第3話失恋なんか大したことない

 さっちゃんは昔から男前だった。スポーツはもちろん抜群だったけれど、それだけじゃない。

 広場で遊んでいて、場所の取り合いになりそうになると、男の子達はさっちゃんの方を見る。


 「皆でドロケーやろうよ」


 とさっちゃんが言えば、いさかいの兆しは消え失せ、皆でドロケーをやった。

 チビっ子が転んだら、誰よりも速く駆けつけて、傷口を水道の水でジャアジャア洗ってあげる。もちろん、チビっ子は泣く。さっちゃんは洗っている方の足をガシッとつかんで、逃がさないようにしながら、ジャアジャア洗う。


 「砂が傷口に残っていると、膿んだりするし、治りも悪くなるんだよ」


 さっちゃんが優しく言い聞かせると、呪文のように、皆ガマンしてしまう。クチビルを噛みしめながら、さっちゃんが傷口を洗い終わるのを待つ。傷口がキレイになると、さっちゃんは持ち歩いているバンソウコウを、ペタッと貼ってくれる。そしてニコッと笑う。チビっこはバンソウコウを勲章に、誇らしげにまた走り出していく。

 さっちゃんはもめ事にも血にも泣き声にもひるまない、カッコイイ女の子だった。昔から。


 そしてそれは高校三年生になった今も、同じだったということなんだろう。


 「たっちゃん。私、告白するよ。」


  たまたま二人で帰る道すがら、しなくてもいい宣言を達哉に突然してきたのだ。

 達哉はさっちゃんが玉砕覚悟の上でなのか、それとも二宮先輩の気持ちのベクトルの方向に気が付いていないのか、さっちゃんの気持ちを測りかねた。

 でも男前のさっちゃんの事だ。たぶん……、さっちゃんは知っている。さっちゃんは鈍くない。じゃあなんで…。答えが分かっている質問なら、しなくてもいいじゃないか。


 初夏の風がさっちゃんの短い髪をさらさらと流す。線路の横に平行に伸びている細い脇道には、小さな青い花が咲いている。


 「さっちゃん。そんなの、やめなよ」


 告白、という単語を僕は使えなかった。

 沈黙が、五歩分、続いた。

 さっちゃんが息を吸い込んで、吐いた。


 「……やっぱり?」


 さっちゃんの声は小さくて震えていた。


 「気まずくなるよ……」


 達哉は自分が出せる、一番優しい声でありますように、と願った。


 「うまくいくかも、とは思わないんだね、たっちゃんも」


 達哉はなんと言えばいいのかと、言葉を探したけれど、見つけられなかった。


 「うん、私もそう思う」


 さっちゃんは、自分で答えた。


 「そうだよねえ……。気まずくなるだけだよねえ……」


 さっちゃんが考えていることが、なんとなく分かった。

 告白しないで、恋心をなかったことにしたくないんだ。二宮先輩の気持ちが、さっちゃんに向かないってわかってしまったから、叶うことのない恋心を、ちゃんと終わらせたかったのだろう。


 「わかった。言うの、やめる」


 さっちゃんは、涙を目に一杯、浮かべながら、達哉に笑顔を向けた。精一杯涙をこぼさないようにがんばっているさっちゃんが、いじらしい。


 「さっちゃん、俺、さっちゃんが好きだ!」


 達哉はでっかい声で叫んだ。

 さっちゃんはびっくりしすぎて、涙が引っ込んでしまったようだ。キョトンとした顔がかわいい。


 「気まずくなっちゃうんじゃ…?」


 びっくり顔のまま、さっちゃんが聞く。


 「さっちゃんと僕に、気まずくなるなんてことあるわけないだろ」


 達哉はニッと笑って見せた。


 (ああ、神様。どうか振られたことなんか、たいした事ないって思っているように見えますように)


 「だってさ。保育園からの付き合いなんだぜ。振られた位、俺たちの長い歴史からみたら小さな出来事だ。だから気まずくなんかならない。俺とさっちゃんなら」


 「そ、うなのかな?」


 達哉の説得に、さっちゃんは首をかしげた。


 「そうだよ」


 達哉は自信満々に頷いてみせる。強がりだけど、この強がりが本当になりますように。


 (さっちゃんと僕の恋は、振られたところから始めるんだ)


 達哉はさっちゃんの手を取った。昔みたいに。さっちゃんが小さく頼りなく、心細げにしていたから。久しぶりにつないださっちゃんの手は、すっぽりと達哉の手におさまった。

 胸の痛みと、ときめきと、さっちゃんの手の温もりと。


 (これはまちがいなく、さっちゃんと僕の歴史の中で、重大事件だ。振られたことなんかよりも、ずっと。)


 線路の横の脇道は、ずうっと伸びている。後ろにも、前にも。それはまるで二人の歴史のようで。

 達哉はこのまま手をつないで、どこまでも歩いて行きたいと思った。


 さっちゃんにはまだ、この気持ちを言えないけれど。

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