第3話  明日への期待

 店の奥の工房で、結は試作の準備をし、隣のキッチンで直人は料理を始めた。

 ネギやんから買ったのは、エビやタコなどの魚介類とハーブだったので、結に断って冷蔵庫に残っていた食材と合わせて、魚介のトマトスープパスタを作ることにした。

 食材をそれぞれ適当な大きさに切って、にんにく、ハーブ、玉ねぎ、ワインなどと一緒に、ブイヨンスープとホールトマト缶を混ぜたものに投入、煮込む。

 パスタを茹でながらアスパラも一緒にゆでて、出来上がったスープに入れて、味を整えれば完成という寸法だ。

 スープを煮込みながら、工房の方を覗き込むと、真剣な顔でガラスの棒をバーナーで熱している結の向こうに、壁に飾られた家族写真が見えた。

 幼い結と一緒に写っているのは、真新しいこの店と、結の両親。それから、十八才の結と父親がお揃いの作業着で写る写真。

 そして、若い母親の遺影と、それよりは年をとった、父親の遺影。

 結の母親は、結が幼い頃に病気で亡くなったそうだが、父親の死因は「狩り」だった。

 結が十八才になり、父の弟子として、ガラス細工を作りはじめてから、たった半年で、結の父は、無慈悲な砲弾の犠牲となったのだ。


 直人が資材管理局に、新人として配属されてすぐの頃で、たまたま立ち寄ったこの店で、結と親しくなったばかりだった。

 直人は、結の父親が、新作のための素材を仕入れに他の人工島へ出掛けるのを、結と二人で見送った。ちょっと行ってくると言って、いつものように豪快な笑顔で出ていった彼を。

 その途中の海上で、突然始まった狩り。

 何の前触れもなく、下の小さな海底都市をも壊すほどの、凶悪な威力のミサイルが、父の乗った貿易船を貫いて、海底をえぐった。

 船に乗っていた人も、カルガモも、遺体の欠片も残らなかった。


 きっと何が起こったか解らないまま――

 苦しむ間もなかったでしょう――

 それだけがせめてもの救い――


 たくさんの人々が結にそう言った。

 言われる度に、目を真っ赤にした結が、消え入りそうな声で「ありがとうございます」と言って頭を下げるのを、直人はただ見ていた。

 無力な拳を握りしめて、棒立ちで、ただ、見ていることしかできなかった。


 直人が我知らずトングを握る手に力をこめたとき――

 ピピピピピピ……

「あっ! わー! パスタが!」


 パスタを茹でていた鍋が吹き零れて、IHヒーターが警告音を立てた。

 工房から「大丈夫~?」と笑う結の声がする。

 直人は「大丈夫大丈夫!」と答えながら、慌てて吹き零れた湯を拭き取った。


「狩り……絶対に、廃止すべきだよな」


 直人はきれいになったヒーターを見つめて、ポツリと呟いた。



「いただきまーす!」


 その後、なんとか出来上がったパスタを前に、結は満面の笑みで両手を合わせた。先祖たちが暮らした島国はとうに失われてしまったが、こういう日々の習慣はある程度残っている。

