38話 ジョイナス 共に行こう

 まだ日差しは強くも、吹く風は爽やかで涼しい九月の初旬。こんな日のティータイムは庭師たちによって丁寧に手入れされた庭で、花の香りを感じながらに限る。日本有数のお屋敷の主、紅神 咲姫の今日のティータイムもそんな優雅な時間が流れて……いなかった。


「いやー紅神さんちのお菓子は世界で一番美味しいですなー!」


 お茶菓子を飲み込んだと思えば、周りの気品とは全く馴染まない騒がしい声を愛があげる。


「当然ですわ! 何せ今日のお茶菓子は朱里のお手製ですもの! この世のどんなパティシエでも敵いませんことよ!」


「オーッホッホッホッホッホ!」


 愛と咲姫の二人が揃って頬に手の甲を当てながら大きな高笑いを高らかに叫んだ。二人は意外にも波長が合うようで、事あるごとに高笑いを庭中に轟かせていた。周囲の人間にとっては少々……耳障りではあったのだが、二人が楽しいならばそれでいいかと静観していた。


「ありがとうございます。わざわざお茶会にお招きしていただけるなんて……」


「そんなに畏まる必要はありませんわ、わたくしは友人としてあなた方を呼んだだけですの。むしろ毎日来てもよろしいぐらいでしてよ?」


 里美が咲姫に礼を言う。愛達五人は、咲姫からの突然の手紙によりこのお茶会に招かれた。以前メイドのアルバイトをしていた三人はともかく、龍二やまだ素性すら碌に知らない筈の虎白の元へも招待状が届いていたことから紅神の情報力に多少の恐怖を感じ、この誘いも警戒が必要ではないかと龍二達は忠告したが、愛は無警戒で乗り込んでは呑気に楽しんでいる。


「こんな美味しいお菓子が毎日なんて……幸せだなぁ」


「ムグ、味は確かに、ムグムグ噂通りのようですねムグムグ」


 七恵がうっとりとした表情を浮かべる横で、虎白が両手にたくさんのマカロンを持ちながら、ハムスターのように頬を膨らませこれでもかと言う量を食べている。元々食欲は人より旺盛な彼女だったのだがこの頃はベルゼリアンへと体が変貌を遂げた影響で食欲が止まっていた。しかし薬のおかげで何とか普段の様子を取り戻している。


「ふふっ。虎白ちゃん、今日は調子良さそうだね? 昨日はホントに心配したんだから」


「ええ、一日ゆっくり寝たらなんとか。食欲も戻りましたし」


 何故調子を取り戻したのか、その真実は誰にも口外することはなく誤魔化した。訳があろうとも敵とつながっているなど知れたら不信が募るだろうし、そもそも薬で抑えている食人衝動の事すらうち明かせない。なんだかんだで親切にしてくれる先輩たちに隠し事がある罪悪感に虎白は苛まれていた。


「これからも何かあったら頼ってくれていいんだからね? ほら、ほっぺくっ付いちゃってるよ」


「ちょ、ちょっと! 急にやめてください! 自分でできますから!」


 そんなことも知らずに距離を詰めてくる七恵が、口の周りに付いたクリームを自分のハンカチでそっと拭き取った。


「ごめんごめん、弟にやるような流れで、つい……」


「まぁ、品が無い食べ方をしてたのは反省しますけど……ってまだやるんですか!?」


 文句を言いながらも、振り払うことなく口の周りと拭き続けられる虎白。そんな様子を見ていた愛が、ポツリと呟く。


「……なんか悔しいから私のも拭いて」


「悔しい? よくわからないが、ハンカチを持っていない」


 愛が自分の頬に付いたクッキーの食べかすを指さしてアピールするが、龍二は意に介さず紅茶を飲んでいた。


「じゃあ私の貸すから! はい! 拭いて!」


「持っているなら自分で拭けばいいだろう!」


「やだやだー! 龍二君にやってもらいたいのー!」


 手足をバタバタと振り回して赤子のようにかんしゃくを起こす愛。それにたじたじの龍二。どちらもこちらも仲が宜しいことでと、冷めた里美が一言。


「……バカップルだらけかここは」




「フッ、敵だと言われた相手の庭で呑気なことだ」


 この屋敷のメイドである朱里がティーポッドに茶葉を入れ、お湯を注ぐ。その瞬間、本場イギリスから輸入された超が付くほどの高級茶葉が、周囲にとても良い香りを広げた。その香りを楽しみながら朱里は愛達に聞かれないよう小声で皮肉を言うように呟いたのだった。


