第18話 よう頑張ったのう

 会社を後にしたスズネは、駐輪所の自転車を拝借し、魔物を避けながらの移動を繰り返していた。



「ここにもゴブリンが……そうなると迂回するしかないか……」



 しかし、魔物を避けながらの移動は困難を極めており、一時間が経過して尚、2キロ程度の移動しか果たせていない。



「この調子じゃ日が暮れちゃう……」



 加えて、時間が時間ということもあって陽は徐々に傾き始めている。

 このままでは夜の帳が下りてしまい、欲人が跋扈する時間が訪れてしまう。


 要するに、スズネに残された時間は僅かであり、夜の帳が下りてしまうまでに安全な場所を確保しなければいけないという状況にある訳なのだが……



「パ、パンク!?」



 運が悪いことに――いや、一般的な自転車を、移動手段として使用すること自体間違っていたのだろう。

 悪路に耐えられなかった自転車は、スズネの臀部にホイールの振動を伝え始めてしまう。



「ワンちゃんおいで!」


「わっふ!」



 スズネは自転車を壁に立て掛けると、カゴに乗せていた子犬を抱きかかえる。

 そのことにより、ここからは徒歩での移動を強いられる訳なのだが、碌な移動手段を持ち合わせていない一人と一匹の未来など想像に難くない。

 

 

「完全に日が暮れたら……多分、生き残れない」



 が、そのようなことは、スズネ自身充分に理解していることだった。

 だというのに、無謀とも思われる自転車での移動を試みた理由は――

 


「カ、カオルちゃん! カオルちゃんいる!?」

 

 

 自転車で移動できる範囲に、頼りになる存在が住んでいたからに他ならない。

 

 とはいえ、ある意味賭けでもあった。

 もしかしたら異変に巻き込まれて家にいないかもしれない。

 もしかしたら巻き込まれた結果、亡くなっているかもしれない。 


 スズネはそのような可能性もあると考えていたが、それでもこの場所――安アパートの一室へと訪れたのは、呼び掛けた人物が無事である。といった、確信に近い予感を抱いていたからだ。



「あ~……スズネ? なんで呼び鈴を鳴らさないのさ?」


「だ、だって鳴る訳ないじゃん! っていうか、まさか今まで寝てたの!?」


「あ~……ぐっすり寝てたわ……」


「さ、流石、カオルちゃんだね……」



 そして、そんなスズネの予感は見事に的中する。

 カオルと呼ばれた人物は立てつけの悪いドアから顔を覗かせると、飄々とした態度――というよりかは、図太さすら感じる態度で大きな欠伸を漏らす。 


 

「本当だ……呼び鈴壊れてんじゃん。てか、何その犬っころ?」


「えっと、この子は……そ、それよりも周りの景色を見てなんとも思わないの!?」


「周りの景色? なにこれ? ジャングルみたいになっててウケるんだけど」


「ほ、本当に流石カオルちゃって感じだよね……」



 スズネは呆れ顔を浮かべるものの、少しも狼狽えないカオルの姿に形容し難い心強さを覚える。



「てか、カオルちゃんはやめろって言っただろ? もう、お互い子供じゃないんだからさ」


「嫌だよ……カオルちゃんはカオルちゃんだもん」


「ったく、昔からスズネは変に頑固だよねぇ~」



 対して、負けじと呆れ顔を返したカオル。

 続けて、隠すことなく盛大に溜息を溢すと――



「はぁ……まあいいや、取り敢えず上がっていきなよ」


「あ、ありがとうカオルちゃん!」



 部屋の奥を親指で指し、幼馴染であるスズネを安アパートの一室へと招き入れた。






 

「……それ、まじで言ってんの?」


「う、嘘みたいだけど本当の話なんだよ!」


「とはいってもねぇ……」



 スズネから現状を聞かされたカオルは、気の抜けたエナジードリンクで喉を鳴らす。



「まっじぃ……でもまあ、この景色を見たら信じるしかないんだろうな~」



 続けてシケモクに火を着けると、頬を叩いて煙で輪っかを作る。



「そ、それで、どうかな?」


「どうかなって、埼玉の実家まで乗せて行く件でしょ?

