第2話 安心してくださいヒロインが1人な訳ないです
午前四時二十八分。いつも通りに目が覚めた。俺、姉小路 貴一の朝が始まる。
寝ていた布団をたたみ、充電していたスマホを右ポケットに突っ込んで、一階に降りる。顔を洗ったら、朝食作りだ。
今日の朝食は、向かいの田中さんというおばあちゃんにもらった干物のホッケ。
大手電機メーカーの技術者の父、
俺以外は全員仕事の都合で、二年前から日本にいない。
そのせいで現在、5LDKの無駄に広いこの家で絶賛一人暮らし中。朝食は勿論、自分の身の回りのことはすべて一人でこなしている。
「ご飯は炊けているから、ホッケを焼くか」
冷蔵庫からホッケを取り出して、表面に油を塗ったグリルに投入する。
なんということはない、簡単な作業。俺の脳内はホッケを焼く以外のことに占領される。
昨日の転校生、篠塚 椋薇との一件が家に帰ってから、一向に忘れられない。
いきなり、結婚だの同棲だの迫ってきたことには、正直、引いた。幼稚園児の戯言なんて普通高二まで本気にして引きずるか? と。
篠塚が普通の女子高校生であったなら、即座に職員室まで行って担任の真代(ましろ)ちゃんに変質者がいますと俺は報告しただろう。
しかし、篠塚は可愛い。美しい銀髪。吸い込まれそうになる青色の瞳。すらりと長い脚。
良いところをあげろと言われれば、いくらでもあげられる。
千人に聞いても千人が可愛いと答えるほどの美女、それが、篠塚 椋薇。
転校生です。と紹介され、教室に入ってきたときには、クラス中に驚嘆のどよめきが上がった。
その篠塚が俺に告白じみたことをしてきたのだ。
高二の今まで、一度たりとも女性とお付き合いしたことのない自分としては、少し嬉しかったりする。
「あんな変態じゃなけりゃなあ」
普通に告白してくれていたら、俺は間違いなく受け入れていた。可愛い彼女は誰だって欲しい。
篠塚の胸の感触が忘れられない。帰ろうとする俺に縋り付き、腕に抱き着いた時の感触。篠塚の甘い匂いに包まれて、頭がおかしくなりそうだった。
同じクラスで、今日から篠塚と一緒で、うれしいような、めんどくさいような。
あいつの席は俺の隣なんだよな……。
「おっ、焼けたな」
グリルの料理終了のチャイムが鳴った。次に味噌汁を作ろうとのカボチャを切ろうとした時、インターホンが鳴った。
ガシャリと玄関の扉を開ける音がして、訪問者は勢いよくキッチンのある部屋に入ってくる。
「おはようなのですっ。お兄ちゃん」
肩あたりまで伸ばした鮮やかな赤髪。背は低いが胸はそれに似合わないほど主張が強い。
近所に住んでる一つ年下の幼なじみ、
「おお。日和。来るのが遅いぞ。もう味噌汁作るだけなんだが」
ペンギンの着ぐるみのようなパジャマのしっぽを振り振りしながら、
「えへへ·····寝坊してしまったのです」
「だろうと思ったよ」
「何か手伝うことはあるですかっ?」
「もうすることなんて·····」
俺はキッチンを見渡した。
「揚げと豆腐を切ることぐらいだけど·····それやるか?」
「はい!」
「手を切らないようにな。はい、包丁」
「わかってるのですよ。お兄ちゃんは心配しすぎなのです」
「いや。お前の心配してるんじゃなくて、お前がケガをすると
秋江さんというのは、日和のお母さんだ。秋江さんは俺の母さんのジャーナリスト仲間で、今は母さんと一緒にニューヨークに滞在している。
日和のお父さんは日和が生まれる一ヶ月前に交通事故で亡くなっていて、現在、日和は家に一人で暮らしている。その世話を俺は秋江さんに頼まれているというわけだ。
「そんなこと言って·····日和のことが好きすぎて、かすり傷もつけたくないぜ! とか思ってるくせに」
隣に立ち、揚げを切っている日和が左ひじで俺の腹をツンツンしてくるが、華麗に無視。
「さっさと切って鍋に入れてくれないか。もう日和が揚げを入れてくれれば完成なんだが」
「はいはい。もう切れたので入れておきますよ」
日和は揚げを入れて、鍋の蓋をした。二人して黙って味噌汁の鍋を眺める。
辺りには何か気まずいような空気が漂う。日和は鍋をジッと見ているので、そう感じているのは俺だけかもしれないが。
しばし、日和のキメ細かな肌の横顔に見入った。
ちゃんと学校には行けているのだろうか?
