7話 セレブリティ お嬢様とメイド長

「七恵、こっちは終わったよ」


「じゃあ私の所を手伝ってくれないかな? お願い」


可憐なメイド服に身を包み、テキパキと手際良く部屋の拭き掃除をする里美と七恵。愛によって勝手に三人とも応募されてしまったが、面接に行ってみると、人手がよほど足りなかったのか全員即採用。今はこうして屋敷の清掃を任されている。


「ふぅ……とりあえずこの部屋は大丈夫そうかな、次行こうか」


 里美が大きく息を吐いて、額の汗を拭う。紅神の屋敷は住宅街からは少し離れた場所に在る、正に豪邸と言った洋風の館で、一部屋事の大きさも巨大で、掃除も骨が折れる。バイトではないメイドとも何人か挨拶をしたが、それだけでは人手が足りないのも合点がいった。


 里美達二人が次の部屋の清掃のため移動をしようとした時、部屋の扉が開かれる。


「井ノ瀬さん、美倉さん休憩のお時間です。後は私と遠藤さんでやりますので」


 扉を開けたのはこの屋敷に勤めるメイド長、二宮 朱里(にのみや しゅり)であった。清潔感のある短い黒髪と、スラリと伸びる足が中性的な顔と合わせスマートさを際立たせている。


「わかりました、それでは休憩をいただきます」


「休憩室に紅茶とそれに合う菓子を用意してあります。どうぞおくつろぎ下さい」


 里美と七恵が朱里に礼をして休憩室に向かっていく。里美達、メイドアルバイトに対し、朱里は親切丁寧に仕事を教えていた。最初は怪しいバイトなのではないかと疑っていた里美達も、内容は全うな清掃業務であることや、優しく気遣いをしてくれる朱里の存在もあってこの仕事に徐々に慣れてきていた。しかし、愛を除く。


「遠藤さん、もう少し拭き残しは少な目にお願いできますか」


「すっすみません! もう一回拭きま……あっ!」


 花瓶が置かれている台を掃除していた愛が、慌てて後ろに振り返った途端、手が花瓶に当たってしまい、そのまま床に落下していく。床に打ち付けられた花瓶は粉々に砕け散った。


「ま、またやっちゃった……」


「お怪我はございませんか!?」


 愛が頭を抱えながら顔を青くする。またと言うのは愛は今日このバイト中に大きなミスを三つも犯しているからだった。まず最初にモップを洗う用のバケツをひっくり返し廊下中を水浸しに、二回目は皿洗いをしている最中に不注意で重なっている皿にぶつかり皿を五枚割り、そして今回。流石に三回目となれば、温厚であろう朱里も怒りに怒り狂い、クビにされてしまうのではと震える愛、朱里の反応を恐る恐る伺う。


「お怪我は無いようですね。破片の掃除は危険なので私がやっておきます。遠藤さんは……少し早いですが休憩をしておいてください。」


「す、すみませんでした……」


 声は弱々しくも、大きく頭を下げた愛が逃げるように部屋から出て行った。一人部屋に残された朱里。完全に扉が閉じ、愛が居なくなったのを確認すると、見るも無残に砕け散った花瓶を見て、大きなため息をついた。


「あの子、ダメかもしれない……」




「私、ダメかもしんない……」


 紅神邸の人数分の紅茶とお茶菓子が用意された休憩室、大きなため息をついた愛が、肩を落としながら落ち込んだ様子で少しずつ紅茶を飲んでいる。


「大丈夫だってー、人は誰だってミスをするものだしー」


「それ三回目だからって適当になってない!? ……私このバイト始めてからミスしてない日無い気がする」


 里美が愛の方すら見ずに棒読みで適当に励ました。流石の三回目となるとまたかと思ってしまう。落ち込み続ける愛。


「落ち込まないで愛ちゃん、私だってミスはするし……愛ちゃんが悲しいと私も悲しいよ」


「うわーん! 天使! ナナちゃんマジ天使! この世に残った最後の良心だよー!」


七恵が愛の肩に手を置き、優しく慰める。それに感激した愛が勢いよく七恵に抱き着いた。


「大体さ、愛らしくないんだよ。朱里さんもなんだかんだ良くしてくれてるし、いつもみたいにすぐ立ち直ってよ。」


 しょうがないなと、里美がフォローを入れる。


「でもさ、バイトはミスばっかりで、潜入調査とか言いながら何も成果ないしさ、良いとこ無しだなーって」


「潜入調査……そういえば、全然わかってないね」


 七恵が愛に抱きつかれながれも、むしろ締まりの無い笑顔でデレっと話を続けた。


「先代が幸一郎って人なのはわかったけど、もう亡くなっちゃってて話は聞けないし」


 里美と七恵はバイトの調子とは真逆に、IDカードに書かれていた名前、紅神 幸一郎の手がかりはほぼ掴めていなかった。今の主は紅神 咲姫(べにがみ さき)と言う幸一郎の一人娘らしいのだが、中々の多忙らしく、アルバイトの三人は未だに一度も顔を見ていない。


