第95話 ─ 呑ませて下さいもう少し ─…ある男の独白

 マロニーが目の前で倒れて死んでいた。


 後ろ手に縛られて力無く地面に転がり、胸の辺りの地面にマロニーの血が広がっている。


 いや、もう今は俺様が……この身体がマロニーだ。

 古き肉体よさらば。

 ただ、こうして見ているとあの夜の記憶がようやく蘇ってくる。


 俺様自身が提案したんだったか。

 自分は臆病だから、土壇場で暴れる可能性高い。だから縛ってくれと。

 そんで案の定、怯えて暴れちまって相棒が後ろから頭をぶん殴って……。

 ああ、それでこの場所の記憶が曖昧だったのか。


“思い出したか?”


「ああ。こうして改めて俺様の身体が転がっているのを見ると、な。後戻りはもう出来ないんだなって」


“そうか”


 ほぼ乾いているとはいえ、まだ血の匂いが色濃く残る地下空間。

 この広間の隅に積み重なった人間の死体の数々。この街を支配している宗教団体の信者共だ。皆、刀傷がくっきり付いたまま。

 魔物を倒した手際といい、密かにこれをやっていた事といい、相棒は相当な実力者だ。


 ここは、街の外れの再開発地区にある廃ビル。

 リーマンショックが起こる前、サブプライムなんとかってのでステイツがバブルに浮かれている時に、工事を始めた場所だ。

 リーマンショックで不景気になり、途端にここは放置されてしまった。

 そんな場所に宗教団体の本拠地があろうとは。


 そしてこのビルの地下広間の祭壇に飾られているのは、巨大な円筒形の水槽。


「しかし、まさかシャーロットの宗教団体がこんなモノを崇めていたとはな」


“俺も、まさかここまでやってるとは思わなかったよ”


 その水槽の中に入るは、おびただしい数の、赤子や子供の死体……。

 この身体でなかったなら、とっくに吐いてた所だ。


“てっきりシャーロット嬢ちゃんは、フェミニスト系団体を仕切ってるものだとばかり思っていたよ”


「あの女が? いや、確かにフェミニスト差別主義者ではあるか」


 俺様はゆっくりと水槽の周りを回って観察。水槽の中に入ってある防腐剤が鼻につく。


「今までさすがに怖くて近寄れなかったが、噂は本当だったのか」


“噂?”


「……この街は何かおかしい。そう感じたことは無いか? 魔物の件以外でだ」


 俺様は相棒の疑問に一旦答えることなく、別の疑問を投げかける。

 相棒の返答は素早く、明快だった。


“子供が極端に少ない。男も少なめだな”


「ご名答。この街は今や、子供が欲しくない・望まぬ妊娠をしてしまった女達が駆け込む避難所みたいになっているんだ」


“その話だけ聞けば、そう悪いことじゃないように思えるが、違うって事だな”


「アンタもご存知の通り、このステイツでは中絶に強い忌避感を持つ人間が多い。例えレイプでの望まぬ子供だったとしても……だ」


 俺様は水槽に手を当てて見上げる。

 この身体は、以前の俺様より遥かに目と耳が良い。この薄暗い地下の広間でも問題なく活動出来るほどに。


「そこまで切羽詰まってなくても、上昇志向の強い女が上司との不義の子供を作っちまって、仕事の邪魔になるとか。遊ぶ金欲しさに娼婦の真似事して無軌道にヤってたら子供が出来て、周囲にも話せないヤベェってなった女とかな」


 ガラス越しに、一人の赤子の死体の顔を撫でる。

 白く変色した目、真っ黒な土気色の肌。

 俺様は続ける。


「むしろそんな女の方が多い」


“中絶は確かに女の権利だとは思うが……。そこまでいくと権利の濫用に思えてしまうな。俺が男だからなのかもしれないが”


「そして産んではみたが、やっぱり自分の遊ぶ時間が無くなるし、子供は要らんってなった女も……な」


“……なるほど”


 もうすでに得心いってる相棒。さすがに理解が早いな。

 だが構わず俺様は続ける。


「中絶した未熟児が多いだろう。だがそれだけじゃなく、この街のあのフェミニスト団体は産まれた赤子や親に捨てられる子供を、『里親を見つけます』って引き受けるんだ。女の罪悪感を誤魔化す為にな」


“そして引き取られた子供達は、この宗教団体に横流しされる、と。……で、コレが『里親』って訳か”


「そういう事。やらせているのはボスだと思うけどな」


“なるほど、それで昨日の修羅場か”


「うん?」


 突然そう言う相棒。微妙に話の内容が飛んでいる。

 続けて相棒はとんでもない事をさらっと告白する。


“この『里親』見て頭にきたからな。アンタの所に顔を出す前に、他の拠点も潰しちまった”


「はぁあ!?」


 なにその戦闘狂。なんだかんだ言って、かなり理知的な奴かと思っていたのに。

 なんだその胸に七個の傷がある奴が主人公な、日本のマンガの悪役みたいなのは!?

