二節 決意

「ま、マスター? それに、〝魔力〟だって?」


 男の言葉に僕はつい戸惑ってしまった。

 彼の突然の発言、そして理解不能な単語の数々。それらが今の現状と混ざり合い、より一層複雑な混乱を生み出していた。


〝マスター〟? それは僕に対して言っているのか? 人違いじゃないのか? それに〝魔力〟とか言っていたか? 何を馬鹿な事を言っているんだ、〝魔力〟なんぞ存在する筈が無い。まるでそれが僕に宿ったかの様な言い振り、今すぐにでも撤回して欲しい。僕は混乱し切った脳を宥める様に頭を抱える。


 しかし、どうした物か。

 抱えた所で一周回って混乱が解け、何故か落ち着いてしまった。あまりにも理解が困難な状況に、頭が狂ってしまったのだろうか。


「……はは、随分と面白おかしな夢だな」


 脳裏に浮かんだ心情が、乾いた声と共につい口から出る。


 そうだ、これは夢なんだ。だから、夢から覚めてしまえば問題は解決するではないか。いつまでも覚めないのなら此方から覚ますまで。ならば、頰を強く抓れば……。


「むぐぐ……むぐぐぐ……」


 力を込めて頰を抓ってみる。

 しかし、どうしてだろう。いくら抓っても夢から覚める予感がしない。いつまで経ってもただ痛みを感じるだけだった。痛みが足りないのだろうか。


「……マスター、一体何をしていらっしゃるのですか?」


「むぐぐ……、初対面で僕の事をマスターだなんて呼ばないで下さい。いてて……中々覚めない」


「あぁ、成る程。夢から覚める程の痛みを御所望でしたか。でしたら、恐れながら私の短剣で貴方様の首を切って差し上げましょう」


「いや頼むから止めて下さいそんな事されたら逆に目が覚めなくなるのでマジでその剣を今すぐしまって下さい」


 真顔で短剣を取り出す男に、僕は慌てて捲し立てる。と言うか、何処から取り出したんだ、その見るからに間違いなく本物であるその短剣は。


 僕の必死の講義に、男は表情を一ミリも変えず「そうですか」と呟き、短剣を降ろした。この人、人の心と言う物は無いのか。いや、そもそも人間には見えないけれど。


 くそ……どうして覚めないんだ。あまりにも目覚めが悪過ぎる。もしかして、かなり深い眠りに落ちてしまったのか? ……まさか眠ってる間に昏睡状態になったとか?


 問題が解決せず、再び頭を悩ます。

 そんな中で男は呆れた様に溜息を吐く。


「……何故、この状況が夢では無いと言う考えに至らないのでしょう。今までの一連を目前にしておきながら……。疑い深くなるのも承知の上ですが、もう少し現実と向き合った方が宜しいかと」


「いや、何が現実ですか」


 彼の言葉を否定する。


「マスター? 〝魔力〟? 何を言っているのかさっぱりですし、〝魔力〟なんてオカルトの類いじゃないですか。それにさっきの光と言い、霊体のあなたと言い、現実では起こり得ない事ばかり起こってるんですよ? それなのに夢では無いと、どうして胸を張って言い切れるんですか?」


「では逆に問いますが、この状況が夢であると言う証拠はあるのですか? 私は御覧の通り、この場に実在しておりますし、魔力の発現の様子を貴方様は身を以て体感した筈。にも関わらず、この現状を夢だと言い切ってしまわれるのは、現実逃避をしているのも同然ではないですか?」


「それは違…………っ、ハァ……」


 ……見事に図星だった。彼の言い分は。僕の言い訳をほぼ論破し、痛い所を空かさず突いてきた。知能派の印象も見掛けだけでは無いと言う事か。


 ……まぁ、そうだな。彼の言う通りだと認めよう。否、認めざるを得ない。


 いくらオカルトを頑なに信用してこなかった僕でも、流石に今回は腹を括るしか無い。さっき体内で流れた異様な感覚も、目が痛む程強い光も、目の前で浮く霊体の彼も、全て現実の事だ。微かに身体に残る妙な違和感と、先程の一連で冴え切った目が何よりの証拠だ。


