第4話 目付けもの

「ふむ……おかしいな」

 森の中の拓かれた道を馬車に乗って進む商人が呟いた。豊かな髭を一撫でし、驕奢な衣服についた葉っぱを軽く払う。

「『何も』居ない」

 情報では今日この森の『温床』を潰すために王国兵たちが遠征に来てるはず……もう戦いは終わっているにしても、動物の一匹も居ないとは……。

 馬車を引く馬を見ても、特に変わった様子はなく、今まで通りに歩を進めていた。

「うーむ……お前が特別鈍感な馬でもなければ、少なくとも脅威は無い、ってことかね」

 そうして、様子を不思議に思いつつもしばらく進んでいくと、道端に何かが転がっているのを見つけた。

「……? なんだ? 動物の死体か?」

 商人は何かを注視しながら、少し馬の歩みを緩やかにした。遠くから見た塊のような何かは、どこを見ても真っ赤だった。しかし近付くにつれ、ところどころに微かに光沢が見てとれた。

「……………! 待て、止まれ、どうどう!」

 それが何であるかが理解できた瞬間、商人は慌てふためいた。馬車が止まるやいなや、御者台から飛び降り、ゆっくりとそれに近づいていった。

「こりゃあ……すごいな。……とんでもない血の量だ」

 ぴくりとも動かずに道端に転がっていたのは鎧だった。全身鎧が隅々に至るまで赤く染め上げられていた。血の臭いがなければ、はじめから赤色に塗られたものであると思ってしまうほどだった。

「……う……」

「!?」

 商人がしげしげと鎧を見ていると、それは僅かに身動ぎし、あろうことかうめき声を上げた。商人は心臓を引っ掴まれたように体を硬直させ驚いた。

「なんてこった……! まさかまだ息が……?」

 商人は息を呑んだ。

 ……確かにざっと見ても全身は血塗れだが、鎧自体の損傷はあまり無い。血もほとんどが返り血なんだろう。しかし……。

 夥しいまでの返り血の量、凄絶な戦いであることは容易に想像できた。恐らくこの人物は例の遠征にきた王国兵なのだろう、と商人は当たりをつけた。

「この先に村があったはず……とにかく、息があるならそこに運び込まなければ」

 商人は大慌てで血塗れの兵士を馬車の方へと引きずりはじめた。しかしこれまでにないほどの重さに心底苦戦を強いられたのだった。

「くそっ。重すぎて持ち上げるのは無理だな……仕方ない、鎧は諦めるか……。いや……」



 男は日の差し込まない薄暗な部屋で、揺らめく炎の暖かな光を頼りに本をなぞり、静かに読んでいた。

 しばらくすると、遠くからどたどたと尋常ではない急ぎ様を想像させるような足音が聞こえてきた。それから少しの間もなく、何かが何度も何度も絶え間なく扉を叩きつけた。

「ザラス様! 起きてくださいザラス様!」

 大声が扉の向こうから呼びかけてくる。

 ザラスと呼ばれた男は、机上に開いた分厚い書物に視線を落としたまま、曇ったガラスをなぞるように指をつと宙に走らせた。

「ザラスさ──うわああぁ!」

 扉がひとりでに開くと、外套を着た青年が部屋の中へと転がり込んできた。

「なんです騒々しい」

「……す、すみません。でもザラスさま……いきなり開けないでください」

 転んだ拍子にずれた眼鏡を直しつつ、青年は気のよさそうな顔を努めて真剣そうに引き締めた。

「えと、報告です。征伐隊が先ほど帰還なさいました」

「ほう」

 紙上を走っていた目をぴたりと止め、ザラスは顔を上げた。

「予想よりも少し遅れたお帰りですね。今は王に帰還のご報告を?」

 ザラスの問いに、青年は少し居心地悪そうに首を横に振った。

「それが、隊長のエルド様しかお帰りにならなかったようで……」

「エルドだけ? どういうことです。征伐隊の他の者は?」

「あぁ、詳しいことはまだ……。エルド様も意識が無いようでして……商人が森でエルド様が倒れているのを見つけたそうで。城下の宿屋に運び込まれたそうです」

「城下の……『朽ちぬ止まり木』か。すぐに向かいます。馬車の準備を。それと医者を招聘しておきなさい」

 分厚い本を閉じると、ザラスは弾かれたように機敏に動き出した。急ぎ足で青年を避けると、そのまま真っ直ぐ部屋を出て行ってしまった。

「馬車の準備はとっくに……あっ、ザラス様! ローブお忘れですよぉー!」

 青年は近くの椅子にかけられていた外套を引っ掴み、来た時よりもさらに慌ただしく部屋を後にした。




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