第5話 不和を運ぶ存在
エルドの帰還から数日が経った。数十名居た征伐隊の内、都に戻ってこれたのがエルドだけだった事実は、人々に混乱や悲しみ、憤りといった複雑な感情を沸き上がらせた。
そんな折、ディズはある一室を訪ねていた。一時的にエルドの寝室として開放されていた部屋だった。そこは城門からは遠く、城下町から発せられる雑音の届かない場所だった。
夜風のように静かに寝息を立てるエルドを背に、ディズはそこから中庭を見下ろしていた。庭師たちが草花の手入れをしているところだった。
「ディズ」
不意に声をかけられたディズが顧みると、エルドがいつの間にか目を覚ましていたようだった。
「エル。具合は?」
ベッドの傍の椅子にかけながら、ディズが心配そうな顔をする。
「ああ。頭がまだぼーっとする……まあ、悪くない……。起き上がるのはまだやめておけって、医者に釘刺されたがな」
「そっか……けど久しぶりに休めるし、いいんじゃない?」
弱々しくも笑顔で受け答えをするエルドの様子に、ディズは自然と表情を綻ばせた。
「寝たきりでか? これじゃ体が鈍っちまう。だがまぁ、さっき動いた限りじゃ鍛錬は無理そうだったな」
少し残念そうにエルドが笑う。体を揺らす度、時折痛みに目元を歪ませていたのに、ディズも気付いていた。
しばしの沈黙があったものの、ディズの表情からして言わんとしていることを察したエルドは、ゆっくりと上体を起こし、傍らの机上の籠の中の果物に手を伸ばした。
「……どれぐらい経ってる?」
ふとディズが口を開いた。
「……『温床』に向かってここを発ってから、四日だね。医者はもう二、三日眠りこけるだろうって言ってたのに、それからまだ一日しか経ってないよ」
そう言ったディズの言葉に、エルドはハッとした表情でディズを見ていた。
「隊の他のみんなは……クランツたちは帰ってきてるのか?」
ディズはその問いにすぐには答えなかった。というより、答えられなかった。
「いや、まだ……。けど、エルを連れてきてくれた商人の証言を元に、捜索隊が探しに行ってるよ」
「……俺も行く」
果物を籠に戻しながら、エルドはベットから立ち上がろうとした。言葉に反して、動きがまだぎこちないエルドをディズが慌てて止めた。
「エル、休んでなきゃダメだ。そんな状態で──」
「ディズ。行かせてくれ。俺の部下で……仲間なんだ。俺が探しに行かないと……」
抑えつけられたディズの手をエルドが掴むが、まるで赤子が握り返すかのように力が込められていなかった。体調や言動、見かけ上からは分からなかったが、まだ本調子でないことは明らかだった。
「ディズの言う通りですよ、エルド。今の君が捜索隊に加わっても、皆の足手まといになるだけでしょう」
突然かけられた言葉に驚きながら、二人が扉の方に目を向けると、ちょうどザラスが後ろ手に扉を閉めていたところだった。
「君がそう言うと思ったから、カーライル騎士長が自ら捜索隊を編成して行ったんでしょうね」
優し気に笑みを浮かべながら、ザラスは日差しを背にして窓辺に立った。
しかし、表情とは裏腹にエルドへの言葉は厳しいものだった。ディズは、率直に『言い過ぎだ』と感じた──とはいえ、春の小川のように優しい言葉などでは、エルドの内に燃え盛る激情を鎮められないことは言うべくもなかった。ディズは開きかけた口を噤んで、賢者の次の言葉を待つことにした。
当のエルドも、返す言葉無く悔しそうに歯噛みするしかない様子だった。
「それに、この件はそう単純な話はありませんから」
縁に背もたれながら、ザラスは続けた。
「? どういうことですか?」
ディズが思ったままに問いかける。
「……エルドの報告内容ももちろんですが、不可解なことが多いんですよ。それこそ、カーライル騎士長が情報を持ち帰ったとしても、全てが詳らかにはならない程に」
その不穏な言葉にエルドは表情を硬くしたまま、ベッドに居直った。
「賢者ザラスといえども、分からないこともあるということですか」
「ええ、もちろん……読書は世界を広げるが、しかし同時に視界を狭めるものです。おかげで、外の出来事に疎くなりがちです」
エルドの棘のある言葉にも、ザラスはあっさりと笑顔で応じた。それから、三本の指を立てて話を続けだした。
「三つ。分からないことがあります。一つは遠征隊の他の者の行方。次に、消えた商人の行方。そして……なぜ『女神の結界』内で襲撃を受けたのか」
ザラスは近くの椅子に腰かけながら、ふいと指を振った。すると、少し離れたところにあった椅子が滑るようにディズのところまでやってきたのだった。座れ、ということだろう、ディズは何も言わずにその椅子に腰かけた。
「順を追いましょう。まず、遠征隊のことについては、現地に赴いた捜索隊の報告を待つ他ありません」
「クソっ。クランツ……みんな……」