まあ、私も実家の家族のことが気になるし、乗せて行くのは全然構わないよ」


「あ、ありがとうカオルちゃ――」


「ただし、一つ条件があるんだけど」


「じょ、条件?」



 条件と言われたことで、スズネはゴクリと息を飲む。

 なにせ、危険が付きまとう道中になるであろうことは容易に想像できるのだ。

 カオルから提示される条件も、相応のものになるに違いない。

 そのように考えたからこそ、スズネは身構えると同時に息を飲んでしまった訳なのだが……

 


「着せ替え人形になってくれない?」


「へ?」



 提示された条件を聞いたスズネは、間の抜けた声を漏らしてしまう。



「いやさ、前からスズネに私の服を着せてみたいと思ってたんだよね~」


「き、着せ替え人形? カオルちゃんの服を私が?」


「そうそう。勿論、条件を飲んでくれるよね?」


「えっと……」



 スズネはカオルの顔へと視線を送り、続けて、着ている洋服へと視線を送る。

 するとスズネの目に映ったのは、髪の一部を金色に染めているカオルの姿と、コルナを披露する白塗りの男達がプリントされたTシャツだった。

 

 まあ、スズネはコルナという名前も意味も理解していなかったが、このような服を着ろと言われていることだけは理解しており、思わず苦笑いを浮かべてしまう。


 ともあれ、スズネは自分の顔が童顔であることを理解していた。

 童顔であると理解しているからこそ、ロックテイストな服装は自分に似合わないだろうと考えるのだが、お願いをする立場からすれば断れる道理などある筈もなく――

 


「……似合わないからって笑ったりしないでよね?」


「笑わないよ。じゃあ早速お着替えといこうか?」



 バンドTシャツを片手に笑顔を浮かべるカオルの姿を見て、諦めるかのように両の手のひらを見せることとなった。






 その後、着せ替え人形として弄ばれたスズネは、カオルの部屋で一夜を明かす。

 スズネとしては一刻も早く実家へと向かいたいというのが本音ではあったが、悪路であることや多くの魔物が跋扈しているということ。

 それらの現実を考慮したうえで、夜間移動は避けるべきだと判断したからだ。


 そして、その判断は正解だった。

 一夜を明かしたことで魔物以外にも欲人が存在していることを知り、夜間移動の危険性を把握することができたのだから、今後に関わる重要な判断で正解を導き出したといえるだろう。


 それに加えてだ――



「良いね。似合ってるじゃん」


「そ、そうかな?」



 そう言ったスズネは、黒と赤を基調としたロックテイストな服装で身を固めている。

 それはカオルも同様で、二人の足元見れば荷物の詰め込まれたリュック――今後必要になるであろう物が二つのリュックにまとめられており、部屋にあるもので万全に近い準備を整えることができたのだから、必要な停滞であったともいえるだろう。



「さて、そろそろ行くとするか?」


「うん!」



 カオルは車の鍵を――型の古い、四輪駆動車の鍵をチャラリと鳴らす。



「まあ、悪路みたいだけど路を選べばどうにかなるだろ」



 そして、リュックと愛用のベースを肩に担ぐと――



「よし、出発しようぜスズネ」


「うん、カオルちゃん!」


「ほら、ジャックも行くぞ」


「ジャック?」


「ん? コイツ白いだろ? 白だからホワイト、ホワイトと言えばジャック・ホワイト。だからコイツは今日からジャックだ」


「だ、誰それ? ねぇ君はそれで良いの?」

 

「わっふ! わっふ!」


「良いみたいだな?」


「えぇ~……もっと可愛い感じの名前が良かったな……」


 

 二人と一匹。

 何処か気の抜けた会話を交わしながら、安アパートを後にするのだった。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 街から数キロほど離れた場所――電気の通っていないコンビニの屋上にマコトとアンジーの姿はあった。



