第4話 シゼルカンド――暗躍する影

 海底都市シゼルカンド。

 太陽光が僅かに届く、およそ千メートルの深さの海の底に建設された、最初にして最大の海底都市。


 特殊強化のぶ厚いアクリルのドームに守られた街は、一見して陸上の街とは大差ないように見える。

 違いがあるとすれば、見上げる先にあるのが、空ではなくアクリル板で、その向こうが海中の世界だということくらいだろうか。

 ドームの頂上部分は水面から僅かに出ていて、そこから太陽光がしっかりと取り入れられるので、海の中とは思えないくらい明るいし、空気清浄設備のおかげで、きれいな空気で呼吸も問題ない。

 家屋などの建物も、陸上の人々からすれば古典的レトロに見えるだけで、基本的には陸上のものと同じ外観だ。


 そんなシゼルカンドの街の中央に位置する執政省の庁舎の一室。

 薄暗い会議室で、円卓を囲む老人たちがいた。

 この海底都市の政事を担う、各省庁の重鎮たち――言わば、長老たちである。

 シゼルカンド防衛軍大佐の、ノア・カーティス・カムロギは、自分よりも一回りも二回りも年上の老人たちの不毛な議論を、心の中で嘲りながら眺めていた。


「和平などくだらん! 陸にしがみつくコソ泥どもと、対等の協定を結ぶなど、どうかしている!」


「しかし、このシゼルカンドは元は、陸の技術で建造されたもの。技術者たちのほとんどが建設後は陸に戻り、今や老朽化するライフラインを、根本的に改修するには、陸に頼らなければ……」


「幸い、陸の連中はこちらの資源を、喉から手が出るほど欲しがっとる。うまくすれば、万事こちら優位で進められよう」


「しかし、陸には忌々しい化学兵器や、最新鋭の装備がある。下手に怒らせては、この古びたドームなど、一撃で消されかねん」


「先日の、陸の高速艇が起こした事件を忘れたか! 奴らが深海工場ファブリークの採掘場に襲撃をかけ、迎撃艇二艘を破壊。制御を失った迎撃艇が深海工場への酸素供給管を直撃し、工場内で働いていた一般市民が二名も死亡したのだぞ! あんな野蛮な奴ら相手に、協定など! マトモに組めるものか!」


「その時の供給管も応急処置しかできていないのよ。やはり陸の技術がなくては……」


 議論は見事に堂々巡りを繰り返している。

 ノアがここに呼び出されてから、かれこれ一時間が経とうとしているというのに、ずっと同じ話を繰り返し、肝心の結論に向かいそうになると、それを出すのは他者に押しつける。


 ――無様な。


 ノアは、口元に手を当てて、思わず浮かんできた笑いを隠した。


 目の前の老人たちは、ノアから見れば皆一様に脆弱で矮小だった。

 このシゼルカンドが建造され、最初に移住してきた者たちのうち、幼児だった者たちが成長し、産んだ子供たちを第一世代。その世代の子供達を第二世代と呼ぶが、老人たちは第一世代だ。

 そしてノアは第二世代。

 第一世代である老人たちよりも、肺が大きく、胸板が厚い。第一世代では小さくしかなかった手足の水掻きも、彼らより大きく立派だ。

 かなりの長時間、海中で泳ぐことができるし、素潜りでもかなり深いところまで潜ることができる。

 ノアたち第二世代の子供たちにあたる第三世代の中には、水中でも陸上でも、不自由なく呼吸できる者たちまで現れている。


 海の民は、陸を捨てたその時から、自分達を進化させてきた。


 機械におんぶにだっこの陸の旧人類どもとは違う、今、この世界を生きるべく創り直された、真の人類なのだ。

 陸の兵器? 最新鋭の技術?

