第2話ハーモニーは運命のメロディー

 達哉は中学校でバスケットボール部だったが、スポーツ推薦の話が来るほどではなかったので普通に受験した。だからどの部活だろうと自由に入部は出来るのだが、高校でもバスケットボール部に入ろうと思っていた。


 それなのに入学式の日にさっちゃんとの再会の邪魔をした、二宮先輩が毎日、達哉のクラスにやってくる。


 「コーラス部、入るって言ったよね?」


 あの時、さっちゃんのかわいさにぼうっとなって、うっかり肯いてしまったのが運のつきだった。

 合唱部は慢性的に男子部員が少なく、男性パートの声量不足に悩まされている。一年生男子への勧誘は自然と力が入る。

 達哉がどれほどあの時、うなずいたのは間違いだったと言っても聞き入れてもらえなかった。


 (毎日、誘いに来るなんて、どうかしてる)


 と達哉は思ったが結局は根負けして入部してしまった。「運動部との掛け持ちでもいいから」という説得に、まあいいか…と思ってしまったのだ。


 ところが入部してしばらく後に、達哉は二宮先輩に感謝することになる。

 さっちゃんも掛け持ちのコーラス部員だったのだ。達哉は、それならそうと言ってくれれば、二宮先輩の毎日の来訪のためにクラスメートに怪しまれるまでもなく、さっさと入部したのに、とうらめしく思ったが、それは後の祭りというやつだ。


 達哉がさっちゃんもコーラス部員だと知ったのは、五月の初めの頃だった。コーラス部は他の部との掛け持ちが多いので、コンテスト前以外は練習の参加者が少ない。さっちゃんも達哉も、ほとんどコーラス部の練習には参加していなかったので、顔を合わせる機会がなかったのだ。


 五月に入ると、二宮先輩からコンクール用の新譜を渡すので、五月六日だけは部員は全員出席するようにと、連絡が回ってきた。

 達哉はバスケットボール部の練習があるから断ろうと思った。なんならコーラス部はやめてしまおうかとも目論んでいた。

 ところが二宮先輩は各部活に、コーラス部の練習に参加が出来るように手を回していた。


 どういう手を使ったのかと思ったが、実は高槻高校はコーラス部ではかなり名門校だったのだ。達哉が全く興味がないので、知らなかっただけだ。

 それまで練習をしていなかった掛け持ち組はコンクールが近づくと、昼休みは必ず音楽室で練習しなければならない。


 昼休み練習は、コーラス部員の義務だったけれど、達哉はさっちゃんに会えるので面倒ではなく、むしろ楽しみだった。同じ学校とはいえ、学年が違うと校内ですれ違うのもまれだったから、なおさらだ。


 二階にある音楽室の窓は、雨の日以外は全開で、発声練習に始まり、コンクール曲のパート練習をする。そして最後にすべてのパートを合わせて歌う。

 

 コンクールの曲はゴスペルのようで格好よかった。始めは声も小さく、合わせてもバラバラだった歌声も、毎日繰り返し練習するうちに、どんどん変化していく。

 まるでバラバラのピースのジグソーパズルが、一枚いちまい、組み上がり色鮮やかな絵が出来上がっていくようだ。


 そして小さなピースを手に持って、組みあげているのは、間違いなく指揮をしている二宮先輩だ。うっとうしい前髪さえ、指揮をしている時はかっこよく揺れる。


 ひじのところまでまくり上げた白いシャツから、筋張った腕が伸びている。二宮先輩は肘から先が長いので、指揮が大きく伸びやかだ。


 二宮先輩の指揮に合わせて歌っていると、達哉は自分が楽器になって奏でられているような気がしてくる。楽器はモノだけど、いい音で奏でてもらえたら、きっとこんな風に気持ちいいんじゃないかな…とふと思う。


 (多分、二宮先輩よりも俺の方が運動は出来るし、会話だって面白い。でも……)


 達哉は二宮先輩は俺がかなわないものを持っている、と思うのだ。


 達哉は歌っているとき、二宮先輩しか見ていない。でも二宮先輩は違う。ソプラノやアルト、達哉の歌っているテノールパートを見たりする。時にはピアノを見たりする事もある。さっちゃんが二宮先輩を見ていたとしても、それは自然な事だ。

 だから達哉が気が付いたのは、やっぱり男の勘が働いたのかもしれない。


 「三木さん、間奏のところね…ー」


 二宮先輩が合唱を中断し、ピアノを弾いている三木先輩と話している時、達哉は手持ちぶさたになり、なんとなくさっちゃんを目で追っていた。


 (あれ……?)


