第3話 孤軍


 もうどれだけ剣を振るっただろうか。休む間も与えずに敵は次々に襲いかかってくる。狼のような鋭い爪をクランツの剣で受け流し、人の形を歪に模したような姿をした魔族の胸に刃を突き立てる。剣を引き抜くそのままに、近くに居た別の魔族を切り裂く。倒しても倒してもきりがなかった。

 連戦に次ぐ連戦、絶え間ない襲撃にエルドの体力は尽きかけていた。周囲には獣や人間の姿形を真似た異形たちの亡骸が転がっていた。

 鎧は余すところなく血塗られ、傷や汚れと混じって元の光沢はとっくに失われていた。

 度重なる負傷、連続での戦闘からくる疲労に、時折意識を失いかけつつも、未だ戦い続けるエルドだったが、その瞳に残る闘志は光を失ってはいなかった。刃こぼれが目立ちはじめた剣を地面に突き立てて支えにし、大きく肩で息をしながら周囲を見回した。

「もう……少し……か……」

 視界を埋め尽くさんとばかりに蠢いていた、エルドを包囲する魔族の波にもいくらか隙間が出来はじめていた。

 朦朧としていく意識。手放しかけたものの、なんとか奮い立たせながら、エルドは再び迫りくる敵へと視線を戻した。

「少しは……休ませろ……」

 正面に居たエルドの身の丈よりも二倍はあろうかという大きな魔族がエルド目掛けて前進してくる。岩のように大きな巨躯を揺らし勢い任せに突撃をしかけてきた。

 エルドはそれを寸でのところで飛び退いて躱したが、体勢を崩して地面を転がった。そして転がり込んだ先に居た別の魔族が、好機とばかりに両腕を組んで鉄槌の如く振り下ろした。

「ッ──!」

 考えるよりも先に体が本能に突き動かされた。

 叩き潰さんと迫っていた魔族の拳を左手の剣で貫き、上半身を起こしながら右の剣を敵の眉間に突き刺した。血を吹き出しながら短い断末魔を上げる魔族。それに構わず、エルドは素早く起き上がりつつ、状況を把握するために周囲に目を走らせた。見ると、岩のように大きな魔族が再び突進をしかけてきていた。低い唸り声を上げながら地を揺らす脅威の前に、エルドには思考する猶予などなかった。

 勘や経験でもなく、反射。生き物に備わった本能とも言うべきもので、無意識的に、無我夢中でエルドは動いていた。

 剣を突き刺したままの敵の死体を全身を使って突進してくる魔族に向かって投げつける。山に向かって石を投げつけるようなものではあるが、巨大な魔族は視界を奪うように飛来した死体を払いのけるために一瞬足を止めた。そしてその一瞬こそがエルドの求めたものだった。

 足を止めた巨大な魔族の肩口に逆手に持った右の剣を突き立て、膝を踏み台として力いっぱい蹴りつける。そして、エルドは一気に巨体を駆け上がった。

「ふッ!」

 馬に跨るように首に跨ったエルドを、魔族は狂ったように暴れて振り落とそうとする。さらにエルドを叩き落とすべく、巨木と見紛う大きな腕を振るった。エルドは冷静に対処する。剣で腕を斬り払いのけてみせたのだった。だが、岩のような見た目通りに硬い皮膚との衝突、そして度重なるダメージに、ついにクランツから預かった剣が折れてしまった。刃先は彼方へと飛んで行った。

「──えぇい!」

 折れた剣を魔族の頭へと突き刺す。赤黒い血が短く噴き出した。巨大な魔族は痛みに悶え叫び声を上げて暴れながら倒れこむ。周囲に居た他の敵がそれに巻き込まれて蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑っていた。

「うおおぉ!」

 振り落とされないようにしがみついていたエルドは肩に刺さったままの剣を引き抜き、とどめの一撃として巨大な魔族の首筋を刺し貫いた。

 地鳴りにも似た断末魔を上げて、最後の力を振り絞る魔族だったが、エルドが掻き切るように剣を力いっぱい捻ると、魔族はついに息絶えた。膝から頽れて倒れていく中で、エルドはそれに巻き込まれまいと残った体力を振り絞って前方に身を投げ出した。

「ぐうっ」

 もはや受け身を取る余力すらなかった。エルドは打ち捨てられた人形のように地面に身を叩きつけられた。今までに受けた傷が再び痛みを訴えだした。

「く、う……俺もそろそろ……やばいか……」

 口内に溜まった血を吐き捨てながら、かすれ声で弱音も吐き捨てる。

 全身を這い回る痛みを堪えつつも上体を起こし、地響きを立てながら倒れた魔族の方を見ると、予想だにしなかった光景が目に入った。

「なっ……」

 巨大な魔族の躯はどこにも無く、はじめから存在すらしなかったかのように消滅していた。微かに残っていた闇の残滓が、薄い靄のように漂っていたものの、それも見る間に消え去ってゆく。まるで宙を舞う灰が風に吹かれてしまったかのように。

 事態を飲み込めずに居たエルドがぎこちなく周囲を見やる。周りに居たはずの他の魔族たちの姿も既になく、残っていたのは、穿たれた地面やそこに流れ込んで溜まったどす黒い血といった戦いの跡だけだった。

「……………」

 さっきまでの出来事が嘘のように静かだった。あまりの静寂に、言葉を失うしかなかった。

 ……しかし見る限り、敵はいない。理由はどうあれ、エルドの緊張の糸はぷつりと切れた。再び地に伏して、しばらくぶりの深い息を吐いた。

 不思議だった。まだ安心できる状況でもないはずなのに、優しく包み込まれるような感覚のせいか全身に温かみを感じていた。抗えない感覚に身を任せ、目を閉じると、あっという間に意識が薄れていった。まるで風に吹かれた残り火のように。






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