 途端、何かが音を立てて崩れ始めた様な、親しい人物に裏切られた様な、そんな感覚に陥った。


 未だに信じ難い。

 否、信じたくなかった。今まで純粋に信用してきた世界が、手の平を返すかの様にくるりと一変してしまう様で恐怖感を抱いていたから。しかしそれでも現実は、意地悪く僕の中の〝常識〟を容易く粉砕してしまった。


 そうか……、本当に、本当に……。


「本当に、存在していたのか……。〝魔力〟と言うものは……」


 緊張感や恐怖で硬かった身体が、一気に脱力した。同時に心の奥底から、喪失感や絶望感が湧き出し、全身に纏わり染み付いた。


「……えぇ、魔力は実在しています。絶望される気持ちも解りますが、此れが現実です」


「…………解ってますよ。追い討ちを掛けないで下さい」


 そうだ、解っている。身に浸みる程、心臓が何者かに掴まれたかの様に痛む程、その事実を痛感したつもりだ。


 だけど、それでも……。

 それでも心の何処かで、現実を否定し逃避している自分が居座っているのも、また事実だった。


「ですがそんな中でも、貴方様は恵まれています。魔力に関する情報を私が持っていますし、我ら精霊による加護によって貴方様の身を護る事も可能です。故に少し気を楽にして頂いても宜しいかと」


「……確かにそれは恵まれた事かもしれません。けれど……」


 けれど、違う。

 そんな否定の思想に呼応してか、自然と手に入る力が強くなっていく。


「……僕がその〝魔力〟に目覚めてしまった事で、僕はもう普通じゃなくなってしまった。他の人と同じ様に普通に何事も無く過ごす事を、もう出来なくなってしまった。それに……」


 真っ直ぐに男の目を見つめ、僕は胸の内を続けて訴える。


「僕が目覚めた〝魔力〟の所為で、周りにいる人を傷付けてしまうかもしれない。実際、この〝魔力〟が原因で沢山の人が町ごと消し飛んでる事件だってあるんですよ?」


 溢れ出る悲しみのあまり、僕はつい俯く。

 そうだ、〝魔力〟の存在が証明されたという事は、あの事件の詳細もほぼ明らかとなったも同然だ。


「……その事件を機に、父の行方が解らなくなった。未だに帰って来ないんです。そんな家族を失う原因となった〝魔力〟が、僕はどうしても認める事が出来ません」


 それだけではない。僕がこれから〝魔力〟を宿し過ごす中で、思わぬ事で日野子や他の友人、家族等に危害を加えてしまうかもしれない。最悪その命を奪ってしまう可能性も有り得る。そんな〝凶器〟を身に付けながら生きていく覚悟なんて、今の僕には持ち合わせていないのだ。


 だから僕は〝魔力〟を認めない。

 いや、認めたくないのだ。その存在は勿論、身に宿した自分自身も含めて。


「……とても、災難でしたね。魔力が原因でお父様の生死が解らなくなり、常に不安と隣り合わせで過ごしていたとは。先程の無礼な発言、どうかお許し下さい」


男の発言に顔を上げると、彼は深々と頭を下げていた。その声色は、心からの謝罪の意と僕を憐む様な慈愛の色に満ちていた気がする。


「……ですがマスター、恐れながら一つだけ訂正させて下さい。貴方様を不快にさせてしまう恐れがありますが」


そう告げると、男は真剣な顔持ちで目を合わせる。


「確かに魔力は、簡単に他人に危害を加える事が出来る程の力を備えています。貴方様の選択一つで、多くの命を奪うのも容易い事でしょう。しかし逆に、それを制御しも可能なのです」