「短期なんだから、グズグズしてるともう終わっちゃうよ……何かしないとマズいよね」


 愛がやっと七恵から離れ、考えてますとアピールするが如く顎に手を当てウンウンと唸った。しかし人を食べる化け物の事をご存知ですか? と素直に聞いた所で、馬鹿な事を言っていないで仕事をしろと言われるのが関の山であろう。


「ま、龍二君も色々調べてるらしいし、明日相談でいっか」


 愛は考えるのを諦めた。




「ご休憩中の所、失礼します」


 紅茶と菓子で休憩をゆっくりと過ごしていた三人の所に、朱里が現れる。休憩時間を過ぎてしまったのかと慌てる三人だが、そうではないらしい。


「いえ、もう少しゆっくりしてくださって大丈夫です。ですがお嬢様が遅ればせながら挨拶をしたいと」


「お、お嬢様がバイトに直々に……!?」


 愛が驚きの声を上げる。お嬢様、つまりこの館の主、紅神 咲姫がわざわざ下っ端短期バイトの三人に挨拶をするのは驚きであった。多忙だと聞いていたので、会う事は無いと全員思っていたのだから。


「ええ、たとえ短くともこの館で働いている以上、家族のようなものだと仰っておりました。そんな方々に顔を見せないのは失礼だと」


 その言葉からは咲姫と言う人物が傲慢なだけの人物ではないことが察せられた。


「わ、わかりました」


「では十分後にもう一度伺いますので、その時にお嬢様の所にご案内いたします」


 朱里が三人に一礼すると、静かに扉を閉じながら部屋を出ていく。それを確認した三人が顔を見合わせた。


「ど、どうしよう!? お嬢様だって! 綺麗なのかな!」


 お嬢様と言う言葉を前に、はしゃぎ出す愛。他の二人は緊張しているのにも関わらず、一人だけのん気にどんなドレスを着ているかだの、アクセサリーをジャラジャラさせているのではないかだの、好き勝手言っていた。




「お嬢様、お連れしました」


 朱里が重量感がある木製の大きな扉をゆっくりと開く。その先の部屋にはレッドカーペット敷き詰められ、階段に続いている。愛達三人は、朱里の後ろでメイド服の長いスカートに苦戦しつつ、ゆっくりと階段を昇っていく。階段を上り終えた先には、ギラリと金色に光る装飾で飾られた、堂々たる玉座が鎮座していた。

 そこに座っていたのは、腰まで伸ばした艶の有る金髪と深紅のドレスに身を包んだ青い目の、ファンタジーの世界から飛び出してきたような容姿だが、背丈は大きくなく、愛達と年が変わらなさそうな少女だった。朱里が横に移動して跪く、愛達も真似して跪いてみた。


「ご苦労ですわ朱里、この度はこの紅神邸のメイドに応募して頂いた事に、わたくしからも感謝いたします。あなた方の丁寧な仕事ぶりはわたくしの耳にも入っておりますわ」


「お、お褒め頂き誠に恐縮でございます」


 緊張のあまりに声を震わせながら言葉を返す愛。咲姫はにこやかな笑顔で続ける。


「そう硬くならなくても良いですわ。わたくしとあなた方は同い年、わざわざ挨拶させて頂いたのも、交友を深めたいと思っての事ですの」


 見た目から予測は付いていたがまさかこの大きな屋敷の主が自分たちと同い年と言われると、驚きが隠せない。


「同い年と言う事は、十六歳であられまする?」


「ふふっそうですわ、よろしければお友達になってくださる?」


「ぜ、ぜぜぜ是非! 光栄でございますわ!」


 愛がどこか変な敬語で話し始めるが、咲姫は気にせず話を続けた。その後もガチガチに固まった三人と優雅な咲姫の会話は続く。最近の若者の流行を知りたいと言う咲姫に、オカルトばかり追いかけていた愛と読書ばかりの七恵は言葉を返せずにいたが、里美のフォローでその場をしのぎ切った。


