っても戦いばかりの日々、こうやって心落ち着ける時間など何時ぶりか……大きく息を吸って深呼吸をすると、新鮮な空気が体中を駆け巡る。
「ねぇ、ねぇってば」
景色に夢中になっていたのか気が抜けていたようで、すぐ傍から聞こえる声にハッと振り向く。愛が服の袖を掴んでこちらの気を引こうとしていた。すまんと詫びて話を聞こうとする。
「ちょっと、聞いておきたいことがあるんだけどさ……」
龍二に話を聞く気があるとわかると、愛は神妙な面持ちになりこちら見つめてくる。宝石のように輝くまん丸な目に思わず吸い込まれそうなどと考えてしまう。いかん、今日は何故か腑抜けた事ばかり考えてしまうと、龍二は身を引き締める。今は愛の話を聞こう。
「その……私たちが知り合って、なんだかんだ結構経ったしさ、今みたいに二人で遊ぶことだってあるわけで……確認! 確認なんだけどさ……」
やけに勿体ぶった言い方をするのだなと龍二は不思議に思った。向こうから話してきたくせに中々本題に入らない上、言葉の続きが出てこない。それでも催促することなくじっと待っていると、意を決したのか遂に本題を切り出した。
「私の事……好き?」
衝撃的な言葉に心臓が飛び跳ねる。二人きりでなんとなく雰囲気が良いとは思ってはいたが、そこまで突っ込んだ話をされるとは思ってなかった。驚いて混乱している間にも愛はじっと龍二を見つめ続ける。何か、何か答えなければならない。龍二は冷静になれと頭の中で唱えるもそう簡単に落ち着ければ苦労しない。
「……何か答えて欲しいんだけど」
答えようとはしている。だが思うように口が開かない。いや、開いたところでどう答えれば良いのか全く分からなかった。あの時と同じだ。最近里美にも愛をどう思っているか聞かれていた。その時も明確な答えが出なかった。口が開かないせいか溺れているかのような感覚に襲われる。何も頭に浮かばなくて頭は真っ白、なのに愛は変わらず龍二を見つめ続けていて……
「う……うう……」
「あ! ごめん、痛かった?」
どこだか分からない部屋のベッドの上で、痛みによって龍二が目覚める。龍二の腕を愛が掴んだ時、故意ではないが傷口に触れてしまったようだ。
「ずっと同じ体制でいると体に悪いかなって思ったんだけど、起こしちゃったね」
今まで見ていたのは夢か、と龍二は先ほどの記憶を思い起こす。久々に見た現実での愛は、疲れているのか何処か元気がない。まさか意識がない間ずっと世話をしていたのかと想像する。
「ここは……病院か?」
「違うよ、紅神さんちのお屋敷。前私が怪我した時もお世話になったじゃん? ここ、同じ部屋なんだよ」
以前愛を守れずに傷を負わせてしまった時の事を思い出す。あの時のような思いは二度としたくないし、させたくもない。その為にはもっと強くならなくては。ならばこんなところで寝ている場合ではない筈だと体を起き上がらせようとすると、全身に電撃が走るような鋭い痛みが走る。
「あ! まだ安静にしてないと駄目だって!」
「いや、こんなところで油を売っている間にも奴らは……ぐッ」
愛の制止を振り切って立ち上がろうとするも、到底我慢できないような痛みが再び。龍二はそんな体に違和感を覚える。昔からベルゼリアンと戦い続けた龍二にとって怪我などしょっちゅうあることだ。しかし普段なら驚異的な回復力ですぐに元通り、具体的な時間はわからずとも休養を取ってなお、体が言うことを聞かないなど今までなかった。
「おかしい……治癒が遅い」
「あんなボロボロで運ばれてこんなミイラ男状態になってさ! 今意識がある時点で十分早いの!」
未だに立ち上がろうとするのをやめない龍二を愛がなるべく傷口を刺激しないように制止した。その言葉を聞いて自らの体を見た龍二は、言葉通りに包帯だらけの姿を見て傷の深さを認識した。
「ダメか、全く貧弱な体だ」
「こんな姿になっても生きてるって強靭だと思うけどなぁ……失礼ながら」
