俺はこんな銀髪美少女と婚約した覚えはない。
黒鐘 蒼
第1話 プロローグ
「久しぶりだね·····何年ぶりかな?」
夕暮れ時。俺を呼び止めた転校生の少女は、開口一番にそう言った。
渡り廊下に斜めから差した陽が、その艶やかな銀髪を紅く染める。グラウンドから運動部の連中の空元気な声が聞こえてくる。そのせいで、会話の間の静けさが際立つ。
今日は高二の一学期始業式だった。式そのものは昼に終わった。でも、その後、生徒会の雑用を押し付けられ、結局帰る頃には太陽が随分、地平線に近づいていた。急いで廊下を走っているところに、「話があるんだけど」と声をかけられたのだ。
高校にしては珍しい転校生は·····
「ずっと、再会できる、この時を待ってたんだからっ」
などと意味不明なことを供述しており·····
「私たち、やっと夫婦に成れるのねっ‼」
目には光るものを湛えている。
傍から見ると、いわゆる、感動的な再会と言える場面なんだけど·····。
うーむ·····全く覚えがない。
俺の前世は
「あの日の約束の紙だって、ちゃんと持ってるんだよっ。片時も手放したことなんてないんだから‼」と、少女は何やら黄ばんだ紙を俺に見せてくる。
そこには崩れた字で、こう書いてあった。
「ぼく、あねこうじ きいちは、おおきくなったら、りょうびちゃんとけっこんします」
漢字を一切使っていない。
幼稚園児ぐらいの人間が書いたみたいだ。
それはまあ、良いのだが、大きな問題がある。
姉小路 貴一という人間は日本中探せば何人かいるだろうし、篠塚 椋薇もまたしかり。偶然の一致である可能性もある。
しかし、黄ばんだ紙と共に、篠塚の白い手が持つ写真が俺の関係を主張している。
そこに写っているのは、まだ黄ばんでいない婚約書(仮)を無邪気な笑顔で持っている幼稚園児の男女。男のほうは俺に似ている·····というか俺だ。この鼻水を垂らして、あほ面をかましているのは残念ながら間違いなく俺だっ(泣)。
女の子の方も特徴的な美しい銀髪だし、端正な顔のパーツの端々に今の篠塚の面影が見られる。
篠塚 椋薇に間違いない。
ってことはこの婚約書(仮)は俺と篠塚 椋薇との間に交わされた物なのか?
「私の身も心も貴方に捧げます」
「·····え⁉」
「結婚するんだから! 私たち」
篠塚は「当然でしょ?」と言わんばかりの顔をしつつも、顔を赤らめる。
これって·····
「これはどういう状況だ?」
つい、リヴ〇イ兵長の千倍は間抜けな声で、そう言ってしまった。生まれて初めて、俺は空いた口が塞がらない状態を経験している。
「もう。とぼけちゃって! きー君の恥ずかしやさん♪」
何がどうなってる?
俺のことを、そのあだ名で呼ぶのは家族だけだ。
「おじいちゃんに頼んでもう二人で住む家も用意しといたんだから! はい、これ合鍵!」
そう言って満面の笑顔で鍵を俺の胸に押し付けてくる。
俺の脳内は今、極度の混乱にある·····。
俺はこんな銀髪美少女と婚約した覚えはない‼
写真という証拠もあることだし、俺が忘れているのか?
それとも、この写真自体が合成で詐欺か何かの道具として利用している?
なら、今俺に押し付けられている合鍵は何なんだ?
とにかく、同じ幼稚園であるか確かめねばっ!
「お前、本当に俺と同じ幼稚園だったのか?」
「はい」
「幼稚園の名前は?」
「変な質問ですね。市立桜幼稚園ですよ?」
合っている。俺が通っていた幼稚園だ。
じゃあ、貴一君検定一級(貴一のことは貴一と同じぐらい知っているので、嫁にもらってもいいレベル)の質問だっ!
「俺が使っていた手提げバッグに書かれていたキャラは?」
「ドラ〇ンボールの悟〇がスーパーサイ〇人スリーになったやつですね」
「俺の口癖は?」
「オラに元気を分けてくれ! ですね」
「俺がリス組の時に告白した人は?」
「しょうこ先生です」
「俺が当時挑戦していたことは?」
「スーパーサイ〇人になるとか言って、いつも
「俺が幼稚園にいつも持って行って読んでいた本は?」
「そらまめくんのベットですね。きー君読み終わったら毎回号泣してたんだから。今思うと、どこに号泣する要素があるのか分からないけど、きー君が泣いてるから私も泣いてたなあ」
くそおおおおおおおおおおおおお!!