「はぁ、何とか逃げ切れたは良いけど……吉岡たちは大丈夫かな……」


「うむ、大丈夫かどうかは分からんが三人とも無事だと良いのう」



 そのような会話を交わすと、マコトは溜息混じりに肩を落とす。

 街から脱出したは良いものの、吉岡たちの手を借りる形で脱出を成功させてしまったからだ。



「俺に肩入れした……そんな風にとられなければ良いんだけどな……」


「どうじゃろうな? 追手たちは半ば暴徒化しておったからのう。じゃが……」


「じゃが? じゃが、なんだよ?」


「あくまで儂の勘ではあるんじゃが、皆無事でいるような気がするのう」


「勘かよ……それって当てになるのか?」


「あくまで勘じゃからのう。じゃが、儂のこういった勘はあまり外れた記憶がないのう」



 そう言ったアンジーは大人ではなく、普段と変わらない少女の姿をしている。

 どうやら、バイクを運転するのに都合が良いと考えたから大人の姿を取っていたようで、運転する必要がなくなった現在――この場所で夜を明かすと決まった時点で元の姿へと戻ることにしたようだ。


 

「おお! 良い感じに出来上がってあるのう!」



 アンジーは焚火にくべられていたカップ麺を拾い上げる。



「お、本当に作れるんだな。

紙の容器なら燃えずに作れるっていう話を聞いたことがあったから試してみたけど、どうやら成功したみたいで安心したよ」


「容器の上の方が少し焦げておるのが少しだけ気になるが……うむ! 味の方は問題無しじゃよ! 実に美味じゃ!」


「そうか、そいつは良かった」



 アンジーに倣い、カップ麺を拾い上げるマコト。

 が、拾い上げただけで、マコトは箸を割ることすらしない。



「心配で箸がすすまない。と、いった様子じゃのう?」


「まぁな……」


「では、今から安否を確かめに戻るか?」


「それは……」



 マコトは、アンジーの言葉を聞いて心臓を跳ね上げる。

 実際、箸が進まないほど心配であるならば、街へと戻って皆の安否を確かめれば良いだけの話だ。

 だというのに、戻るという選択をマコトが選ばなかった理由は――



「俺は冷たい人間だと思うか?」



 それは敢えての選択であり、スズネを探すという目的と、両親の仇を討つという目的を優先したからに他ならない。



「なんじゃ? 冷たい人間と言って欲しいのかのう?」


「そうは言ってねぇよ……ただよ……」


「では、責めて欲しいんじゃな?

冷たい人間であると責められれば――人からそう断言されてしまえば、冷たい人間であると割り切れるじゃろうし、良心の呵責に苛まれることもないからのう」


「――ッ」



 内心を見抜かれたことにより、マコトの心臓が再び跳ね上がる。



「じゃが、幾らそうしたところで無意味じゃよ?」


「無意味ってどういうことだよ……」


「マコトは優しい人間だということじゃよ」


「俺が……優しい?」


「うむ、幾ら冷たい人間であると断言されようと、恐らくマコトは何か起こる度に良心の呵責に苛まれる筈じゃ。

なにせマコトは優しい人間しゃからのう。幾ら冷徹を演じたところで根っこの部分を変えなければ――いや、根付いたソレは、そうそう変えることができないのじゃから、幾ら冷徹を演じようと無意味なんじゃよ」


「根っこの部分……」


「うむ、じゃから無理して冷徹を演じようとするでない。

殺せぬ感情を殺そうするのは、逆に心を摩耗させるような行為じゃぞ?」



 カップ麺をひと啜りすると、アンジーは思わず呆れ顔を浮かべる。



「そもそもじゃ。マコトは何故そこまで落ち込んであるんじゃ?」


「何故って……吉岡や立石課長、ゲンジロウさんやマユキさんに迷惑掛けちまったから……」


「ふむ、ではマコトよ?

