第6話 指し手
エルドの寝室を後にし、ディズはザラスと二人で城内を移動していた。
敷かれた絨毯を踏みしめる音が、廊下の静けさを紛らわせていた。
「さっきも言ってましたけど……『結界』が弱まったって、本当ですか?」
出し抜けにディズが隣を歩くザラスへ問いかける。その質問に、ザラスは頷き返しはするものの、すぐには口を開かなかった。
「『結界』は目に見えるものじゃないので、実際どうかは私にも断言はできません。しかし、闇の気配が近づいていたことは微かにですが感じ取れました」
ディズにはザラスの言う闇の気配というものがどういうものなのかは理解できてはいなかったものの、魔の存在を遠ざける『結界』が弱まったのではないかという推測の理由になることは分かった。
「『結晶体』には何か変化はなかったんですか?」
「驚くべきことに、何もなかったようです。見張り番の二人もいつも通りカードをしていたと白状してくれました。……ところで、君はその時何を? 何も感じなかったんですか?」
「いえ、特には……。いつも通り訓練してました。ただ、相手がいつになく恐ろしい人でしたけど……」
「あぁ……フフ。騎士長自らが実演なんて、ずいぶん久しぶりですね。てっきり肩が上がらなくなってきているのを隠すために、もうジョッキ以外は握らないのかと思ってました」
冗談を交えて話しながら、二人は階段を降りていた。そして、地上階に通じる地点に着いたところで、ディズは足を止めた。ここからさらに下に降りれば、ザラスや他の魔術師たちの研究室がある地下階にたどり着く。ザラスは地下、ディズはこのまま地上階を抜けて兵舎へと戻るため、ここが分かれ道だった。
「ディズ」
いつもそうするように、軽く挨拶をして別れてから、ザラスがディズを呼び止めた。
「? なんですか?」
「……いえ、失礼。何を言うか忘れてしまいました。また明日にします」
「そうですか……それでは、また」
この時ディズは、飾らずに言うなれば『嘘だ』と思った。ザラスは考えてから喋る類の人間だし、なによりその表情にはどこか迷いのようなものが見て取れた。それでも、ディズにとってはそれはあまり問題ではなかった。彼にはもっと気にするべき大きな問題があったからだった。
そしてそれは、間もなく決断を迫ってくる。無慈悲な海の嵐のように、ディズを待ってはくれなかった。
それから数日後。空模様は晴れ晴れと美しく、平和を謳歌していた。
城内のある一室、そこは執務室として用いられている部屋だった。普段立ち入ることのないこの小部屋を前にして、ディズは緊張と若干の好奇心でそわそわとしていた。
目の前の扉の向こうから、話し合うような複数の声が聞こえてきていた。彼はここまでで二度、ノックをしようとしかけたが、話し声が聞こえる度に遠慮の心からか機会を逸してしまっていた。
しかし、呼び出されていたことも事実だったため、少しの間話し声が途切れたところを見計らって、ノックをしてから扉を開いた。
「おぉ、ディズ」
最初に声をかけたのは、ザラスとエルド、そして政務官に囲まれて座っていた人物だった。
「ロッド王」
足早に近付くと、ディズは王と呼んだ老人へと一礼した。
「寝坊か? 遅かったなディズ」
エルドが軽口をたたく。すでに調子は回復し、一人で出歩けるまでになっていた。
「俺にこの顔触れで遅刻する度胸があると思う?」
「確かに。ないな」
「先に別件の話がありましたから、ディズには遅れてきてもらったんですよ」
王の御前ですよ、とザラスが少し笑みを浮かべながら二人をたしなめる。
「よい。気にするべくもない。友とは何にも優るものだからな」
二人の様子に微笑みを湛えて静観していたロッドが立ち上がりながら言った。そして、言葉には出していないものの、二人に刺すような視線を送っていた政務官に席を外すよう言った、
「では件の配置決定についてはまた後ほど」
政務官はそう言って一礼し、ディズの脇を通って部屋を出て行った。その時、ディズは何かの違和感を覚えた。彼がそれについて意識を傾けかけた時、エルドがそれを遮ってしまった。