 昔々、狩りなんてなかった時代の、日常の習慣。

 なんだか、暖かいものを胸に感じながら、直人も「いただきます」と手を合わせた。


「おいしー! 直人はお料理の天才だね」

「そう? 喜んでもらえて嬉しいよ」


 結は、直人の料理をいつも幸せそうに食べてくれる。いつだって全力の笑顔で喜んでくれた。


「ねえ、結」

「なあに?」

 フォークにエビをさした手を止めて、結が直人を見つめた。


「あ、食べながら聞いてよ」

「うん、ありがとう」


 結はにっこり笑うとフォークを口元に持っていった。


「あのさ、明日、カルガモ族のお姫様が、この街に来るんだってさ」

「ふぇ?」

 結は、口をもぐもぐさせながら、目を見開いた。


「きっと今ごろ、オンエアでもオンラインでも、ニュースチャンネルはこの話題でいっぱいだと思うけど」

「あ……見てみる?」


 ごくんと飲み込んだ結が、席を立とうとしたので、直人は笑って引き留めた。


「いいよ。俺の方が詳しいって」

「それもそうだね」


 結は安心したように座り直した。


 父が乗った貿易船が、文字通り木っ端微塵と化して洋上を漂う様を、ニュースで何度となく見たせいで、結はニュースチャンネルが苦手になった。


「明日の昼前に、カルガモ族の姫君を乗せた海側ダスマーの潜水艇が軍港に着く。上陸したらその足で商業区でパレードするんだ」

「じゃあ、私もお姫様、見れるのかな?」

「ああ」

「行きたい! カルガモ族のお姫様、見てみたーい!」


 結は前のめりになって興奮ぎみに言った。


「カモ族にとって、族長ってものすごく大きな存在でね。お姫様なんて、簡単にカモ族の領地から出てこないんだよっ! すっごいレアだよ! 今回を逃したら、もう一生見れないかも!」


 結は父親がカモ族の商人から素材を仕入れていたこともあり、幼い頃からカルガモ族が身近で、カモ族の文化に詳しく、カモ語まで話せる。

 その結がこんなにはしゃぐのだから、一見の価値は確かにあるのだろう。


「へえ。そんなにすごいことなのか」

「そう! すっごいことだよ」

「なるほどな。そりゃクロガモ族の戦士が護衛につくのも納得かな」

「えっ……クロガモ族も来るの?」


 結の顔が突然凍りついた。

 クロガモ族は、狩りに積極的な種族。

 結は、クロガモ族に対する恐怖心が強く、カルガモ族と同じカモ族であっても、彼らだけは苦手だった。

 普段人間の街にクロガモ族が現れることはほとんどないので、日常生活に支障はないのだが。


「で……でも、ほんとにすごいね。どうして突然、エヴァナブルグにお姫様が来ることになったんだろう」


 無理矢理に笑顔を作って見せる結を見て、直人も胸が苦しくなった。


「和平協定だ」

「え?」

「陸と海の、和平協定を締結するため、中立の立場であるカルガモ族の姫君が、海側の特使とし、親書を持ってくるんだそうだ」

「和平? 海と陸の?」

「結ばれれば、海側からは資源が、こちらからは技術や工業製品などが貿易としてやり取りされるようになるそうだ。それに――」

「それに?」


 結は、食い入るように直人を見つめている。



「狩りも、廃止される――かもしれない」



「っ……!」


 結の目が、大きく大きく開いた。


「ほんと……?」

「ああ」

「そうしたら……もう、誰も……殺されない?」

「ああ」

「直人も……危ないお仕事、しなくてよくなる?」

「……多分」


 答えながら、そう言えば和平が締結されたら自分の処遇はどうなるん

だ? と直人は思った。最悪クビか? それは困るな。


「……ひっく」

「ん? え? 結?」


 気付けば、目の前で結がフォークを握りしめたまま、ぼたぼたと涙を流しているではないか。


「何? 何? どしたの? 俺なら、クビになったりしないって! 多分」


 直人は盛大に動揺するが、結は涙が止まらないようで、ひっくひっくとしゃくりあげながら、ぎゅっと目を閉じた。大粒の涙がテーブルに水溜まりを作る。


「ひっく……和平……できたら……いいなって……そうなって……ほじいなっで」

「ああ、そうだな、ほんとに、俺もそう思うけど」

「ぅうっ……」

「わわわっ……泣かないでくれよ」


 大慌ての直人をよそに、結は一向に泣き止まない。

 結にとって、狩りは、一人の人間が背負うには重すぎるトラウマで、大きすぎる傷だった。

 そして、結と同じ痛みを抱えて生きる人たちも、たくさんいる。


「ほら、明日、カルガモの姫様、見れるんだぞ。元気出して」

「でも……くっ……くろがも……こわ……」

「俺が一緒にいるから」

「……なおと、おしごとは?」

「休みなんだ。資源管理班は海側に恨まれてるから、めでたい場所には出てくれるなってさ」

「ほんとに?」

「ああ」

「一緒にいてくれる?」

「さっきからそう言ってるだろ?」

 両手で目を覆っていた結が、顔を上げて直人を見た。

「やったー!」

「へ?」


 明るい声で両手を挙げて喜んだ結の顔は、満面の笑みだった。


「パレード楽しみだな! 何着ていこうかな」

「あ……ああ……ふう」


 直人は一気に脱力して、へろへろと椅子に沈んだ。


「やれやれ。笑ってくれてよかったよ」


 そう言いながら、直人は、楽しそうに話す結を見て、和平協定の成功を、心から祈っていた。

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