第1話 “凶行”…偽りのダークヒーロー編
マロニーが目の前で倒れて死んでいた。
後ろ手に縛られて力無く地面に転がり、胸の辺りの地面にマロニーの血が広がっている。
マロニーはどうしようもない男だった。
ちっぽけな手柄に尾ひれを何十枚も付けて、元の話の原型を全くとどめていない武勇伝を、何度も話していた。
他人の手柄を自分の事として、他人に吹聴するのだって珍しくなかった。
女癖も悪かった。あっちこっちの女に粉をかけたり、手を出してはトラブルを起こして、色んな男や女に追いかけ回されていた。
基本的に約束があてにならない男だったし、金にもだらしなかった。他人に金をせびっては、臆面もなく酒を飲んで酔いつぶれていた。
そんなマロニーと気が合ったのは、ミトラの兄とは真逆の性格だったからだろうか。
自分よりも才能が劣るくせに、諦めが悪く無駄な努力を止めない兄。
真面目を絵に描いたような性格だったが、あれほど身の程を知るべきだという存在を、ミトラは知らない。
どんな工夫をしたところで、ミトラに勝てるはずも無いのに必死にあれこれと食い下がる、
そういえば、しばらくその兄の顔を見ていない。
兄がどれだけ努力をしようとも、結局はマロニーと同じくどうしようもない男になるしかない、下らない存在に過ぎないが。
そのマロニーは、確かにどうしようもない男だった。だが“仕事”に関しては、それなりに使える男だった。
何度かピンチを、ミトラはマロニーに救ってもらった事だってあった。
後でその働きの何十倍もの恩をマロニーに着せられ、金や物をせびられたり“仕事”を押し付けられたりしたが。
マロニーはどうしようもない男だったが、さすがに死んでいるのを見て、ミトラは衝撃を受けた。
低位の雑魚悪魔しか相手にできず、自分の手に負えない“仕事”は、すぐに彼に押し付けるマロニーが死ぬとは、どんなドジを踏んだのか。
そうミトラは物思いに
その時突然、背中に何かがぶち当たり、思わずミトラは
「なんだ、やっぱりまだ生きてたのか」
どうやら自分も倒れていたらしい事に、ミトラはようやく気がついた。声をかけてきた相手に背中を蹴り飛ばされたらしい。
顔を何とか声のした方へ向けると、そこにはマロニーが立っていた。
相変わらず人を小馬鹿にしたような笑みを貼り付け、ミトラを見下ろしている。
いや待て、とミトラはすぐに気付く。
マロニーは目の前で死んでいる。ミトラに声を吐き捨てた男は、マロニーとは似ても似つかない。
ミトラは思う。俺はいつからコイツがマロニーだと思っていた!?
ミトラは思い出す。そう、マロニーはそもそも、もっと皆に嫌われていた、と。
顔立ちがさほど良くない、背の低いマロニーは、女達に徹底的に敬遠されていたし、男達には見下され
笑い方も、小馬鹿にする笑いよりも、卑屈な、へつらう笑い方がほとんどだった。
目の前の男は、背丈もそれなりに有るし顔立ちもかなり整っている。
この男に言い寄られて悪い気がする女は少ないはずだ。
コイツは……。
そこでようやくミトラは、目の前に立つ男の正体に思い至った。その正体に驚愕し、目を見開いて、絞り出すように呟く。
なぜ今まで自分は分からなかったのだろう!?
「兄……貴……!?」
それは彼の、ミトラの、血を分けた肉親。この世界にたった一人の、何年も行方知れずだったはずの兄の姿。
しかし相手は何の感慨も感じていないように、まるで独りごちるかのように語った。
「ふむ。弟のオマエにも、今の今まで見破れなかった。幻術とは、やはり使えるモノなんだな」
と、マロニーだったミトラの兄は、ミトラの愛用の退魔の剣を手に持ち、油断無くミトラを見下ろす。
──幻術だって!? 馬鹿な、あり得ない!