「ディズ。お前はどう思う?」
「ん? どうって何が?」
「今話してたことなんだけどさ。派遣する兵士を誰にするかって」
これまでされたことの無い類の話題だったこともあって、ディズにはさっぱり話が見えていなかった。ザラスがロッドに一度だけ視線を送ると、ロッドはそれに気付いてゆっくりと頷き返した。どうやら許可を求めたようだった。
「この話のために呼んだのではないですが……ちょうど異なる視点からの意見が必要ということにしておきましょうか」
ザラスが眼鏡を直して、囲んだ机の上にある地図を指差した。それはこの王都近辺の縮図だった。そして彼が指差していたのは、徒歩で半日ほどの距離にあるポリムという小さな農村がある地点だった。
「近頃、このポリムに襲撃をしかけている盗賊団が居るそうでして。これの対処のために部隊を編成し派遣する予定なのですが、隊長を誰にするかを決めあぐねているんですよ」
「……それで、その人選についてを僕に?」
「ええ。といっても、候補は居るのでそこから選んでくれればいいだけです」
エルドが指を一本立てて、候補についてを語りだした。
「第一候補としては、ランサだ。お前も一緒に訓練したことあるだろうが、知っての通り、馬術・槍術に優れた優秀なヤツだな。ちと扱いづらい男ではあるが……まぁ用心棒には適してる」
二本目の指を立てて続きを話そうとしたエルドが、少し苦い顔をしていた。
「二人目には……俺はあんまり気が進まないが、パリンだ」
パリン、その名前を聞いてエルドが気が進まないという理由が分かった。
「率直に言って、腕前はランサに遠く及ばない……賊の相手に抜擢するには不安がある」
エルドは明らかにパリンが候補に挙がったことに不服な様子だった。それはディズにもよく分かることだった。彼はいわゆる機敏なタイプではなかった。訓練は真面目に取り組むが、それ以上はないし、言うこともよく聞くが、意見を求められると考えこんでしまう、そういう青年だった。
「そう言うな、エルド。パリンとて日々研鑽に励んでいるよい騎士ではないか」
否定的なエルドに対し、ロッドはそれを諫めるように言った。さらに、そこにザラスが付け加えるように続いた。
「それに彼の最も重要な武器として、ポリム出身であるということは見逃せません。祖国や故郷のために奮闘する者の強さ、エルドも知らぬ訳ではないでしょう」
「まぁ、そうですが……」
歯切れの悪い返事をするエルドだったが、反論は出てこなかった。ここまで、黙って話を聞いていたディズだったが、彼は考えた末に結論を出していた。しかしその前に、聞いておきたいことがひとつあった。
「ところで、皆さんはどっちに?」
「当然ランサが指揮を執るべきだと思ったし、ランサだ」
エルドからは予想通りの返答がきた。それに頷き返してから、ザラスとロッドの方へ順番に視線を送った。
「私はパリンを選びました」
さきほどの擁護意見もそうだったが、賢者というものは、感情といった不確かな要素よりも理論や実績といった実利的な部分を優先すると思っていただけにディズとしてはそれは意外な選択だった。
「私は選ばなかった」
ロッドからの返答にディズは少し驚いた。
「どうしてですか?」
「王である私が選べば、みなそれでよいと言うだろう。だから、私が意見を述べるのは最後だ」
なるほど、と得心したところで、エルドが答えは決まったかと尋ねてきた。
「僕は……ランサがいいと思う。勤勉とは言えないけど、村を守るには戦いに長けた彼の方がいいはず」
「やっぱりな! ディズもそう考えるって思ってたぜ」
エルドは嬉しそうにディズの肩を叩いた。それは病み上がりとは思えないほどの力強いものだった。だが、その力強さでエルドが回復したことを実感できて、ディズも自然に笑みを浮かべてしまっていた。
「フ、では後で政務官にそのように伝えるとしよう」
ロッドが取りまとめ、広げられていた地図を丸めて机上の隅へと片付けた。
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