第7話 ソフトクリームはきー君の味

抵抗しようとするが、目が全く見えていない今の俺には、篠塚の凶行を止めることはできない。篠塚の湿った吐息が俺の頬に、かかる。

「綺麗にしてあげるね·····きー君の顔に付いた白濁液を全部·····」

暖かな舌が俺の右目を優しく触るように舐めた。

「美味しいっ。きー君の味がするっ」

「どんな味だっ! 頼むから洗面台に連れて行ってくれ!」

篠塚は次に俺の左目を舐める。

こいつ·····。

あくまで自分で全部のソフトクリームを舐め取ろうとしているのかっ!


繰り返し舐められ続けることで、徐々に目が見えるようになってくる。

どうやら、此処は、総合トイレのようだ。

まつ毛が俺の顔に触れそうなぐらい、近づいた篠塚の端正な顔が目の前にある。

ソフトクリームは、篠塚の手にも、髪にも付いていた。

「お前、自分にもソフトクリーム付いてるぞ! 俺はもう目が見えるようになったから、自分でトイレに行く」

俺は篠塚を振りほどいて、総合トイレらしい場所から出た。

「あ、きー君·····」

篠塚が肩を落として、出ていく俺を見つめた。手にも、服にも、顔にもソフトクリームがついている。

俺についてしまったソフトクリームを舐めとる為に、自分を二の次にした事が、そこに現れていた。

「一応目を見えるようにしてくれたから、お礼だけ言っておく。ありがとな」

もしかしたら、本当に、もしかしたら、篠塚は良心から、俺を舐めたのかもしれない。

「へへ·····。どういたしまして。妻として当然です」

「妻ではない」

総合トイレから出ると、すぐ横に男子トイレがあったので、そこで顔を洗った。

真横に男子トイレあるじゃねえかよ·····。


顔を洗って出てきた俺を篠塚は待っていた。まだ、顔の至る所にソフトクリームがついている。

「はあ·····。篠塚、目をつぶれ」

「え·····? う、うん」

篠塚は俺の言う通り、目をつぶった。

ポケットから取り出したハンカチで、俺は篠塚についているソフトクリームを全て拭き取った。

「これで良し·····っと。綺麗になったぞ」

「ありがとう。きー君っ! でも、もっと他の事してくれると思ってたな·····」

「他のこと? 何だよ」

「ギュッてしてくれるとか·····」

「そんな事するか! 目の前にソフトクリームが自分のせいで顔に付いた女の子が居たら、ハンカチで拭いてあげるのが、男としての務めってもんだ」

「きー君は私の顔に何かが付いてたら嫌なんだ?」

「ああ。顔を見るのに集中できないからな·····っ!!」

失言確定。

篠塚はニンマリし、俺の頬をツンツンしながら、

「そうなんだぁ~。きー君はいつも私の顔を集中して見てるんだぁ~」

や、やっちまった·····。

だって篠塚って、黙っていれば、激烈に可愛い銀髪美少女なんだもん。

ついつい顔は見てしまうよな。男ならな。

「あの、違うんです。違うんです篠塚さん·····! 今のは何と言うか·····」

「心に嘘をついちゃダメだよ。きー君が私の顔見てたことぐらい私は気づいてたんだから」

篠塚は俺に近づきながら続ける。

「もっと近くで見てみる?」

「·····っぉ!!」

篠塚は俺に抱きついた形になっている。

「篠塚、こんな所でそんな事されても困る。困るから·····」


その時だった。男子トイレから出てきた男が俺たちを見て、立ち止まり、

「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア!!! 姉ちゃん、おま、おま、おま、お前!!! 何してんだこんな、とこ、所で! そのお前に抱きついてる、銀髪の子は篠塚さんか? 篠塚さんなんだな!?」

この汚い高音。我が友、骨川 武である。

ナイスタイミングだ!

