20話  スパイダー 楽しい時の終わり

 遂にデートの途中に愛と手を繋ぐ事に成功した龍二。気恥ずかしくて心臓の鼓動が何倍にも早くなりながらも、平穏を装いながら顔に表情を出さないように愛の横を歩いている。流石の愛も言葉少なめになりながらファッション店の並ぶ街路を二人で歩く、手を繋いでる時間が無限にも思えるほど長いような、もっと繋いでいたい程短いような、そんな至福のひと時を過ごしていた。


 だが、そんな時間にも終わりが訪れる。舞い上がった心を自らの宿命を思い出させようと一気に引き戻すのは、あの頭痛。龍二はその場にしゃがみ込んで痛さに耐える。この頭痛がすると言う事は……近くに人喰らう怪物、ベルゼリアンが居る証拠だ。


「龍二くん、まさか……」


 突然しゃがみこみ、頭を抑える龍二を見て、龍二の頭痛が出る理由を知っている愛も事態を察する。せっかくのデートの邪魔をよくもと言いたいところでもあるが、それどころではない。今までベルゼリアンが出現したのは、山奥などの人の少ない場所がほとんどだった。だからこそベルゼリアンの存在は一般には知られていない。だが、この街に現れたとなれば今までとは違う。突如として現れた怪物を前に、事態が大きくなるのは避けられないだろう。痛みを食いしばり、愛の手を握る力が強くなる。だが次の瞬間に愛の手は振りほどかれることになった。


「ここはすぐに危険になる。奴らの元には俺が行く、だから愛は逃げてくれ」


「に、逃げろってそんな急に言われたって!」


「早く! 時間がないんだ! 埋め合わせとやらならいつでもやる!」


 戸惑う愛に大きな声で叫んだ龍二はベルゼリアンの居る方向へ走り出した。人混みの中には猛スピードで走る龍二を鬱陶しがる人間も居たが、そんなものは御構い無しで走る。ただひたすらに走る。




 走り続け、人の数も少なくなってくると、この騒ぎを起こしている張本人であるベルゼリアンの姿がようやく見えてくる。毒々しい黄色と黒の警戒色の体に十本の足。蜘蛛のような巨大な怪物。だが他のベルゼリアンの類にもれない、その巨大な図体で道を塞ぎながら、下半身を大きく振って腹の先から蜘蛛の糸をそこら中に乱れ撃ちしている。粘着性の有る糸が地面や建物にへばり付いて、逃げ遅れた何人もの人間が糸が絡みついて動けなくなっている。


「ジョロウグモか、厄介な物を!」


 体中に力を籠める事で、龍二の体が青龍の姿に変化していく。すぐに剣を生み出して、飛んでくる糸の塊を切り裂きながら敵の元へ一気に距離を詰めようとする。しかし。


「クソッこれでは使い物にならない!」


 切っているつもりでも、剣に粘着性の有る糸が絡みつくことでどんどんと切れ味が悪くなっていく。次第に糸に完全に包まれてしまった剣を使い物にならないとその場に放り捨てた。しかし剣が無くなると、とたんに龍二には蜘蛛の糸に対する対抗策が無くなった。尾っぽの打撃では糸には無意味であるし、炎で焼き払おうとも考えたが、周りへの被害を考えると迂闊にはできない。結局のところ防戦一方。糸に当たらぬように回避行動をとり続けていると、どうしても相手の懐には潜り込めない。




一方、龍二と別れて大勢の人の中を必死に逃げ惑う愛。何時、どこまで戦いの影響が広がるのかわからない中、少しでも離れようと足を動かす。そうしている内に、親とはぐれたのであろう、泣き叫ぶ少年とぶつかる。