「お嬢様、そろそろ清掃をしなければなりませんので、このくらいで」


「あら、ついつい長話をしてしまいましたわ」


 朱里が会話を遮る。咲姫は口に手を当てそんなに話し込んでいたとは気づかなかったと控えめに驚いた。


「遠藤さん達は一度休憩室にお戻りください。私は後から参ります」


「承知しました。それでは失礼いたします」


 朱里の指示を聞いた里美が、落ち着いた様子で別れの挨拶をしてゆっくりと階段を下っていく。その後を愛と七恵も失礼しますと言ってから追っていく。長い長い階段を下りる里美達の背中が咲姫の視線から消えるのは時間がかかった。


「ふー……疲れた、どう? ワタシ、お嬢様らしく出来てたかしら?」


「少々言葉遣いに怪しい点はありましたが、バレてはいないかと」


 里美達の姿が見えなくなると、咲姫が先ほどまでのお嬢様口調をやめて、フランクな様子で朱里に話しかけた。どうやら今までは演技だったらしく、こちらの方が素の姿のようだ。


「良かった、あの子たちガッチガチなんだもん、ちょっと面白かったわ。……ところでミスばっかりしてるのって愛って子よね」


「ええ、お嬢様のお気に入りの食器も何枚か割られております」


マジで!? と玉座から身を乗り出してあんぐりと口を開ける咲姫。それを気にする様子も見せずに咲姫が続ける。


「ですが出来の悪い子ほどかわいい、とも言います。メイド長としての腕が鳴ります」


 決め顔で言い放った朱里をよそに、長いため息をついた咲姫が、今後残った気に入ってる食器には近づけないよう命令した。




「なるほど、紅神邸に怪しい所は無かったんだな」


「うん、すごく大きいお屋敷で、いかにもお金持ちーって感じだったけど、メイド長もお嬢様も悪い人って感じじゃなかったよ。幸一郎って人ももう亡くなってたし」


咲姫に挨拶をした翌日、裏山の地下にある研究所では、愛達と龍二が調査の中間報告をするため集合していた。愛は紅神の屋敷に化け物につながるようなものは無かったと報告する。


「その紅神 幸一郎の事なんだが、これを見てほしい」


 龍二は持って来ていたノートパソコンでニュースサイトを開き、一つの記事を見せてきた。それを一番近い席に座っていた愛が読み上げる。


「えっと……天才セレブを襲った悲劇。紅神屋敷に強盗犯か、一人死亡、一人行方不明」


 サイトには紅神邸の写真と無くなった紅神 幸一郎の顔写真が大きく載っていた。二年前、深夜に忍び込んだ何者かに当時の館の主であった幸一郎が襲われ死亡、メイドも一人行方が知れなくなったという内容だった。


「その死亡した一名と言うのが紅神 幸一郎だ。彼は二年前に殺害されている。そしてこの事件は……」


 龍二が一度言葉を詰まらせ、意を決して口を開いた。


「恐らく奴らの仕業だと思う。凶器の情報も無く、強盗犯か、と書かれているが金品の被害も無いらしい。そしてこれだけの事件で続報も一切無いとなれば」


 幾度の怪物との戦闘、そしてその被害を身をもって知っている龍二だからこそ、経験からこの事件が怪物の仕業だと断定できる。奇怪かつ研究所に名前が残っていた人物が殺害されたとなればおかしい話ではないと思い、他の三人も疑問を示さない。


「人手が足りないって言うのも、事件の影響でメイドが辞めていったからなのかな」


「それならバイトの私達に隠すのも無理ないのかもね、気味悪がって辞められても困るだろうし」


 七恵と里美が声のトーンを落として会話する、不可解なメイドのバイト募集と言うのも、事件の影響で人手不足が進み、手が回らなくなっての苦肉の策なのだろうか。


「嘘……朱里さんだって何も教えてくれなかったよ」


 愛はショックを受けた様子で声を震わす。恐らくその当時から居ただろうメイド長の朱里も、この事件で父親が殺害された咲姫も、このような惨劇が起こっていたことなど一片も感じさせなかった。衝撃を受ける三人に、うまく言葉がかけられない龍二だったが、愛の口から出た朱里の名前に反応する。


「今、朱里と言ったか?苗字は?」


「二宮 朱里さんだったと思う。メイド長で私達の世話をしてくれた人だけど……それがどうかしたの?」


 龍二の口から愛達が信じられない事実が語られる。


「二宮 朱里は……事件で行方不明になったメイドの名前だ!」

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