 最初はちょっとした違和感。でも気をつけて見ていると、だんだんくっきりと見えてくる。


 (もしかしたら、さっちゃんは二宮先輩が好きなんじゃないだろうか?)


 そう思った瞬間、ズキッと胸が痛んだ。

 さっちゃんは、三木先輩と話している二宮先輩を息をひそめて見ていた。

 

 (息をひそめる必要なんかないのに)


 さっちゃんは自分の気持ちを隠そうとして、かえってバレバレになっているのに気がついていない。達哉はさっちゃんを見ていられなくて、二宮先輩と三木先輩に目を戻した。


 (二宮先輩と三木先輩が話していても、全然おかしくはない、けど……)


 二宮先輩は三木先輩が好きなんだ。そうか、だからさっちゃんは息をひそめるようにして、二人を見ているんだ、と気付いた。


 二宮先輩が三木先輩をチラッと眩しそうに見る。楽しそうに笑う。楽譜を指さしながら、自然と近寄ってしまう無意識。二宮先輩が見せる、三木先輩が好きだというサインに、さっちゃんはいちいち傷ついていく。

 達哉にははさっちゃんの胸の傷を、どうする事も出来ない。さっちゃんが傷つくのは二宮先輩が好きだから。だから傷つくさっちゃんを見ると、達哉の胸も痛む。


 (はあ……)


 三木先輩のピアノは音楽の素人の達哉が聞いてもとても上手だ。コーラスについて二宮先輩が相談するのも三木先輩だ。二宮先輩が三木先輩を好きになってもおかしくはない。

 

 (さっちゃん、俺にしときなよ)


 達哉は心の中で、さっちゃんに呼びかけた。

 

  コンクールが近づき、コーラスが出来上がっていくにつれ、部員達も親しくなってきた。昼食後、音楽室に部員達が集まるまでの時間は、早く来た者同士で話しているが、そんな時、一年生男子の達哉はかっこうのサカナにされてしまう。


 「達哉くんはバスケ部と掛け持ちなんだよね? モテそう~!」


 「いや、全然そんなことないですよ。」


 「じゃあバレンタインとかは? 一杯チョコもらったんじゃない?」


 「中学はお菓子は持ち込み禁止だし……」


 「禁止じゃなかったら、一杯もらえたってことか!」


 「いやいや。違いますよ!」


 達哉はあわてて否定した。さっちゃんがいるのに、変なことを言わないでほしい。チラッとさっちゃんを盗み見ると、あははと笑っていた。


 「たっちゃんは昔から素直なんだから、あんまりいじめないであげてよ」


 さっちゃんが助け船を出してくれる。


 「そういえば、さちが最初にバレンタインのチョコあげたのって、達哉くんなんだよね?」


 「えーっ、そうなの?」


 音楽室がざわめく。さっちゃんは困った顔をして、真っ赤になった。

 二宮先輩はにこにこしながら、話を聞いている。


 「今からでも付き合っちゃいなよー」


 からかっているだけなのは、分かっている。だから否定も肯定もしないで、さっちゃんはただ笑ってる。

 でも達哉には分かる。なっちゃんの感じてること。

 二宮先輩に聞かれたくないって思っているんだ。


 「あー、まあ、幼なじみなんで。最初のチョコって言っても、保育園の時で、親がチョコを買って、たっちゃんに渡しなさいって言ってくれたんですよ。

 でも俺は女の子からもらった唯一のチョコだったから、自慢しまくってましたけどね」


 「達哉くん、かわいいー!」


 達哉はうまく矛先を自分に向けることができて、ホッとした。さっちゃんを横目でうかがうと、いつも通りの笑顔に戻っていた。

 

 (さっちゃんが初めてくれたチョコ。本当はさっちゃんがお母さんに、たっちゃんにあげたいと言って、お母さんと一緒に作ったと聞いてる。

 それは俺の……、密かな自慢だったけど、でもいいんだ。さっちゃんの笑顔のためなら)


 それでも自分のついた嘘が本当になってしまいそうで、チクッと胸が痛んだ。


 (この痛みは、さっちゃんの笑顔と引き替えだ)


 さっちゃんを見えないつぶてから守ることができたのは、達哉だけなのだから。達哉はこっそりため息をついた。

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