第96話 ─ 吠え面かけよ偽善者 ─…ある男の独白
「じゃあアマローネ、ちょっとマルゴを借りるぜ」
「珍しいわね、マロニーがお持ち帰りなんて。でも今回だけよ、ウチは売春宿じゃないんだから」
「分かってるよ。おやすみ」
そうアマローネに言って、俺様から主導権を奪ったままの相棒は、マルゴと呼んだウェイトレスを伴って表に出る。彼女の見た目は、黒っぽいブルネットの髪をやり手のキャリアウーマンのように短く切った痩せた女。
後ろで、アマローネの訝しげな声が聞こえた。
「あれ、マロニー……よね? 別人に見えるなんて、アタシどうかしちゃったのかしら」
幸い、外に人通りはほとんど無かった。
店より少し離れてから、俺様は相棒に呼びかける。
──おい、俺様が表に出てないと怪しまれるんじゃなかったのか!?
“ああそうか。そうだったな、すまない”
そうして俺様と交代する相棒。
隣でエスコートしていたマルゴと呼ばれた女は目を見張り、何度か目を
俺様はなだめるように言う。
「あー……ちょっと事情がややこしいんで、説明後回しにさせて貰えねえですか? 大丈夫だから」
ためらいながらも
そして心の中で相棒に詰め寄った。
──この身体、俺が主導権持つんじゃ無かったのか!? あとこの女は誰だ!!
“彼女はマルゴ。同じ組織に所属していた。ちなみにレズビアンだから、粉かけても
──知るか! 俺は主導権の話を……。
“とりあえずアパートに帰ろう。そこで彼女と話がしたい”
「アマローネが……アマレットの義妹!?」
帰宅したアパートの部屋で、素っ頓狂な声をあげる相棒。
“俺様も、アンタがアマレットを知ってるとは思わなかったよ”
俺様はむしろ、相棒とこのマルゴという女がアマレットの同僚だった事に驚いていた。
そしてアマレットとこの女が……カップル? パートナー? なんと言えば良いのか分からないが、結婚が出来るならやっている関係だという事にも。
俺の部屋の椅子に座り、机を占拠しているマルゴは俺様に……相棒に答える。
「ええ。でもアマレットの事をどう切り出したら良いか分からなくて……。そのままあの娘の傍でグズグズしてたら、ね」
「俺に見つかった」
黙って頷くマルゴ。
それを見てそのまま相棒は彼女に続ける。
「ミトラはどうした? まぁ
「やっぱり銃は全く役に立たない。何度も何度もチェックしても、必ず動作不良を起こすのよ。貴方の苦労がようやく身に沁みたわ」
そして彼女は机に座り直して、相棒に話を振った。
「それよりも貴方よ。何なの? 他人の魂を宿らせて他人そのものに成り代わるって。いくら“騎士団”が魔物……悪魔退治を主にしてたからって、オカルトが過ぎるわ」
「単純な変装はミトラに見破られそうだったし、賞金首で指名手配もされてるからな。何より、ミトラに怪しまれずに近寄れる」
「貴方という名前も存在も捨てて?」
「そうだ。今の俺は“騎士団”のベイゼルの
「でもシ──」
「マロニーだ」
「……」
「俺は、マロニーだ。この街の下町で生まれ、父親を知らず、母親にも愛されず、他人に蔑まれながら生きてきた男だ」
「……分かったわ」
そう言ったあと、彼女はしばらく押し黙っていたかと思うと、突然机に突っ伏して頭を抱えて呻めきだした。
涙が机の上に滴り落ちる。
「私は……アマレットの為に、彼女の仇を取る為に、そこまでやる覚悟を持って無かった……。私はアマレットを愛していたつもりだったのに、何も捨てる覚悟を持っていなかった……」
「“自己犠牲だけが愛の証じゃないだろう”」
俺様がそう思考するのと、相棒がそう口にするのは同時だった。
相棒は自嘲気味にマルゴに言う。
「俺はもう弟を……ミトラを消さないと、一歩も先に進めない。そしてその手段を選んでいる余裕が無くなっただけさ」
「私は、アマレットの仇が目の前に居るのに、何も出来ない……。私が目の前に居るのに、そのことにアイツは全く気付いてないのに、私はアイツを殺せない……」
マルゴは頭を振りながら
彼女を知らない俺様は、眺める事しか出来ない。
マルゴは続ける。