「あっ、ごめん! 大丈夫? 危ないから一緒に逃げよ!」


 泣きわめきながら、ママは何処としか話さない少年の手を取って、走り出す愛。もう一つの手には龍二に勝ってもらったプレゼントが入ってる紙袋を大切に持ちながら愛は走る。だが、二人で手を繋ぎながら歩いている愛達のスピードは他の一心不乱に逃げる人よりも速度が遅い。それにぶつかるなどお構い無しなので、脆い紙袋はドンドンと傷が付いていく。せっかくのプレゼントだが、こんな時では多少は仕方は無いかと思っていると突然、背後から重い衝撃を受け、思わずその場に転んでしまった。少年と手が離れて、その小さな姿はどこにも見えなくなってしまった。だが、それだけではない。もう片方の手に持っていた紙袋も転んだ衝撃で愛の手から離れてしまう。


「龍二くんの、どこ!?」


 慌てて周囲の地面を探す愛だが、見えるのは走る足ばかり、愛は逃げるのを忘れてその周辺を探し続ける。


「どこ、どこなの? 龍二くんからもらった、大切な、プレゼント……!」


 目には大粒の涙を浮かべながら、身を屈めて紙袋を探す愛。だが以前多い人の流れの中でしゃがみ込んでいたとなれば、まるで蹴り上げるかのように人の足がぶつかってくる。探し続ける手のひらを踏みつけられる。ひどい人間は去り際に邪魔だと言葉を吐き捨てていく。そんな仕打ちに会いながら探し続けても一向に見つからない大切な物。このままでは踏みつけられて着れなくなるほど傷ついてしまうかもしれない。その前に何とか見つけ出さなければ。




 愛が必死にプレゼントを探している事など露しらず、こちらも命がけで戦っている龍二。地面にくっついた糸が足にも絡みつき、龍二の回避の邪魔をする。それでも回避をすることを止めないが、四方八方に糸を飛ばしていた最初と違い、今は龍二に狙って糸を吐き出している事もあり、回避の難易度は上がっていた。


「このままで終わるかぁ!」


 このままでは不利なままだと判断した龍二は、一か八かの突撃をすることを決意する。このままジッと待っていても好機は来ない、ならば危険な賭けだとしてもやるしかない! 覚悟を決めると命がけで敵に向かって走る。回避は専念していた今までと違って最低限で。懐に入りさえすれば炎でも牙でもしっぽでもいくらでも相手にダメージを与えられる。懐に入りさえ――だが、その思惑はすぐに崩れ去る。


「動きを止められたか!」


 龍二の右足に糸の塊が直撃し、床に右足を張り付けられる。その動きの止まった所に連続で糸の塊がやってきて、対抗手段を持たない龍二を白い糸でグルグル巻きにして動きを封じられる。捨て鉢な行動で敵うほど相手は甘くなかった。体中に力を入れて何とか糸を引き裂こうとするも、思ったよりも糸は頑丈でびくともしない。もがいている内に敵は近づいてくる。厄介な相手がやっと捕まったのですぐに食うのか、始末するのか。どちらでも龍二の命に危機が迫っている事には間違いが無い。龍二は命をベットした賭けに負けたのだ。こいつは前に戦ったユニコーンのベルゼリアンよりも力のレベルが低いはずだ。なのに何故こんなミスをした、焦っていたのか。それともデートと言う物に浮かれて戦う心構えが出来ていなかったのか。愛達に会う前ならこんな情けない負け方はしなかったはずだ。こうなれば周りの被害など考えずに炎で糸を焼き切るしか――!


 そう考えた瞬間、糸の体を締め付ける力が軽く……いや、無くなったのを龍二は感じた。周囲を見ると、小さなナイフが巻かれた龍二の体を傷つけることなく、糸だけを切るように宙を舞っていた。こんな芸当が出来るのは、あいつしかいない!