ミトラは信じられない思いで兄を見やる。
なぜなら、兄は……。
そしてミトラは、自分自身もまた「本物の」マロニー同様に、後ろ手に縛られていた事に気がつく。
目の前の状況に混乱しているミトラは、何とか周囲に目をやって、ここが何処なのか少しでも情報を得ようとする。
地下教会の礼拝場……か? いや、これは……この感じは……。
「悪魔崇拝の狂信者が使っていた地下の教会だ」
ミトラの視線に気がついた相手がそう呟く。
「以前にオレが“掃除”しておいた。勿論タダでだ。今日この日の為に準備しなけりゃならなかったからな」
ミトラの兄である男は呟き続ける。
ミトラは黙って相手が喋るに任せようと思った。向こうから情報を与えてくれるのだから丁度いい。
しかしそれも相手には承知の上だったようだ。やがてすぐに兄は、ポケットからスマートフォンを取り出し時間を確認した。
「そろそろ時間だな。行くか」
そう言って兄は、剣を鞘にしまう。そしてミトラの襟首を掴むと、ズルズルとミトラを引きずって何処かに運び始めた。
身体を引き起こされた事で視点が高くなり、周りの様子が一気に目に入る。
それなりの広さの薄暗い空間に、恐らく血で描かれたであろう、部屋いっぱいに広がった巨大な魔法陣。
二重に描かれた円の内側に頂点が接するように星型が描かれ、その星型の頂点部には……。
「あ……アマローネ!? カリラ! それに皆も……!」
そう、マロニーも含めて、ミトラと関わりの深い人間が頂点部分に倒れていた。
殺されて血を流して死んでいた。
そして魔法陣の中心には。
「シャーロットぉぉぉっっっ!!」
ミトラの現在の『パートナー』である女性が倒れていた。
僧服に身を包んだ
それこそマロニーとは比べるべくも無い程に。
そんな彼女から、近いうちに退魔師から引退する、と打ち明けられたのは昨日の事だ。
もう清らかな身体ではなくなったからだという。
それに何より……。
『お腹の子供の為にも……ね。“仕事”からは距離を置きたいの』
そう“父親”に告白したのだ。
ミトラがその突然の告白に、彼女から、この街から逃げ出そうかと算段しているうちに……の今日だった。
「まだ生きてるよ。一応な」
言われてミトラは、慌てて横たわる女性を見直す。確かに血の気は無いが、微かに身体が息をする動きをしている。
「だがすぐにこれから俺が殺す。腹のガキも当然一緒だ」
それを聞いて、ミトラは思わず兄の手を振り払って体当たりを仕掛ける。彼女から逃げ出そうと考えたにも関わらず。
しかしすぐに兄に銃で撃たれて、両膝を砕かれた。兄の手にはマロニーが使っていた退魔用の拳銃が握られている。
膝を砕かれたミトラは、今度こそ力なく地面に倒れ込んだ。
だがミトラはまだ諦めない。奥の手である、彼に付き従う炎の“精霊”に攻撃を命じた。
「アイラ! コイツを焼き尽くせ!!」
だがしかし、何事も起こらなかった。
“精霊”がミトラの命令を拒んでいるのではない。そもそも“精霊”の存在が感じられなかった。
「無駄だ。もう浄化しておいたからな。アイラはもうお前の呪縛から解放された」
今度こそミトラは、驚愕に目を見開き兄を見つめる。
何故だ! 何故無能なコイツにいいようにやられるんだ!?
「黙って見てろ、クズのミトラ。もうこの退魔の剣は、お前に近しい者の血を吸って『堕落』した。あとは残り一人」
そう言って兄は、再びミトラの退魔剣を鞘から抜き放って彼女に歩み寄る。
もはやミトラは憤怒の表情で男を睨みつけるしか無い。
兄は彼女の
「やはり便利なものだな、コイツは」
「やめろ」
「これでこの剣に、究極の混沌の力……『嵐を
「やめろ!」
「殺すだけにとどまらず、魂までも
「やめろ!!」
兄は剣を逆手に持って大きく振り上げる。
スマホから流れていた呪文が終わる。
「やめろおおおおぉぉぉ!!!!」
兄は躊躇なく、淀みなく、滑らかに剣を振り下ろす。
そして彼女に剣を刺してしばらく後、兄はゆっくりと剣を抜いた。
「……成功だ。はははは! 見ろ!!」
兄は、ミトラが生まれてこのかた、見たこともないような狂気を纏った表情で振り返り、手に持った剣をミトラに見せる。
兄の目尻には微かな涙。
こんな表情を見せる兄なんて初めてだ⁉︎
ミトラの剣は真っ黒に変質していた。
禍々しいオーラが剣から漂い、思わずミトラは息を飲む。剣はその身を震わせると、まるで唸り声のような音を立てた。
信じられなかった。ありえない光景だった。
魔力を持たぬ兄が、幻術など、召喚魔法など出来る筈がないのだ!