 くだらない。

 何を恐れることがあるというのだ。

 今に我ら、海の真人類たちは、機械に頼らずとも、自分達の力で生きていけるようになるだろう。


「カーティス大佐。陸嫌いの君が、どうして和平協定の推進に賛同したのかね! 君に同調した若い議員は多いのだよ」

 ようやくノアが呼ばれた、本来の目的に話題が移ったようだ。

 反和平派の老人が、汚ならしいものでも見るように顔を歪めて、ノアを睨み付けた。


「必要なことなのですよ」


 ノアは、口の端を吊り上げてそう答えた。

 長く伸ばしたノアの銀色の髪が、背中でゆらりと揺れた。青白い肌に、青い瞳。銀色の髪。これらは、第二世代以降に多く見られる外見的特徴だ。


「なんだと?」

 頭に血の上った老人が、血走った目を見開いてノアを見た。

 彼が、ノアを罵倒しようと口を開いた瞬間、何者かがドアをノックした。

「何だ!」

 老人は、怒りの矛先をドアに向けて、苛立ちに任せて怒鳴り付けた。


「失礼します」

 老人の癇癪とは真逆に、冷静な顔つきで入室したのは、ノアの秘書官の女性だった。

 秘書官は、素早く敬礼をすると、足音も立てずにノアの背後に移動し、耳元で「ご報告が」とささやいた。


「失礼。仕事がありますので、私はここで退室させていただきます。和平協定に向けての業務も、早急に進めなければなりませんので」

「カーティス大佐! まだ話は……」


 ノアは、不快な老人の声を完全に無視して、涼しい顔で部屋を出た。

 秘書官と連れ立って執務室に戻ると、部下が二人、執務机の前で姿勢を正して待機していた。


「さて。キリシマのことかな」

 ノアはゆったりとした声で問いながら、自席に腰かけた。

 室内に入った瞬間の、部下たちの血の気の引いた顔色を見れば、聞かずとも解るというものだが、聞かなくてはならないことだ。


「取り逃がしました」

「申し訳ございません」


 部下たちが一斉に頭を下げた。

 声も震えている。

「まあいい。キリシマを逃したことは、大きな問題ではない。大事なことは、こちらの怒りを、しっかりと伝えられたかということだ。窮地にくらいは、追い込んだだろう?」


 ノアに見上げられた部下が、震える声で「はっ!」と答えた。

「機体にはかなりのダメージを与えられたものと推測しております」

「よろしい。必要なのは、我々が、陸の兵器などに臆さず、全力で立ち向かったということだからね」


「はっ!」


 ノアの言葉を聞き、自分たちの任務の失敗を許し、慰めてくれているのだと思った部下たちは、安堵と、懐の深い上司への尊敬で胸がいっぱいになって、秘書官と共に部屋を出ていった。

 ノアは満足げに、若い世代たちを見送ると、指紋認証の鍵がかかった机の引き出しを開けた。

 中には、書類などの極秘資料と、シゼルカンドではなかなかお目にかかれない、陸側のメーカーの携帯端末がある。

 ノアは、その携帯端末を取り出して起動した。

 音声通信の機能を立ち上げる。

 ほどなくして、通話相手と繋がった。


「やあ、すまない。既にそちらの耳にも入っているかとは思うが、こちらに不手際があってね。ああ、例の下ごしらえなんだが、失敗してしまってね。ああ。だが、心配ないよ。少々スパイスの刺激が弱まったが、大勢に影響はあるまい。それよりも、次の工程はそちらに委ねることが多い。ああ、こちらも失敗しておいて何だが、くれぐれもよろしく頼むよ。

 これは、我々の悲願だからね」


 通信を切ったノアは、即座に端末の電源を落として、引き出しに戻した。

 鍵をかけ直しながら、思わず顔に笑みが零れる。


 愚かな者たちだ。


 進化を忘れた旧人類は、ノアの言葉に興奮していた。

 己が、一世一代の大舞台の、主役であるかのように錯覚し、陶酔していた。


 ――利用されているだけだとも知らずに。


 ノアがほくそ笑んでいると、さきほど部下たちが出ていった扉がノックされた。

「どうぞ」

 悠然とノアが応じると、秘書官が入ってきた。

「クロガモ族の戦士がご到着されました」

「解った。すぐに行く。丁重にもてなしておいてくれ」

 秘書官が「かしこまりました」と敬礼をして出ていくと、ノアは椅子から立ち上がった。

 正装をするため、用意していた儀礼用の軍服の上着を着て、胸に勲章を着ける。

 クロガモ族の戦士はプライドが高い。

 正装くらいしておかなくては、相手にもされまい。


 それに、進化を止めない生物には、敬意を持って接するべきだ。


「海も陸もない。真に生きる資格を持つものたちを決める――新たな時代の幕開けだ」


 ――そう、必要なのだ。

 和平協定という一大イベントも。

 キリシマの襲撃も。

 そして、これから起こる出来事も。

 新たな時代を迎えるためには、全て必要なことなのだ。


 例えどんなに、血が流れようとも。

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