8話 エレガント 朱雀降臨
「嘘……何かの間違いじゃないの? 朱里さんが、行方不明になってたなんて……」
地下研究所で紅神家の調査報告をしていた愛達に、衝撃の事実が明かされる。愛達三人をメイド長として支えていた二宮 朱里は二年前の事件で行方が知れなくなっていたはず人物だったのだ。
「奴らの事件に巻き込まれ、何かを知っている可能性がある……他にその朱里と言う人物についての情報は無いのか」
「情報って言っても……ミスばっかりの私にも優しくしてくれて、仕事もできるスマートな人って印象かな……怪しい所だって全然なかったよ」
愛が知る限りの朱里は不審な点など一つも無かった、自分たちに隠し事をしていたなど、信じたくはない。
「ここで考えても埒が明かないか……とにかく、二宮 朱里には気を付けろ」
龍二はそう言い放つが愛達の心情は複雑だ、紅神家と研究所の依然として釈然としない繋がり、不審な点が多い二年前の殺人事件、それらの状況から考えれば、行方が知れなくなっていたはずの朱里が無関係と言う方が不自然なのは理解できる。しかし、それでも朱里の事を信じたかった。
「遠藤さん? 遠藤さん!」
「は、はい!」
翌日、疑心と不安を胸に秘めながらバイトに訪れた愛達、ミスばかりの愛は今日も朱里と一緒の部屋を掃除していたが、その場の空気は重い。昨日までは無かった緊張感が張り詰めていた。そんな中で朱里や怪物の事を考えていて、注意散漫になっていた愛が朱里に呼び掛けられた。
「体調が優れないのですか?」
「い、いえ、元気です! ちょっと考え事をしてて……すみません!」
愛がビクッと体を震わせ、慌てた様子で答えた。
「なるほど、心配事でもあるのですか? 私でよければ相談に乗りますが」
あなた方が怪しい人かどうかで悩んでいたのです。など素直に答える訳にはいかない。愛はしどろもどろになりながら、誤魔化す言葉を探す。
「だ、大丈夫です! 悩みは寝たら忘れちゃいますから! えーっと……朱里さんこそお元気ですか!?」
散々考えた後の思考停止と、妙にかみ合わない会話の末、愛が唐突にこちらに質問してくるので朱里は呆気にとられる。一瞬目を丸くして驚くも、すぐに張り付いたような笑顔に戻った。
「ええ、お嬢様のおかげで私は元気に生きております」
昨日までは親しみやすさを感じていた笑顔も、その仮面の裏で何を考えているのか全く読めず、底知れない恐怖を与えてくるように感じて、顔を近づけてくる朱里から一歩愛が後ずさった。
「怖いですか?」
事務的かつ冷徹に心を隠しているくせに、こちらの感情は筒抜けのようで、後ずさりした距離をすぐさま詰められ、見開いた黒い目だけが愛の視界に入る。
「知ったのでしょう? 事件のこと」
愛の背筋が瞬時に凍る、迂闊にもほどがある、こんなにも簡単に、畳み掛けるかのように心の内を見透かされるなんて。この人の前では隠し事など一切通じない事を、一瞬で心から理解させられた。
「な、何の事ですか?私何も知らないですよ」
自分だけで無く、里美や七恵も危険に晒すかもしれないと考えれば、たとえ見透かされていたとしてもここで認める訳にはいかない。震える瞳で愛はどうはぐらかそうかと考える。
「不安にさせて申し訳ありません。隠していた訳ではないのですが……不必要な事を教えて不安にさせるのもどうかと思っていたのです」
怯える様子の愛を見て、朱里は愛の手を包み込み諭すように落ち着いてゆっくりと話し始めた。
「恐らく私が行方不明だと報道されているのも見て、幽霊か何かとでもお思いになったのでしょう。ですがあれは私が事件の日にたまたま非番であったのを勘違いされただけの事、ただの誤報ですよ」
「それに、事件以降この屋敷の警備も強化されました。特にスペシャルな警備員が一人……常に配置されておりますから」
先ほどと同じ微笑みの表情、しかし事件の話をする朱里の顔にどこか心を隠す仮面の向こうが一瞬だけ見えた気がした。その向こうにあったのが悲しみか怒りか……今の愛には判断が付かなかった。
「怪物の事は知られなかったにしても、事件の事知ってるのはバレちゃったわけか……」
昼過ぎの休憩室、早めに休憩になった愛と里美が紅茶を飲んでいた。考え込んでいるのか、見透かされたことを今も怯えているのか、口を開かない愛を見かねて里美が言葉を続ける。
「まぁ説明通りなら、朱里さんは無関係なんじゃないの? その日はお休みで居なかったんだから」
ちがう、と吐露するように愛がポツリと呟き里美の言葉が遮られた。
「多分、違うと思うの。朱里さんは……嘘をついている」