愛が龍二の倒れている姿を見た時は、どう考えても絶望的な状況だとしか思えなかったし、今の姿も夜中に現れればパニックホラー映画さながらと言った風貌だ。それが意識が戻ってすぐに立ち上がろうと言うのだから体力の強靭さに呆れるしかない。
「里美は無事か?」
「無事だよ。玄武の人に助けられた後、色々話を聞かれてゲッソリしてたけど怪我も一つもないって」
「そうか、安心した」
玄武に任せたのだし、愛も話を振ってこない以上無事だろうとは思っていたが、里美の無事を確認せずにはいられなかった。
「でも、サトミンを狙ってた敵は逃がしちゃったんだって。 また狙われるかもってことで警察の人が警護してくれてる」
「そうか、なら俺も早く戦えるように――」
「だから今はゆっくり回復するのが優先ですー!」
またも立ち上がろうとする龍二と止める愛。そろそろ両者ともこの流れに飽きと疲れが見えてきた。
「だが、負けたままではいれない。いつかは奴を越えなければ、君たちを守ることなど」
「もう、気負いすぎだよ。今は他に仲間もいるんだから、ね?」
今回玄武が助けに来たのはただ運が良かっただけ、いつも危機に助けが来るわけではないのだ。愛達を守るためには常に強くなくてはならない。自らに課せられた使命の重さを龍二が噛みしめていると、突然扉が勢い良く開いた。
「そう! 今のあなたは……一人ではないのですわ!」
扉を開けたのはこの館の主人、紅神 咲姫。いつも通りの何処から出てくるかわからない自信とオーバーな身振り手振りで現れた。そしてなぜかナース服を着ている。
「あ、咲姫さんおはようございます!」
「世話になっている。迷惑だとは思うが、もう少しここに置いてくれ」
二人とも世話になっている主に一礼。
「お構いなく、こちらもあなたの体を色々調べることはできましたし」
「……勝手に調べたのか」
「治療の為に仕方なくですのよ? それにあなたの為にもなるかもしれませんわ」
そういいながら部屋のカーテンを開ける咲姫、瞬間眩しい光が部屋の中に入ってくる。目覚めたばかりだった龍二はここでやっと今が朝なのだと気づいた。
「今紅神の力であなた方の力について研究を進めておりますの。門外漢ゆえわたくしが手を貸せないのは歯がゆいけれど……研究が進めば、人と変わらない体にだって」
ベルゼリアンを生み出した研究プロジェクトにスポンサーとして紅神の家が協力していたことに咲姫はとても責任を感じていた。だからこそ龍二達を人と変わらない体にしたかったのだ。この世から紅神家の罪の痕を消し去るために。
「俺は人間にしてくれなど頼んだ覚えはないがな」
「ですが、紅神の贖罪にはあなた方に普通の体を!」
思わず熱くなった咲姫の言葉を龍二が遮る。
「俺にとってはこの体が普通だ。紅神を呪ったこともないさ。……だが朝霧は別だ」
「朝霧 虎白さん……事情は伺ってますわ、彼女はベルゼリアンによって力を無理矢理与えられたとか」
直接ではないが、虎白の事情も咲姫は知っている、彼女へのベルゼリアンの非道には心を痛めていた。ある日突然普通ではない力を与えられる怖さは計り知れない。
「生まれ持った能力が覚醒した俺とは違う、奴らによってあいつは普通の体を奪われたんだ。俺はそいつが許せない……調べるんだったらそちらにしておくんだな」
「そうですわね、ベルゼリアンの被害者は紅神の被害者。あの子の体を戻すのが使命であり贖罪ですわ。でもそのためには多くのデータが不可欠です。 だからこそお体、調べさせてくださるわね?」
「どうせ今は動けない体だ、勝手にしろ」
ぶっきらぼうに言葉を返す龍二、好き勝手に調べられるのは良い気がしないが、虎白のためになるなら拒否はできなかった。
「それでは、お言葉に甘えて。そうそう、目が覚めたのならブレックファーストを持ってこさせますわ。病院食とは違って極上ですわよ。良かったですわね、運び込まれたのがここで」
そう言うと、後ろ手で手を振りながら咲姫が部屋から去っていく。起きたばかりでよくわかって居なかったが、確かに空腹だ。龍二は以前この屋敷で食べたディナーを思い出しながら、どのような美味い朝食が出てくるのかと思いを馳せる。