「た、他人を護る事?」


思わぬ言葉に僕は目を見開いた。

男は構わず続ける。


「えぇ、魔力が人を殺める事の出来る力であるが故に、それに対抗出来る程の力も当然ながら持っているのです」


「……………っ」


 その言葉を聞いた途端、強張った身体が急に脱力した。この急な脱力が安心感によるものなのか、それとも意表を突かれたからなのか、あまりの衝撃で僕には解らなかった。


男は言葉を続ける。


「その上、貴方様には私が付いております。凡ゆる脅威から貴方様の身をお護り致しますし、先程も申した通り、私には魔力に関する多くの知識を持っています。魔力の扱い方は勿論、その制御法、他の魔力への対策法等、貴方様の希望する凡ゆる情報を提供する事が出来ます」


「………………」


 男は真っ直ぐと僕の目を見てそう言った。

 彼のその低い声色の裏からは、僅かに、しかし確かな覚悟と決意が見えた。


 彼の言った通りだ。僕は恵まれていた。

 勿論、〝魔力〟に目覚めてしまった事に関しては恵まれただなんて思えない。とんでもない悪運が呼び寄せた厄災だ。その考えは今も変わらない。


 けれど、それでも不幸中の幸いと言うべきだろう。

 他の〝魔力〟に目覚めた人はそれに関する情報を持たない。だから自力で解決策を考え、多くの犠牲を生みながら制御しなければならないのだろう。


 だけれど僕には情報の提供者がいる。他の様な苦労が軽減される。その上、護衛までしてくれると言うのだ。初心者の自分にとって、あまりにも都合の良すぎる特典だ。


「…………マスター」


 男から再び声が掛かる。


「……お父様を失った事で生まれた、魔力に対する恨みが消えない事は存じております。しかし、現実から目を逸らし、その魔力を放っておけば、今度は貴方様の魔力が他者を傷付けてしまうかもしれない。私はそれを防ぎたいのです」


 強い意志の籠もった声で彼は続ける。


「きっと、今後この状況に振り回され、心が折れるかもしれない。魔力を使用する己自身に不満を持つかもしれない。しかし、貴方様ならきっと、この苦難を乗り越えられるでしょう。私も全霊を賭けて協力致します。……私と共に、この苦境に立ち向かいましょう、マスター」


 そう彼は僕に手を差し伸べた。

 僅かに浮かべていたその微笑みは、清らかな慈愛と優しさに満ちていた。


「………………っ」


 けれども、僕はどう返せば良いか解らなくなり、目を背けてしまった。


 ……本当なら、すぐにでもその手を握り返したかった。これから宜しく、一緒に頑張ろう、と。


 けれども、僕の心境にはまだ迷いがあった。


 父さんの事もそうだし、〝魔力〟についてもそうだ。自分がそんな未知で強大な力を制御出来るかどうか不安だし、彼の言ってた通り、魔力を操る自分自身を嫌う事になるかもしれない。


 ……考えが纏まらない。

 けれど、せめて今の考えぐらいは言葉にしなければ。


 悩みと不安が頭の中をぐるぐると回る中、僕は接着剤で止まったかの様に固まった唇を無理矢理開き、言葉を吐く。


「…………すみません。まだ迷っているんです、この状況に。〝魔力〟をまだ認められないのもそうですし、あなたの言葉も、全て受け入れられてるわけではないので」


 曇った声色で僕は続ける。


「……けれども、父の行方を眩ませたあの事件の様に、他人を傷付ける様な事にはなりたくない。自力で我が物にして、危害を加えない状態にしたい。この力を制御出来るかどうか不安で仕方ないですが……」


 喉に溜まった息を吐き切り、僕は意志を固め、覚悟を決めて言葉にする。


「だから……、お願いです。僕に〝魔力〟を抑える術を教えてください……!」


 僕は、その決意を吐き切った。

 迷いと不安の色の混ざった、不協和音じみた息に言葉を無理矢理乗せて。


 そんな上手く形に出来なかったその決意を、男は強い頷きで受け取ってくれた。


「はい、勿論です。共に頑張りましょう、マスター」


 そう言って彼は再び手を差し伸べる。

 さっきは僕の迷いが遮ってしまったその手を。


 今度は確かに––––その手を強く握り返した。

 これから降り掛かるであろう、大きな困難を共に乗り越える決意を胸に刻みながら。





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