「デートの最中に敵と会うとは災難だったな。お前も敵とはいえ、事の重大さぐらい把握しているつもりだ、手を貸すぞ」


「朱雀ッ!」


 咲姫をお姫様抱っこしながら、スカートに付いているブースターを使って空を飛び、朱雀こと朱里が龍二の隣に並び立つ。ベルゼリアンとなれば颯爽と駆けつけるのはいつも同じであったが、今日の姿はいつもと少し違う。顔に舞踏会で付けるような目元だけを隠す、所謂ベネチアンマスクを二人とも装着している。そのマスクへの視線に気づいた咲姫が朱里の手から降りてマスクを指さす。


「これが気になりますの? 私たちも表沙汰に出来ない技術で戦っている身。セレブらしく正体を隠すならばコレを使う以外無いのですわ。顔まで変わる貴方と違ってこっちは顔はそのままですし。ところで――」


 そこまで言葉を続けると、大きく息を吸ってから咳払い、辺りを見渡し未だに糸に捕まっている人間が何人も居る事を確認すると、大きく腕を広げて大きな声で高らかに喋り上げる。


「今ここに捕らわれている皆さま、お待たせいたしましたわ。辛いでしょう、怖いでしょう。ですがそれもすぐに終わります。なぜならば! この世に生きるすべての人間を救う新たな救世主が居るからですわ!

今ここに現れた、紅き衣を纏いて悪しきを撃ち抜く裁きの鉄槌! 我一族の知識と技術の結晶にて最終兵器! その名を聞いて讃えよ! 紅蓮炎鳥朱雀!」


 今までどうにか糸から脱出しようと精一杯もがいていた人たちが、思わず動きを止めて唖然とする。こんなメイド服に仮面をかぶった訳のわからない人が救世主? こんな時にふざけるのも大概にしろ! と龍二は無言の圧力が注がれている気がした。


「お嬢様、前より口上が長くなっております」


「あら、あなたの初の公の舞台でつい熱くなってしまいましたわ。さぁ大見得を切った以上は美しく、エレガントに決めて貰いますわよ」


「承知いたしました。では、お嬢様にも一仕事お願いします」


 そう朱里が言うと懐からナイフを一本取り出して咲姫に渡す。


「これで捕らわれている方の救出を、くれぐれも切るのは糸だけでお願いしますね」


「わたくしがこれで……多少エレガントではありませんが、これも世のため人のため。華麗に決めますわ!」


 咲姫と朱里は顔を合わせて頷くと、それぞれの仕事をこなす為に動き出す。朱里は空を飛び、腕からガトリングを展開して敵に向かって放つ。放たれた銃弾は敵に見事に命中しダメージを与えるも、敵も糸でネットを作り、銃弾を全て包み込むように防御した。切断をする切れ味の強い攻撃ではないと防御されると判断した朱里が頭のカチューシャを手に取る。その途端にカチューシャは硬化し鋭い刃を持ったブーメランとなり、それを相手の足へ目掛けて全力で投げた。


「この刃から逃れられるか!」


 朱里の狙いはとても正確であった。決まれば相手の元へ行く時に右足四本、戻る時に左足四本の全てを切断するほどに、計算された起動と威力を持っていた。はずだった。


「ッ!? あいつ、空を歩いているのか!?」


 突然浮いたように宙を歩き出した敵、そんなことを想定もしていなかった朱里の攻撃は虚しくも空を切る。龍二がその様子を見て声を荒げる。


「そうか! 奴が最初に行っていたのは闇雲な攻撃じゃあない……! 気を付けろ、ここはもう奴のテリトリーなんだ!」


 龍二がこの場に現れた時に敵が行っていた、狙いを付けていない闇雲な攻撃の意図を理解した。あれはただ暴れていた訳では無く、糸をこの場所全体に張り巡らせ、自分の巣にするための行動だったのだ。


「クソッ、これでは奴はこの場を自由自在に動けると言う事か!」


 敵は攻撃が外れたのを見ると、すぐにこちらに背中を向けて逃げるように、十本の足を器用に動かして巣の中を歩いていく。辺りを見渡せば、今まで気づいていなかったが透明に見えるほど細く長い糸が全体に張り巡らせているのが分かった。このまま的に近づけば糸に絡まれて動きを封じられていたのは容易に想像できる。


「逃げるつもりか……!」

 市街地で未だに逃げ遅れた人もいるとなれば一斉射撃をするわけにもいかない。その上機動力を活かした接近戦も出来ないとあれば、朱雀の力では逃げる敵を追う事は、出来なかった。

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