「はい口開けて、あーん」
これは予想外だった。咲姫の言葉通り、朝食というには少々ボリュームの多いような豪華な食事が出てきたのは良いものの、龍二は腕がギプスで固定され、スプーンも箸も全く持つことができなかったのだ。
仕方ないので皿に直接口を近づけて食べてやろうかと思っていると、愛がスプーンを手に持ってスープをすくう。愛も食べるのかと思っていたのだがその予想はもちろん違う。スプーンを口の前に持ってくると、あーんと満面の笑みで食べるように圧をかけてくる。
「どう? 美味しい?」
思わず口を開いてしまう。味を聞かれても、愛に食べさせてもらっている状況の方が気になってそれどころではない。これは少々……いや、顔から火が噴き出しそうなほどに恥ずかしいと龍二は顔を真っ赤にした。
「いや……愛、食べさせてもらった立場で言うのはあれだが、ほかに何か方法はないのか。これは気恥ずかしすぎるぞ!」
「えー! その丸太みたいな腕でどう食べるってのさ! 私にあーんされるの嫌なの!?」
頬を丸く膨らませて怒る愛。好きな男にあーんで食べさせるなどという夢のようなシチュエーションを邪魔されてご立腹だ。
「嫌だとかそう言うことではなくてな! 食事ぐらい自分で……できないな今は」
自らの腕の状況を見て冷静になる龍二。どう考えてもこれでは物を持てない。
「誰も見てないんだから気にしないでいいって! ちょっとイチャイチャしたぐらいでさ!」
「い、いちゃいちゃ…? 何を言っているんだ愛。おい話を聞くんだ! やめろ! 押し付けるな!」
抵抗を続ける龍二の口を強行突破しようとスプーンを唇へグイグイと押し付ける愛。とてつもなく小規模ながら当人同士は至極真面目な戦いが繰り広げられる。
「なによ! 私のあーんが食べられないっての!?」
「そうじゃない! が、心の準備というか心構えというか…… おい、近い、近すぎるぞ!」
二人の物理的距離は近くなるも決着は依然として付かない、このまま持久戦になるかと思われた戦いに、横槍が入ってくる。
「失礼する。ギプスを外し忘れて……」
朱里だ。サイボーグの体ではメイド服は着替えられないので、申し訳程度にナースキャップを被っている。
「朱雀か! そうだ、早くギプスを外してくれ!」
「え、嘘!? そんなすぐ治るわけないですよね、食事に介助が必要ですよね? ねー!」
ギプスを外し忘れたと言う言葉に過剰反応する二人、どうやら龍二の腕はある程度もう治っているようで、ギプスを外せばスプーンを持つ程度は可能であるらしい。
、何も言わずに二人をじっと見て状況を判断しようとする朱里、くんずほぐれつでベッドの上は滅茶苦茶になっていて、愛の手にはスプーン。ほほう、これは静観していた方が面白そうだ、と朱里は判断した。
「……しまった、ギプスを外し忘れたのは隣の患者さんだったよ、失礼した」
誰にでも嘘だとわかるような棒読みで、龍二の助けを呼ぶ声を無視して立ち去ろうとする朱里、どうにかして呼び止めようと龍二がギプスと包帯で丸太のように太くなった腕を伸ばす。もちろん届く訳がない。
「馬鹿な! ここは病院じゃないんだぞ、そんな何人も患者が居るわけが……」
「そうですか! さあ早く隣の方のを外してあげてくださいね! そして龍二君は観念してあーんを受け入れなさい!」
龍二の冷静なツッコミは愛の大声でかき消された。再度スプーンが龍二の口に近づく。
「じゃあな、青龍。意地を張ってないで至福の時を楽しめばいいさ」
最後の希望が断たれ焦りに焦った龍二を鼻で笑いながら朱里は去っていく。
「謀ったな朱雀ゥゥゥッ!」
館中に轟く龍二の叫び。しかし彼は数十秒後、一転してしおらしくなりながら愛のあーんを受け入れるのだった。
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