39話 インベスティゲーション 捜査開始
9月某日午前2時 静まり返った路地裏
「こ、来ないで……こっちに来ないでよッ!」
街灯の少ない路地裏に、仕事で遅くなったのか、二十代ほどの女性が一人。その表情は恐怖に歪み、己に近づいてくる何かに手に持っているバッグを振り回し、強い拒絶を示している。
「怖がらないでくれよお嬢さん。何、痛みはほんの一瞬だけさ。すぐに天にも昇る心地になる……」
迫ってくる何かは夜の闇に溶けて、はっきりとは見えない。声と、うっすら見える輪郭からは人間に見えるのだが、明らかにおかしい点が一つ。闇の中で光る眼光。その妖しい光に魅せられたのか、女性は抵抗の手を止めてしまう。綺麗、綺麗だ。深紅の光はまるでルビーのようで――
「ひっ、や、やめ――」
気がついた時には既に『何か』の牙が喉元に深く突き刺さっていた。
9月13日 午前10時6分 特殊生物駆除課本部
「おはようございます、兵藤さん。玄武の修理の方はどうですか?」
先ほどまで整備室で玄武の整備を続けていたマリに、やつれた顔でコーヒーを飲みながら小休憩している宗玄が話しかける。
「あ、宗玄さん。徹夜の甲斐あってバッチリ直せました! それどころか基礎から見直す機会になって、パワーアップと言って良いですね」
ふーっと一息ついて額の汗を拭った後、親指を立てて答えるマリ。
「そいつは良かった。それに比べてこっちはいろんなとこから小言の連続ですよ」
「ああ、あの子に無理させて壊しちゃったから……?」
スカイタワーの一件で玄武は甚大なダメージを受けた。そのため一時的に使用が不可能になりマリを含むスタッフが日夜を問わず修理を続けていた。しかし宗玄への小言の理由はそれだけではない。
「それもありますけど……やれ他の化け物と協力しなきゃ解決できないのかだの、なんで他のをむざむざ逃がすような真似をしたのかだの、お説教の嵐、報告書も山積みですしね」
「でも世間じゃ評判良いですよね? 遂に市民を守るヒーローが手を組んだ! って」
「ヘリに乗ってた報道陣が全部撮ってましたからね。あの状態でもお仕事してたとか、プロ根性というか何というか………」
あの時宗玄が助けた報道クルーは、あまりの事態に気が動転していたにも係わらずカメラを回し続けていた。それによって人類とベルゼリアンの戦いが公の目に遂に明らかになったのだ。ニュースで聞いてはいても半信半疑だった人間にもあれほどの臨場感のある生々しい映像を見せつけられては信じざるを得ず、世間の玄武、それとベルゼリアンと戦う他三人への期待はさらに高まっていた。
「私は宗玄さんがみんなの為に戦ってる姿、見せられて良かったと思いますよ。上から嫌味言われておしまいじゃ、参っちゃうでしょ?」
「まぁ、結局我々警察は市民の声が力になりますからね! ……流石にクサすぎる台詞かな」
ハッハッハとおどけて笑う宗玄。だがそのやつれた顔では無理をして作っているのがバレバレだ。
「じゃあ力をもらった宗玄さんは報告書の提出頑張ってくださいね? 私はデータ整理してから玄武の仕上げがあるんで、お手伝いできませーん」
マリは意地悪な顔を浮かべて自分の机の前に行ってしまう。意地悪をしているわけではないのだが彼女には彼女のやるべきことがあるのだ。
「はぁ……いったいいつになったら終わるのかなぁ、これ……」
大きくため息をつく宗玄。玄武を動かすたびに提出しなければならない報告書の山は、未だに半分も減っていない。
「おい宗玄。これ見ろ」
「なんですか藪から棒に……また追加の報告書とか?」
時は過ぎて昼過ぎ、忙しいからとカップ麺一個で昼食を済ませた宗玄のもとに、仁が挨拶もなしに突然やってきた。やっと減ってきた書類の山のおかわりが来るのかと、苦い顔をしている宗玄。
「そんなんじゃねえって、最近起きた特殊生物絡みっぽい事件を集めてきたんだがな」
仁から差し出された書類を、作業の手を止めてまじまじと見つめる宗玄。
「血を抜かれて亡くなっていた変死体……ですか。しかも被害者は全員女性」
「豊金で四件だ。最近は殺しが起きたら第一に人がやったのか怪物がやったのか、それが世間様の話題になる。全くやってられねぇよなぁ」