兄は唸る刃を持つ『堕落』した退魔剣を持ったまま、弟のミトラを思い切り蹴飛ばした。その勢いでミトラの身体を転がし、仰向けにさせる。
「許さねえ」
ミトラは兄を睨みつける。
シャーロットを失ったことなど、どうでも良かった。
ただ、
だが兄は、ミトラの胸を自分の足で踏みつけて抑え、話し始めた。
「ふん、あの嬢ちゃんの……いや、殺したアイツ等の“素顔”を何も知らずに馬鹿な男だ、ミトラ……。お前は、アイツ等を上手く利用していたつもりだったんだろうけどな」
そして兄は小声で付け加えた。
「アマローネ、カリラ、マルゴ、マロニー。アンタ達の犠牲は無駄にはしない」
しかしミトラはそれには気付かず憎々しげに叫ぶ。
「そもそもテメエのせいで故郷の村は滅んじまったんだぞ! しかもシャーロットまで……!」
何故こんなゴミカスのような兄に、兄の思い通りに踊らされなければならない!?
だがその言葉は兄の態度を一変させた。相手は初めて感情を剥き出しにした。
「お前ごときが……。一丁前に被害者面してるんじゃねえぞミトラ! 今までお前がやってきたことを思い知らせてやる。お前の悪運が入り込む余地など無いように殺してやる!」
そして兄は、剣を一気にミトラの胸に押し込み貫いた。ミトラの心臓は黒剣に無慈悲に切り裂かれ破壊される。
ミトラは死の絶叫をあげた。
兄が叫ぶ。
何かを振り切るように。何かをかなぐり捨てるように。
「お前を確実に始末するには! 魂レベルで消し去らないとダメなんだよ!
お前を裁くには! 俺も手を汚さなければならないのなら! 腹を括ってやる! 覚悟を決めてやる!」
兄が剣を捻って抉ると、ミトラのあげる絶叫の声質が変わった。恐怖と絶望が叫びに混じったからだ。
「思い知れ! 貴様がしでかした数々の事を! 欲望のままに犯し続けてきた罪を!」
兄もミトラに、自分の弟に負けじとばかりに声を張り上げて叫んだ。
ミトラは、あまりの恐怖とあまりの絶望に、目から涙を流し始める。
命が失われるだけではない。自らの全存在が、根こそぎ刺さった剣に奪い取られる感覚。生まれ変わりすらも望めない絶望感。
ミトラの耳に、それまでとは打って変わって静かに呟く兄の声が届いた。
ヒトが、こんな声を出す事が出来るのかと思わせるほどの寂寥感、虚無感を孕む声。
「パンチェッタ。リッシュさん。アイラ。エヴァン。……フェット…………フェットチーネ。ああ……フェット……フェット……。
……みんな、きっと止めたんだろうな。でも、もうこうするしかなかったんだ……」
兄は左手に剣を握ったまま、マロニーの拳銃を片手でゆっくりと取り出すと、弟ミトラの額に狙いを定めた。
そして深呼吸をひとつすると気持ちを落ち着かせる。
「ふう……。さすがに大丈夫だとは思うが、念には念を入れさせてもらうぞ」
そしてセイフティを外すと、トリガーに力を込めて握りしめた。
乾いた破裂音が轟く。
「アイラの分だ」
再び乾いた破裂音。
「これはエヴァンの分」
そしてまたも破裂音。
「リッシュさんこそが“主人公”にふさわしかった。お前などよりも」
兄はトリガーを引くのを止めない。
頭を砕き切ると今度は胸に弾を撃ちこむ。
「カリラの無念はむしろシャーロット嬢ちゃんにだが、相方のお前が受けろ」
そうして次々と何者かの名を呟きながら、兄は銃を撃っていく。
そうして砕かれた弟の頭を眺めて、兄が呟いた。
「これで……これでようやく俺は、自分の人生を始める事が出来る。例えマイナスからの出発だとしても、今まではスタート地点にすら立てなかったのだから」
そう呟いた兄が、ひどく疲れたように見えたのは何故だったのだろうか。
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