「朱里、言葉は慎んだ方が良いわ。これから大事な話があるのに機嫌を損ねてしまっては」


「そう、でしたね」


 朱里が空になったカップに出来立ての紅茶を注ぐ。そこに咲姫がミルクと砂糖を少々入れることで、濃く鮮やかだった茶色が象牙色に変わり、ミルクティーになる。それを飲んで一呼吸置いた後、周囲の人間全員に聞こえるように語り始めた。


「おほん。仲睦まじいのは良きことですが、今日は折り入って皆様にお話がありますの。聞いてくださる?」


 それを聞いて全員がピタリと手を止め咲姫の方向を見つめる。愛と虎白は未だに口だけは動かしていたが。


「今までベルゼリアンを撲滅することを目的とした我が紅神家は、あなた方とは敵対関係として振舞っておりました。しかし、今日までの戦いでのなし崩しながらも共同戦線を結んだ事の多さ、ベルゼリアンの宣戦布告による相手の活動増加が懸念されること。そして何より……共に戦いあなた方を信頼したからこそ、わたくしは正式にあなた方と協力関係になりたいと思うのです」


 咲姫の話を聞いた龍二は少しも考える時間なくこう答える。


「それはこちらとしても願ったり叶ったりだ。朱雀とこれから共に戦えるのならば、心強い」


「ていうか実際ほぼ味方みたいなものじゃなかった? 今更だよー」


 なんだそんな事かと、愛が止めていた手を菓子へ伸ばす。


「良かったですわ。今まで誰であろうとベルゼリアンは撲滅という立場でしたもの。掌を返して良い思いをされるとは思ってはいませんでしたわ」


「そちらにはそちらの主義や信条が有ることは承知している。それでも共に戦うというのなら喜んで共同戦線を張るさ」


 龍二も咲姫たちと敵対したいわけではないし、咲姫のベルゼリアン撲滅も人を喰らうベルゼリアンしか知らなかったからこその物。お互いを知った今、協力をするのは必然であった。


「そして、朝霧 虎白さん。あなたとも肩を並べて戦いたく思いますの。よろしければこの手を取ってくださる?」


 だが、今戦う力を持っているのは二人だけではない。咲姫は虎白にも協力してもらいたいと手を差し伸べる。


「たしかに、戦いの最中に後ろから撃たれない保証ができるなら文句はないです。でも――」


 虎白は口の中にあったお菓子を一気に飲み込み、腕を組んだまま咲姫の手を取ることなく言い放つ。


「そちらのメイドさんは不本意だって顔してますが? 話を聞く限り、朱里さんはベルゼリアンに強い恨みを抱いている。ですよね? 主人と協力を結んでも、躾のなってない犬に噛まれたら元も子もない」


「朱里さんはそんな悪い人じゃないよ! 」


 朱里に向かって煽るかのように鋭い目を向ける虎白、それに冷静なのかどういいか返すか迷っているのか無言の朱里に代わって、会話に割って入ってきたのは七恵であった。


「私たちがバイトしてた時も親切にしてくれたし、青木くんがデートの服装に迷った時に一緒に選んでくれたりもしたんだから!」


「なぜ今その話をするんだ!?」


 龍二がデートをする時に着るための服を街へ買いに行った時の話をする七恵。龍二はデートでどのような服を着ればいいかわからなかったなど、愛だけには知られたくない事だっただけに、思わず慌てふためいている。