エルドが拳を震えるほど握りしめていた。
「……次に消えた商人についてですが……エルド、君は彼について何も覚えていませんか?」
「怪物どもと戦った後、気を失って……目が覚めたらこのベッドの上でした。どうやってここに来たのかすら」
思い出すように話し、エルドは首を横に振って答えた。
「最初に宿に運び込まれた時は本当にひどい状態だったらしいからね。全身血なまぐさくて、呼吸も浅くて途切れ途切れだったって……」
衛兵に聞いたよ、と付け加えながらディズが言った。
「……」
エルドはその言葉に、何か考えるふうに俯いて沈黙していた。
一瞬の沈黙の後、ザラスが再び口を開いた。
「それで、エルドをここまで運んできた商人ですが……町の入口の衛兵が商人から話を聞き、急いでエルドを宿に運んだ後に戻った時には、商人は居なくなっていたそうです」
「居なくなった? 謝礼ももらわずに? ……商人にしてはおかしいな」
「でも、もしかしたら何か急ぎの用事があったのかも」
エルド、ディズが口々に言った。
「もちろん。その可能性も考えられますね。或いは名も無きの英雄を志した識者という可能性もありますよ。いずれにせよ、恩人であり手がかりな訳ですからね。追跡はしました」
「けど、見つからなかったんですね」
「残念ながら。荷馬車の車輪の痕跡が残っていたのでそれを追ってみたところ、『荷馬車だけは』見つかりました」
かけていた眼鏡を上げなおしていたザラスに、ディズは続きを促すように問いかける。
「荷馬車はどこで見つかったんです?」
「なんと孤児院に寄付されていました。積んでいた荷物ごとです」
「全くもって賛辞を贈る他ないな。疑う余地もない善意の行いってやつだ」
寝転がりながら、エルドが投げやりに鼻で笑い飛ばしていた。それにザラスも同意を示すように口の端を吊り上げて笑みを浮かべていた。
「その『善意の行い』は往来の激しい市場近くで行われたそうです。証言された場所に行きましたが、足跡を追うことはできませんでした」
「あの日は確か出土品の売り出しがありましたから、見物に来る人も多かったでしょうしね」
ディズが付け加える。
「なんと、出土品市ですか。そんなものが……」
「ザラス様もしかしてご存じありませんでしたか? 好きそうなのに」
「……やはり、篭りきりではダメですね。これからは昼にも散歩することにします」
残念そうにため息をつくザラスが、失礼、と詫びを入れてから続けた。
「話が逸れましたね。その行商人ですが、衛兵に話を聞いた限りでも、身なりは豊かそうだったという印象しか受けなかったそうです。目立ちそうなものですが、それらしい人物も見当たりませんでした」
いったい何者なんだろう、ディズは眉をしかめて考え込むが、見当もつかなかった。エルドの方を見ても、思考していたようだが、同じく答えにたどり着きはしなかったようだった。
「……私は単純に、彼は商人ではなかったのではないか、と考えています」
「つまり?」
エルドが回りくどく、もったいぶるザラスに先を促す。
「身分を偽ってここに訪れる必要があった者、間者。あるいは、もっと厄介な存在といったところでしょうか」
「? 待ってください。仮にそうだとして……なんでエルドを……あ、そうか」
異を唱えかけたディズだったが、当時の状況を振り返り思い出す内にある一つの答えに行き着いた。
「商人が入りたかったのは城下町じゃなかったのか」
ディズはこう考えた。この王都に侵入すること自体はそう難しくはない。『女神の結界』に守られたこの地には、魔族をはじめ、悪しき存在は近づくことができない。さらに、遠方からの難民、一儲けしようと夢見る商人たち、徴兵した人々や傭兵など大勢が毎日訪れ門をくぐる。だから、見るからに不審な人物でもなければ衛兵も大抵の人を素通りさせる。つまり、王都に足を踏み入れるだけなら、商人を偽る必要はない。まして路地裏の盗人の視線を集める程に驕奢な服装をする必要も。
ではなぜそんな恰好をしたのか? 本当の金持ち商人でないとすれば、それはつまり、豪商の箔をつけるためだろう。驕奢な身なりに、ふてぶてしい態度を崩さずに強気に出れば、一回の兵士は狼狽える。そしてよくある『間違った現場の判断』をしてしまう──仮に誤った判断をしなくても、懐に友好の証をいくらか忍ばせられてしまえば──とにかく、あの時はエルドの事でみんな手一杯だった。
「俺は隠れ蓑に使われたってことかよ。ったく」
エルドが呆れて吐き捨てる一方で、ザラスは表情を引き締めながら言った。
「私もそう考えたんですよ、ディズ。そして、その何者かはエルドをここへ移す騒動に紛れ、城内へと侵入しているでしょう――」
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