「正直、ナイフを持って後ろから刺してやろうと何度もしたわ。でも身体が動かなくなるの。アイツの姿が目に入ると突然、アイツを許さないといけない気持ちが強烈に沸いてくるの!」
「あとは俺に任せろ、とアンタに言ってやりたい所だが、正直言って力を貸して貰わないといけないかもしれん。だけど、今日はとりあえずは寝ぐらに戻れ。コンディションが悪いと、出来るものも出来なくなる」
そしてマルゴを送る為に、彼女を立たせて上着をかけてやる。
マルゴは俺様に……相棒に、皮肉気に笑って言った。
「ふふ、ごめんなさいね。ここで貴方に抱きついて慰めて貰うのが、いわゆる良い女なんでしょうけど」
「ドラマの見過ぎだ。俺の中のマロニーなら喜ぶかもしれんがな」
“俺にも好みってのがあるのを忘れるなよ”
*****
「マロニーさん。今お時間よろしいでしょうか?」
ある夜アマローネの酒場で、バーボンを飲みながらアマローネ自身と会話に花を咲かせていた俺様に、声が掛けられた。
振り返ると、シャーロットの専属ハウスキーパーであるカリラが立っている。
手にはバインダーに挟まれた紙と筆記用具を持ち、あちこちを見ながらこちらを伺っていた。
顔に青痣。またシャーロットに暴力を振るわれたか。
「どうしたカリラ?」
いつものパターンで何となく分かってはいるが、一応俺様は訊ねる。
カリラはおずおずとバインダーを俺様に差し出して言った。
「あの、シャーロット様がこの用紙にサインを五十人書いて貰ってこいと……」
またフェミニスト団体から回ってきた署名活動を、カリラに丸投げか。
男への不平不満を言うのは一人前どころか三人前でも、自分が汗をかくことはとにかく嫌ときた。
俺様は顔をしかめながら用紙を眺める。
ちなみにカリラは文字が読めない。
“『昨今のテレビドラマや映画における女性蔑視表現の是正を求める活動への賛同の署名をお願いします』? こんなモノがどう社会的弱者女性の救済に繋がるんだ?”
用紙のタイトルを見た相棒も呆れている。
だが俺様はカリラに視線を向ける。今にも泣きそうな顔をする、小柄で冴えない、人並みとはいえない顔の女。
俺様と同じく底辺層の女。
俺様は知っている。
こうやってシャーロットのケツ拭きや無理難題を押し付けられては、上手くいかなくて折檻されたりマトモに給金を貰えなかったりするのを。
この見た目では他に雇ってもらえる仕事など無いに等しい。それでも彼女の稼ぎで、病弱な弟を養っていかねばならない事も。
それを理解しているからこそのシャーロットの傲慢、非道。
俺様が彼女を含めて
本当ならこんなモノにサインなどしたくは無い。
だが同じ底辺同士、この後の彼女の苦労を思うと、少しは手を貸してやりたくなる。
カリラは俺様の事を、どう思っているか分からんがな。
“嬢ちゃん、俺の組織でもロクでもない人間だったが、弱い奴相手だと更にロクでも無い事をやってたんだな、救いようがねぇ。シャーロットなんか救うつもりもねぇけど”
そんな相棒の毒突きを無視して、俺様はサインを書いてアマローネに渡し、アマローネもサインしてからカリラに返す。
カリラはホッとした顔で俺様に頭を下げて、礼を言った。
「有難うございますマロニー、アマローネ。シャーロットお嬢様がミトラ様の所から帰るまでに、済ませておかないと駄目だったので助かりました」
──自分は男の所で遊んで良い身分だな。
“ボスに捨てられたから、ミトラか。こないだ彼女を見かけたのは、ミトラの事務所へ行くところだったのか”
カリラには、そんな俺様達の心の呟きが聞こえるはずもない。
そして彼女はこの夕暮れ時から、更に署名を何十人と集めなければならない。
そしてこの街の人々……特に同じ女性が彼女に投げかける視線は、「こんな時間に何やっているんだ
綺麗事を抜かしていても、やっている事はそんなモノだ。俺様が
だけど今の俺様が彼女にやってやれる事は、所詮はサインを書いてやるだけ。
俺様もまた、綺麗事だけを言ってる最低な人間でしかないのだ。
カリラは
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