第4話恋のベクトル

 コーラス部の部長の二宮先輩は、普段はちょっとえない男に見える。申し訳ないけど、達哉もそう思っていた。

 でも今はもう違う。

 二宮先輩が指揮をすると、バスケット部との掛け持ちコーラス部員達哉でも、自分が楽器になったような気がする。一番いい声を指揮棒で引き出され、ソプラノ、アルト、達哉の歌っているテノール、そしてバスの歌声を空中で混ぜて、新しい色を創っていく。

 それはとても気持ちのいい瞬間なのだ。


 二宮先輩は皆と話していても、ふっと視線をさまよわせることがある。

 そんな時には多分、二宮先輩にしか聞こえない音が聞こえているのだろう。さすがに突然、腕を振り出したりはしないけど、二宮先輩の腕の筋肉は時々、きゅっきゅっと締まる。頭の中に響く音楽に耳を傾け指揮棒を合わせているのだ。

 口元にほんの少しだけ笑みを浮かべて、自分の世界に遊ぶ二宮先輩は近寄りがたくかっこいい。さっちゃんが二宮先輩を好きになっても不思議はないと達哉も認めているのだ。


 小学生の時から女子サッカーに打ち込んできたさっちゃんにも、やっぱりさっちゃんだけに見えている世界があるのだと達哉は思う。だからこそ二宮先輩の見えない世界に、さっちゃんは心惹かれるのだろう。


 たとえ二宮先輩がピアノを担当している三木先輩を好きだとしても。そう。さっちゃんが好きな二宮先輩は三木先輩が好きなのだ。


 (さっちゃん、俺にしときなよ)

 

 二宮先輩の指揮に合わせて歌いながら、達哉はいつも思っている。

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