 『力こそ正義、いい時代になった』とか、『マロニ〜暴力はいいぞぅ!』とか言いそうで怖いよ!!


“仲間が……家族が。エヴァンもアイラも居なくなった。殺されたからな。もう『表』に戻る必要も無い。マトモな世界に戻る必要もなくなった。だから……”


 まただ。またあの漆黒の狂気を相棒がまとい始めた。

 俺様は慌てて相棒に言う。


「待て! 待て待て!! 俺様が困る!! 考えて行動してくれないと、今後俺様が非常に困った立場になっちまう! だから、もうちょい自重してくれ!! こええよ!!」


“あ、ああ。そうだな……。済まなかった”


 狂気をおさめる相棒。

 俺様はとりあえず安心してため息。


「……分かってくれりゃ良い。んじゃそろそろ出ようぜ。気が滅入りそうだ」


“シャーロットの組織の拠点は、何かの魔法陣状に配置されていた”


 この場を去ろうとした俺様に、相棒がそう言った。


「うん!?」


“何かを呼び出すタイプだ。その為の団体、でもあったんだろうな、シャーロット嬢ちゃんのは。組織が俺に潰されたから、ボスに用済みにされて捨てられたといった所か”


「他の拠点も含めて、まだ調査続行か。面倒臭え」



*****



 滅入った気分と血の匂いを流し去るには、酒だ。今日こそはバーボンで匂いを書き換えないといけない。

 アマローネの酒場へ行く途中、シャーロットを見かけた。何かを決意した顔でミトラの悪魔退治屋の方へ歩いて行く。

 好都合だ。

 ミトラを気にせずバーボンを楽しむことができる。

 俺様の心はすでに何のバーボンを飲もうか、と飛んでいた。




「つまりはまぁ、結婚なんてのは金持ちと見た目が良い奴の特権的趣味って事だ。女が言う『男』ってのはそういう連中だけを指しているのさ」


「辛辣ねえマロニー。アタシはそもそも結婚なんて興味も無いけどね」


 そうアマローネがフォローめいた事を言ってくれるが、実はほとんど聞こえちゃいない。

 その俺様の相手は内側の相棒。


“うーん、見た目だけ最優先なんてのは男も結構多くないか?”


「だが女は相手さえ選ばなきゃパートナーは出来る。だが上位でない『男』は、相手を選り好みしてなくても、誰からも選ばれない。むしろ嫌われて存在を消されるのさ」


「どうしたの、マロニー? 今日はいつも以上にご機嫌斜めじゃない」


 廃ビルの地下で、『里親』を見たせいだろうか。

 俺様はこの街の“フェミニスト”への、普段の怒りが噴き出ていた。


“……上位でない『男』は誰からも選ばれない、か”


 そんな思考と共に、相棒の故郷の村での記憶が伝わってくる。

 誰からも相手にされず、自分の境遇に文句を言っても相手にされない。

 それどころか、文句を言わせて貰えるだけ有難いと思え、とさえ言われる。

 人間の奴隷を見ろ、と。文句を言う事さえ許されていないぞ、と。

 誰も味方にならない。男も女も老人も子供も。ミトラの世話をしているから、相手してもらっているだけ。母親さえ、父親さえも味方をするのはミトラだけ。


 俺様はその思い出に、自分の母親を重ねていた。重なっていた。

 そして何故か、相棒の父親にこの街のボスの姿が重なる。


──ん?


“まだ確信は持てないって言ったろ”


「あ、ああそうだったな。悪い」


「まあ、そういう時も人間あるわ。今日は一人の方が良いかしら。あっち行ってるわね」


 自分に言われたセリフじゃないのに、気を利かせるアマローネ。

 だが俺様は相棒と頭の中で駄弁り続ける。

 自分の思考が口に出ている事に、気付かぬまま。


「何がフェミニストだ。単に自分達が権力握って好き放題やりたいだけじゃないか」


“フェミニズム思想を勉強してなさそうな人は確かに多そうだな”


「自分が楽して我儘したいために男に理不尽ばっか要求しやがって。そのクセ俺様を馬鹿にしやがる! 何が男女平等だ。何が弱者救済だ!」


“救済する弱者の選別、か。理想と現実の違いは、己の差別心の克服は厳しいよな。でも……ん? あそこに居るのは……”


「綺麗事を言うなら、綺麗事を実現させてみせろ糞が! ……あん? どうした相棒」


 相棒が意識を集中したのは、新入りのウェイトレス。

 化粧っ気が薄い、目立たない女だ。

 今は空いたテーブルを拭いている。

 名前は何と言ったっけ。マーブルだったかマリーゴールドだったか……。

 だが相棒は、身体の主導権を俺様から奪うと、立ち上がってウェイトレスに声をかけた。


「マルゴ!?」



 そうそうマルゴ。うんそんな名前だった。

 ……え!?

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