「私の為にそんな努力を!いやーんもー」


「真面目な時に惚気てる場合か?」


 話を聞いた愛はくねくねと体を捩らせながら、里美のツッコミすら耳に入らず龍二の健気な努力に悶えていた。呑気に騒ぐ上級生の事は放っておいて、虎白が話を戻す。


「いやその……普段の朱里さんがそう悪い人でもないのはわかりました。でも今私が不安に思っているのはそこじゃない。そんな先輩方のユーモアに付いていけるほどの朱里さんが、戦いの中で見せるベルゼリアンへの憎悪……恐れているのはその二面性です」


 投げかけられる虎白の真剣な眼差し、それに今まで無言であった朱里がついに答える。


「確かに君の言う通りだ、白虎。私の体を奪ったベルゼリアンへの心の中で煮えたぎる憎しみは、消えることはない。だが、それ以上に譲れないものが一つだけある。それの為なら君たちに刃を向けることなどないと誓おう」


「譲れないもの……それは何です?」


 虎白の問いに朱里の声のトーンが落ちる。その声色はあの時、因縁の相手と対峙した時と同じ。


「君たちもあのスカイタワーで遭遇したはずだ。二年前紅神邸に押し入り、お嬢様の父上と私の体を奪った張本人……ベルゼリアンのジャックだ。奴を必ずこの手で始末させてもらえるならば、君たちと手を結ぶのもやぶさかでない」


「ジャック……あいつか……」


 ジャックは朱里だけではなく虎白にとっても因縁深い相手だ。体を弄り回し白虎となる原因を作り、さらには食人衝動を抑える薬を与えることで操り人形として手元に置こうとしている。屈辱を与えた相手は己の手で消し去りたいと思っていたが、ここで話を決裂させるのも避けたい。いざとなればこのような口約束など有耶無耶にしてしまえばいいと、虎白は決断した。


「わかりました。奴を仕留める役目はあなたに譲ります。それに自分の復讐の為に手を結ぶと言うのも気に入りましたしね。正義だなんだの言われるより信用できる。これからよろしくお願いしますね、二宮 朱里さん」


「こちらこそよろしく頼む」


虎白が朱里に向けて手を差し伸べる。朱里もその手を取って握手を交わした。


「良かった、虎白ちゃんと朱里さんが仲良くしてくれて!」


 虎白と朱里がいがみ合ってしまうのではないかと、彼女なりに心配していた七恵がほっと一息胸を撫で下ろした。


「これで我々の紅神同盟が無事結ばれたというわけですわね!オーッホッホ!」


「自分の名前つけるって自己主張激しいなぁ……」


 珍妙な名前の同盟に里美がツッコむも、咲姫は気にもせずに、思い出したとハッとして手を叩いて、皆に呼びかける。


「良ければこの後、記念にディナーでも一緒にいかがかしら? 今日は良い食材が入ってますの!」


「ホントですか!? 是非是非ご一緒させてくださーい! みんなもご馳走になるよね?」


「ああ、厚意に甘えて頂くとしよう」


 豪邸に住むお嬢様から発せられた、妙に発音の良いディナーの単語を聞き、愛がすぐに目を輝かせた。他の四人もさぞ美味しい料理が出るのだろうと期待に胸を膨らませる。


「それではディナーまでにわたくしのお屋敷を案内致しますわ。朝霧さんらは初めてですし」


 主に愛と虎白が多く食べたからか、想定より早めにティータイムを切り上げた咲姫が皆を屋敷に案内していく。そうすると朱里がテキパキと後片付けを始めだした。それを見た虎白は、一つも残してなる物かと残った少量の菓子を口に全て詰め込み紅茶を一気に飲み干した。


「……二宮さん」


 片付けの最中の朱里が突然虎白に話しかけられ振り向く。


「お菓子、美味しかったです」


 朱里はその言葉と、今まで見せなかった屈託の無い笑顔を虎白が見せたことに意表を突かれる。生意気な子供だと今まで思っていたが、意外と可愛い所があるじゃないか。


「……お楽しみ頂けたのなら何よりです」


 自分の丹精込めて作ったものを褒められて嬉しくない人間はいないだろう。朱里もそっと相手に向かって微笑みかけた。

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