日和は今年から、高校一年生。中学校にはほとんど通えなかった。激しい、いじめを受けていたから。
俺が守ってやりたかった。でも、それだけの勇気も、力も俺にはなかった。
「日和。学校には行けてるのか? 昨日が入学式だったろ?」
日和は鍋を見ながら、力無く笑って、
「ごめん。お兄ちゃん。まだ……ちょっと、怖い」
「そうか。無理しなくてもいい。俺はずっと待ってるから」
「ありがとう。日和もいつかお兄ちゃんと一緒に高校に通いたいなっ」
「ああ。学校に行けるようになったら一緒に行こうな」
「お兄ちゃんと一緒に学校に行くために同じ学校を受験したんですから、当然です! 日和という恋人がいるお兄ちゃんに近づこうとする女狐たちを片っ端から引き離すんですっ!」
「俺に近づこうとするやつとか、居ないから、元から大丈夫だろ」
まあ、昨日ちょっと怪しい人に絡まれはしたが·····。
「じゃあ·····お兄ちゃんの隣は·····日和が·····」
「ん? 学年違うから席が隣になんてならないぞ?」
「そういう意味じゃ·····ないのですけど」
「どういう意味だよ?」
俺が聞くと、日和は一瞬顔をハッとさせ、口をもごもごしたが、結局何も言わずに顔が赤くなっただけだった。
「鈍感なお兄ちゃんには一生分からないのですよっ。この前日和が貸してあげた、ときめきメモリアル4はキチンとプレイしたのですか?」
「あー。あれな。なんかどうやってプレイしても幼馴染の都子って奴のルートに突入しちまうんだよなあ」
「え? 幼馴染の都子ちゃんには何回もしつこくデートの誘いを電話でしないとデートすらできないはずなのですが? 都子ちゃんが好きなだけじゃないのですか?」
ぎくり……。その通り。
「やっぱりお兄ちゃんは胸でしか女の子を判断できないおっぱい星人でしたか」
「なにそれ·····俺は胸に何て興味ないある」
「どっちなんですかっ?」
「あ! 味噌汁が出来てるぞ。早く食べよう」
「またはぐらかして·····もおっ」
まだちょっと赤みが抜けきっていないほっぺたをぷくりと膨らませながらも、日和は俺がよそったご飯や味噌汁を運んでくれた。
「じゃあ、手を合わせて」
俺が言うと日和が手を行儀よく合わせた。
「「いただきます」」
*****************************
日和と二人で朝食を食べ終わり、俺は制服に着替え、通学用のリュックサックを背負い、玄関まで行った。
あ。ネクタイ結んでねえわ。
ポケットに入っていたネクタイを学校に行く俺を見送ろうと玄関まで来ている日和に渡した。
「日和。ネクタイ結んでくれ」
「はいはい。わかってるのです。すぐに結びます」
俺は未だにネクタイを自分で結ぶことができない。
たまに、自分で結んでみようとして挑戦はするのだが、いつも日和に結んでもらった時と比べてどうも不格好になってしまうので結局、高校二年生になった今も日和に結んでもらっている。
「きゅっきゅっきゅっと!」
日和はご機嫌に即興の歌を歌いながら、慣れた手つきでネクタイを結ぶ。俺よりもかなり背が低いので、精いっぱい背伸びをしながら結ぶ。たまにぴょんぴょんと跳ねるところなんかも小動物的で可愛い。
いつか日和も誰かと結婚したりするんだろうけど、こんなに可愛い子を誰にもやりたくないという父親的な感情も沸いてきたりする。
「はい。出来上がりなのです! 今日も学校頑張ってくださいね!」
「ん。頑張るよ」
ん? 日和が目をつぶってこちらを見上げている。
「どうした? 日和」
「ほら。あれです。あれなのです。学校に行く前には日和にチューすることになってるのです」
「毎日してる習慣みたいに言うな。そんなことになってねえわ」
日和は無視して、学校に行くか。やべっ。割と時間が遅いな。俺の腕時計は普段、家を出る時刻よりも十分ほど後を指していた。
「もう時間ねえから学校行ってくるな! じゃあな。良い子にして待ってるんだぞ!」
「あ! もう·····」
まだ何か言いたげな顔をしているが、良い。
遅れてしまう。急げ! 俺! 風になるぜ!
「がんっ‼」
へ? 勢いよく開けたドアに何かが当たって、鈍い音がした。その音のほうから、少し遅れて「つつつつっ~」という人の声。これはまずいな。でも、なんで人の家の玄関前に誰かが居んだよ?
「大丈夫ですか⁈」
「ええ。大丈夫! きー君が開けたドアで額打ったぐらい何ともないから! でも、ちょっと痛いな……。きー君、責任取って傷口ぺろぺろしてくれる?」
·····っつ!!!!
「ばたんっ」
「あ! きー君! なんで閉めるの? ねえ、ねえってば!」
反射で、つい咄嗟に閉めてしまった。これが脊髄反射ってやつか。脊髄バンザイ。
なんでこいつ俺の家にまで来てんだ? とりあえず不審者が入ってこないように鍵はかけておくか。ガシャリ。
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