今豊金市の人々を騒がす難事件。女性が次々に体中の血を抜かれ殺害されるその残忍な手口は女性たちに不安を抱かせ、巷では根も葉もない噂が流れ、混乱を来たしている。
「それで、仁さんはこれは特殊生物の仕業だと」
「ああ、首元に開いた小さな歯型だけで失血だ。どんな凶器を使えばそんなことができるのか、一課がお手上げな所を拾ってきた。全く困るよなぁ、バケモン絡みって確証がないとオカルト部署には捜査させられんのだと。これも無理行って調べられるようにしてやったんだ。宗玄、頼めるか」
世間の評判とは違って、警察内での特殊生物駆除課の評判はあまり良くはない。ベルゼリアンの存在が知られたといえど、怪物を相手にする課というのは、人間相手の犯罪を捜査する他の課には理解されにくかった。
「わかりました。僕らがやるしかないですね。まずは豊金に行ってみますよ。そこは引っかかる事もある」
「おう、基本の現場百閒だ。行ってこい」
仁に見送られ、宗玄はこの時期にはまだ暑いようなジャケットを華麗に羽織り、爽やかな笑顔を残して捜査に向かっていく。
「おえっ……う、う……おえっー!」
その数時間後、公園の茂みに嘔吐し続け、華麗とも爽やかとも到底思えないような醜態を晒す宗玄。食べたばかりのカップ麺は数時間も経たずに体外に放り出されていた。
「大丈夫ですか……?」
そんな悲惨な状況を見かけて、話しかけてくる男子高校生が一人。龍二だ。休日に何もせずに家にいては体が鈍ると軽い運動をしに公園へ来たのだが、そこで思わぬ光景を見て、思わず話しかけてしまったのだ。
「大丈夫……車酔いだから座ってれば勝手に……お、おえっー!」
大丈夫と言いながらも顔はゲッソリとして息は途切れ途切れ。さらにもう一回茂みに嘔吐するものだから放ってはおけない。
「み、水! 水を持ってきます!」
知識が無いので水を飲ませるのが適切な処置なのかはわからないが、何もしないわけにはいかないだろう。
「あ、ありが――おえ、おえーっ!」
背後から感謝の声と嗚咽が同時に。
「……落ち着きましたか?」
ベンチになんとか酔いから醒めた宗玄と龍二が座っている。調子はもう完全に戻ったようで貰った水のペットボトルを一気に飲み干して空にした。
「情けない姿を見せて申し訳ないね……君、名前は?」
「青木 龍二と言います。あなたは?」
「あ、僕? こういうものだよ」
宗玄が警察手帳をポケットの中から取り出して見せる。龍二はそこに記されている特殊生物駆除課の文字をまじまじと見つめた。
「なんせここいらも最近物騒でしょ? だから色々調べに来たんだ」
「警察の方だったんですか、特殊生物駆除って……あの玄武の? ニュースでご活躍は拝見しました」
「ああ、あれ実は僕が着てるんだよね。あんまり大っぴらにすることじゃないんだけどさぁ」
宗玄にとってはただの世間話だったのだが、その玄武に狙われている龍二としては、玄武を着ている張本人と対峙したとなれば気が引き締まる。
「スカイタワーの事件、話題ですよね。玄武が他の特殊生物と協力したとか」
正体がバレてしまえば危険だが、警察側がどのような考えを持っているのか、探るには今しかないと龍二があえて青龍達の話題を出す。
「ホント、隅から隅まで流してくれちゃって……色んな意見はあるけど、僕としては特殊生物も悪い奴だけじゃないとは思うんだ。人間と同じだよ良い奴もいれば悪い奴もいる」
手持ち無沙汰なのか空になったペットボトルを手の中でくるくると回しながら話を続ける宗玄。
「ま、それでも上に言われちゃあ捕まえるしかないんだけどね……水、ありがとうね。僕はお仕事があるからそろそろ行かないと」
そう言うと、宗玄はペットボトルをゴミ箱の中に入れて公園から去ろうとする。
「じゃあね、青龍……じゃなかった、龍二君。また会うこともありそうだ」
青龍、自分がそう呼ばれたとき、龍二の心臓がびくりと跳ね上がる。
「……気づいていたのか?」
龍二が聞き返そうとした時にはもう宗玄は見えなくなっていた。本当に言い間違えただけなのか、正体を感づかれたのか、ブラフをかけられたのか……真意はわからないまま、刑事は仕事の場へ舞い戻っていったのだ。
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