「骨川。こいつを何とかしてくれよ」

こいつに任せれば何とかな·····

「ハア?? なにリア充アピールしてんだよ!! 俺のかわい子ちゃんが俺から離れたくないって言って聞かないんだよ、みたいに自慢しやがって!!!」

らなかった。

こいつ、理性を失っている。

「篠塚さんとは、何にもないって言ってたじゃないか! チクショー!!!」

「骨川。叫ぶな。さっきから周りの人が見てる」

「これが叫ばずにいられるか!! 篠塚さん! 姉ちゃんは篠塚さんの何だ??」

頼むぞ、篠塚。間違っても付き合っているとか言わないでくれよ·····。

篠塚は狂犬のごとく喚き散らしている骨川からの質問に直ぐに答えた。

「妻です」

違ぇよ!!!!!

「ん? 爪楊枝がなんだって?」

あまりに有り得ない回答に、骨川の耳は対応できなかったみたいだ。

「妻です。妻、夫の妻です」

「あ、姉ちゃん、お前·····付き合ってないって言ってたよな?」

「ああ」

「それ以上先に進んでるから付き合ってないって意味だったのかよっ!」

「違う。違うぞ、骨川。こいつの言うことは信じるな」

「いいえ。私は、きー君の妻です。婚約書もあるんですからっ!」

あの、幼稚園の時に書いてた婚約書か? そんなもの見せたところで、効果はないぞ。

そう思った俺だったが、甘かった。


篠塚が、骨川に見せた婚約書は、俺の名前が書かれ、印鑑が押されている、本物に近いものだった。

「十八歳になったら、直ぐに市役所に出せるように、今から準備してるのっ!」

「そうか、そうだったのか·····」

骨川は、踵を返して逃げるように走っていってしまった。

「骨川! おい、骨川ぁ!!」

骨川は俺の呼び掛けに答えることも無く、視界から消えた。

明日学校でどう、言い訳すれば良いんだよ·····。

「おい。篠塚、何で、その婚約書を作った?」

「えへへー。いつか使えるかなあ·····と思って。今、使えたみたい」

「お前のせいで俺は、骨川に事情を説明するという厄介事が増えたんだぞっ!」

「まあ·····初めての共同作業というか·····」

「全くもって違う。俺が一人で背負う厄介事だ。しかも、ことを起こしたのはお前だ」

「ちゃんと、私と、きー君が付き合ってるって教えてあげれば良いだけの事じゃないですか」

「はあ·····。はいはい。そう言っておきますよ」

なんか、もう、面倒くさくなってきたので、適当にあしらうことにした。

「あっ。きー君。もうこんな時間だよ。そろそろ佐藤も待ちくたびれているだろうから、帰ろっか」

お前が、寄り道ばっかしてるからだろ。

もう時間は、七時を回っていた。

駐車場に向かい、歩いている時に、篠塚は俺の手を握ってきた。振りほどくことも出来た。だけど俺はその手を握り返した。


篠塚は、話が通じない、面倒くさい奴だ。でも、俺が日和の事について、悩んでいたら、解決しようと手助けをしてくれる。

俺の顔に何かが、ついていたりしたら、自分の事は放っておいて、綺麗にしてくれる。


その方法が異常なものだったとしても、その行為は、俺を思う心から起こったものなのだ。

俺が、篠塚に合わせれば、つまり、篠塚と付き合えば、案外幸せなのかもしれない·····。

「お帰りなさいませ。随分と遅かった所を見ると、楽しまれていたようですね」

佐藤さんが、帰ってきた俺たちを見て、読んでいた本を閉じ、車から降りて、そう言った。

「手を繋いで、仲睦まじいご様子で」

「ええ」

と、篠塚。

「お、お嬢様。お召し物に付いた、その白いものは何ですか? 」

篠塚の着ている服には、まだソフトクリームが付いていた。流石に、衣服に付いてしまった物までは、ハンカチでは取り切れなかったんだ。

「これは·····きー君の·····」

篠塚はそれだけ言って、それきり何も言わない。

そこで切っちゃダメだ!!!

「き、貴一坊ちゃん?」

結局、佐藤さんに、事情を説明するのに、カップラーメン三十個分ぐらいの時間がかかった。

やっぱり、篠塚は面倒くさい。









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