根拠はあるのかと里美が問うも、愛は首を横に振って全部私の直感だと答えた。あの時に朱里から感じた仮面の裏の感情を愛は忘れる事が出来なかった、無関係であるならばあんな感情は見せないはずだ、なにかまだ隠している事がある。
「そりゃ愛と朱里さんなら、愛の方を信じたいけどさ……大体、怪しいってだけで具体的な事は何も出ないし、もっと決定的な――」
その時、唐突に耳を劈くような悲鳴が里美の声を遮りながら響いてきた。
「悲鳴!? サトミン、様子見に行こ!」
「ちょっと愛! また突っ込んで行くつもりなの!?」
里美が制止しようとするも、愛はそれを無視して休憩室から飛び出そうとする。扉のノブに手をかけた瞬間、勢いよく扉が開かれ、愛が顔面をぶつける。
「ごめんなさい、大丈夫!? それどころじゃなかった、朱里の居場所を知らない!?」
「咲姫お嬢様!? えっと、朱里さんなら七恵ちゃんと一緒にキッチンに居ると思いますけど……」
扉を開けたのは咲姫だった。随分急いでいる様子で、息を切らしながら走りにくい着飾られたドレスで走ってきたようだ。尻もちをついた愛が居場所を答えると、ありがとうと短く言ってまた駆けだした。
「な、何だったんだろ……とにかく急がなくちゃ!」
愛と里美が悲鳴の元へ急ぐ。
広い紅神邸を走り抜け、庭に出た愛達の視界に入ってきたのは、屋敷の中に次々と逃げてくるメイドの姿だった、怯え惑うメイドの間を走っていると、視線が空に向かっているのがわかる。騒ぎの正体を確かめるために上を向くと逆光の中に浮かぶ漆黒の影が見えた。
「化け物だ! 龍二くんに連絡、出来る!? 私忘れた!」
「こうなると思って、ちゃんとスマホ持ってきたから!」
怪物を見た愛達が木の陰に隠れ、休憩室にスマホを忘れた愛の代わりに、里美が龍二を電話で呼び出そうとした。しかし
「ああっもう!あいつこんな時に出ないなんて!」
龍二は一向に電話に出ず、呼び出し音だけが無常に響いた。里美がモタモタとしている内にも空に居る怪物は翼をはためかせ、地上に居る人間に狙いを定めようとする。まるで眼前に並ぶご馳走を前に目移りをするかのようにギョロギョロト動いていた視線が、愛達の方向へ黒い眼が焦点を合わせた。
「サトミン、こっち見てる!」
怪物の視線に気づいた愛が、里美の背中を突き飛ばす。何が何だかわからないまま地面に打ち付けられる里美、スマホは何処かに飛んで行ってしまい龍二との連絡を取る手段も失われた。何をするのかと愛の居た方向を見るが、そこに愛の姿は無かった。
「離して、離してよ化けガラス!」
愛の姿は見えない、けれど声は何処からか聞こえる。離せと言う声を聴いてもしやと思い、空を見上げるとそこには怪物の足に捕まれ宙吊りにされた愛の姿があった。
獲物を捕らえて満足したのか翼を翻して高く高く浮上していく、このままでは愛が連れ去られてしまう、里美は何かできないかと周りを見渡すが、空を飛んでいる相手に出来る事が何もない。もう絶望的かと思われた、その時だった。
「フルブースト、突っ込みます! お嬢様!」
真紅のメイド服に身を包んだ女性が空を飛んでいた。信じがたい光景だが他に形容できない、メイドそのものがお嬢様を抱っこしながら、怪物に強烈な蹴りを加えた。どてっ腹を蹴られた怪物は思わず愛を手放して高度が落ちる。しかしすぐに体勢を立て直して、敵意をメイドに向ける。
怪物の手からは離れたものの真っ逆さまに落ちていく愛、怪物が無駄に高く飛んだせいで高度は即死レベルにまで上昇していた。このままだと死ぬ、愛は必死に手や足を振り回して足掻いてみるが、なんの効果もない。これは死ぬ――
そこに先ほどのメイドが現れ、既に抱えている人間の上に重なるようにお嬢様抱っこの体勢で抱え込む。ぐえっと言う情け無い声が愛の下から漏れてきた。
メイドがゆっくりと地上に降り立った。愛が顔を見るとそれは――二宮朱里だ、あまりのことに呆気にとられて動けないでいると、早く降りなさいよ!とまた情けない声、それに急かされて朱里の腕の中から降りると、声の主咲姫が続いて降りてくる。朱里がすぐそばで跪き、咲姫が一度咳払いをしてから声を上げる。
「おほん、オーディエンスもご覧のようですし、ここに宣言いたします」
スゥーと息を吸ってから高らかに宣言する。
「わたくしに忠実に仕えるメイド長、二宮 朱里のもう一つの姿、紅き衣を纏いて悪しきを撃ち抜く裁きの鉄槌! この姿こそ、我が紅神の知識と技術の結晶にて最終兵器! 讃えよ!紅蓮炎鳥朱雀!」
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