難易度高めの恥ずかしいことまで完璧に答えられるだとっ。だめだ。こいつはここで消さないと·····バラされるとヤバい事ばっか覚えてやがるっ。
これだけ俺のこと知っているって事は、かなり仲の良かったやつなんだろう。だが、やはり思い出せない。
俺は幼稚園の事なんてほとんど忘れてしまっている。小学校、中学校と連続して受験したストレスのせいだと思う。
「お前が俺と親しい存在だったのは分かった。でも、すまない。お前のことを思い出せない」
「そ、そんな‼」
篠塚は悲痛に顔をゆがめた。その手から鍵が落ちた。渡り廊下のコンクリート製の床にあたって、無機物的な音が周囲に広がる。
「思い出せない以上、お前と結婚することなどできないし、もちろん、この合鍵も受け取ることは出来ない」
俺は落ちた鍵を拾ってホコリを払い、それを篠塚の手に戻した。
これで良かったんだ。いきなり、よく知らない人に同棲だの結婚だの迫られたら、誰だってこうするだろう。
たとえ相手が銀髪美少女だったとしてもだ。
この事は忘れて明日から、また普通の日常を楽しもう。早く帰って俺はおじゃ〇丸の録画したのを見ないといけない。
俺は靴箱に向かうべく篠塚に背を向けた。
「待って」
篠塚が俺の腕に抱きつき、俺の歩みを止めた。腕を包む柔らかい二つの半球体の熱が伝わってくる。その感触は十七歳童貞の俺の歩みを止めるには十分すぎる力を持っている。
「すまない。俺は帰ってしなければならない大事な用事があるんだ。帰らせていただきたい」
そう言いつつ篠塚の顔を見て驚いた。
篠塚の瞳から、雫が途切れることなく流れていた。
「え?その、あの……」
ど、どうすれば? 今グーグル先生には頼れないし·····
篠塚は声を詰まらせ、
「きー君·····忘れたとか·····言わないで。私は、きー君のこと忘れたことなんて一度もないのにっ」
今、スマホを取り出せるものなら「女 涙 止め方」で検索できるけどな。
ただでさえ、何故か、好きなアニメについて熱く語ったらみんなに引かれるというのに、ヤンキーのレッテルまで背負って学校生活を送るなど俺には耐えられないっ!
「あの、泣き止んでください」
それがスカスカの恋愛脳を振り絞って出したセリフだった。これで泣き止むのなら、そもそも泣いてないだろうな。
案の上、篠塚は泣き止まない。
このまま無視して逃げちゃうか?
いや、でもそれで明日誰かに言いつけられたら、俺は社会的に死ぬ。
「どうしたら、泣き止むんだ? お前」
「きー君が私のことを思い出したらです」
それが一番難しいんですけどっ!
「そんな事言われても·····思い出せないものは思い出せないし」
篠塚は一向に俺の腕を離そうとしない。
「忘れたなんて、許さないんだからっ!」
篠塚の瞳は、俺をジッと捉えて離さない。女子の顔も直視できない陰キャの俺には結構恥ずかしい。
「忘れたもんは、しょうがないです」
「こうなったら力尽くで思い出させます!」
「どうやるんだよ?」
「幼稚園の時、きー君といつも私は一緒にいました。だから、きー君のそばに私がずっと居ることで思い出してもらいます!」
ナニイッテンノ、コイツ?
そんな事で記憶が戻るのってアンビ〇ーバボーに出てくる人達ぐらいでしょ。
「迷惑なんだが」
「迷惑? 小学校と中学校と高校一年生の間の十年間私の心を奪い続けたきー君のほうが迷惑ですよ。どうしてくれるんですか?」
そんな事言われてもさ·····
「俺はどうしたら·····?」
「私と同棲して、結婚すればいいんですよ」
ふふんっと鼻歌交じりに篠塚。それが可能な事なら今すぐにしているのだが。
「あのな、篠塚。お前は今日この高校に転校してきたばかりだ。だから俺はお前のことはよく知らない。そしてそれはお前も一緒だ。お前は幼稚園の時の俺の事しか知らない。今の俺がどんな人間なのか知らないだろ?」
「まあ、そういうことになりますけど·····」
「どんな奴か知らないやつに急に同棲だの結婚だの迫るもんじゃない。俺が変態だったらどうするつもりだったんだ? お前は·····その·····綺麗だ。だから変態だったらすぐに同棲してお前にあんなことや、こんなことをしていたかも知れないんだぞ?」
「きー君·····綺麗だってもう一回言って?」
上目遣いの篠塚。
俺の話を聞け。
「黙れ。それに、俺もよく知らない女の子と同棲なんてしたくない。いろいろ気にして神経擦り切れてごぼうみたいになっちまうわ。フリーザの部下のバーダックの如くな」
「きー君·····そのギャグ、面白くないよ?」
「黙れ。だから俺はお前と同棲も結婚もできない。結婚はしたかったとしても、できないけど。それじゃあな。俺は帰るからっ」
今度こそ俺は帰るっ。そしてお〇ゃる丸を見て癒される。
「ちょっと待って、きー君」
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「きー君は良く知らない人とは同棲も結婚もできないって言ったよね」
「ああ。そうだけど?」
「もう♪ きー君たら恥ずかしがり屋なんだからっ。久しぶりに会ってお互いに変わった所を知りたいから、お付き合いから始めようって、ちゃんと言ってくれたらいいのに♪」
「どう解釈したらそうなるんだよっ。お前、俺の話聞いてたのか?」
「分かった。お付き合いから始めよっ。きー君は今日から私の彼氏ね!」
こいつ現在進行形で話聞いていないっ!
「なんでそうなるんだよっ?」
「ああっ。嬉しすぎてメイクが崩れちゃうっ。直してくりゅっ」
「嬉しすぎて崩れるメイクがあるかっ。あ、おい! 待てっ! 逃げるな‼」
自分の顔を両手で覆い、疾風の如く篠塚は走り去った。あいつ、すっぴんだったよな?
篠塚のシャンプーの香りが辺りに漂っている。
「何だったんだ·····あいつ?」
今日から俺が自分の彼氏だ。そう言い放った篠塚はその後、戻って来ることはなかった。
新年度早々、変な奴に絡まれてしまった。篠塚の席は俺の隣。明日、俺はどんな顔して学校に行けば良いのか·····。
でもまあ良い。さっさと家に帰って押しキャラの某伝書蛍のデン〇でも愛でるか。
俺は家路を急ぐ。
右腕にかすかに残る篠塚の胸の感触が少し鬱陶しかった。
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