迷惑を掛ける羽目になったそもそもの原因――欲人を始末するべきじゃなかったとマコトは考えているのかのう?」


「そうは考えていねぇよ……結果的に迷惑を掛けることになっちまったけど、あの行動を間違いだとは思っちゃいねぇ……ああしなきゃ、もっと大勢の人間が死んでいた筈だからな」


「そうじゃな。マコトが行動を起こさなければ、きっと大勢の人々が犠牲になっていた筈じゃ。

もしかしたら、犠牲になったのは今名前を上げた者達だったかも知れんのう」



 そして、そのような会話を交わすとビシリと箸を突きつけたアンジー。



「じゃが、そうはならなかった。

マコトが行動を起こしたからこそ多くの命が救われた。

命を救ったからこそ、迷惑を掛けたと苦悩することもできるのじゃよ?

それは誇るべき事実であり、マコトに対するひとつの対価じゃ。

そもそも、人の両手で拾えるものは存外少ないからのう。

無理して全てを拾おうとすれば、別の場所からポロリと零れおちてしまう。

じゃからマコトよ――」



 アンジーは突きつけていた箸をくるりと回して、マコトへと手渡す。



「全てを拾えなかったとしても、多くの命を救ったマコトを儂は褒めるよ。

よう頑張ったのうマコト」


「アンジー……」


「まあ、儂がそう言ってもマコトはウジウジと悩むのじゃろうな?

じゃが、その苦悩も葛藤も、儂が共有し、儂が理解してやるのじゃ。

じゃからほれ、難しいことは置いといて、今はこの「美味しい」を共有しようではないか?」



 アンジーの言葉を聞いたマコトは、少しだけ泣きそうになってしまった。

 だが、マコトは決して涙を見せたりはしない。



「そっか……ありがとよ」



 ただ、短く感謝の言葉を伝えると――



「やっぱりカップ麺は美味いな! 夜中に喰うカップ麺は最高だわ!」



 少しだけ早く、少しだけ口数を多くしてカップ麺を啜った。






 そして翌朝。



「流石に背中が痛いな……」


「まあ、こんくりーとの床じゃったからのう。

してマコトよ、このコンビニにある商品は幾つか貰っても構わないのかのう?」


「ああ、構わないぜ。昨晩と同じように金を置いていくのが条件だけどな」


「うむ! 了解したのじゃ!」



 マコトとアンジーはコンビニの屋上から降りると店内へと入店し、朝食を調達する目的で空きの多い陳列棚に目を通していく。



「マコト! このカップ麺とぽていち! それと黒いシュワシュワを買って欲しいのじゃ! そ、それと――ちよこれいとと、きゃんでーも買って欲しいのじゃ!」


「あいよ」



 マコトは、商品の値段を計算すると千円札をレジに置き、自分用のコーヒーと固形栄養食。

 加えて、数箱の煙草と数本の水を手に取ると三千円をレジへと置く。



「マコトは律儀じゃのう? 正直、儂からすればこの行為に意味を見い出すことができないのじゃが?」


「まあ、無駄だっていうのは理解しているんだけどよ……気持ちの問題というかなんといか、やらないよりはやっておいた方が気持ち的に楽なんだよ」


「成程のう。とはいえ、貨幣にも限りがあるじゃろうし、長くは続けられないじゃろ?」


「だろうな。だがまあ、その時は住所と名前を書いた紙でも置いておくことにするさ」


「ふむ……マコトも難儀な性格をしているのう? 少し心配になるんじゃが?」


「まあ、そう心配するなって、こうするのも余裕がある内の話だと思うからよ」



 アンジーは「どうだかのう」と呟くと、バイクの後部座席に跨って早速菓子袋を開ける。



「して、マコトよ。次の目的地は?」


「次の目的地は茨城――茨城を通りぬけて埼玉って感じだな」



 対して、早朝の一服を吹かしながら缶コーヒーを傾けるマコト。



「ふむ、着くまでにどれくらい掛かる予定なのじゃ?」


「まあ、こうなる前の基準でいえば数時間といったところだが……正直、現状でどれくらい掛かるのかは分からねぇかな?」


「つまりは状況次第という訳じゃな?」


「ああ、そんな感じだ」



 マコトは大袈裟に肩を竦めると、吸っていた煙草をコンビニに備えつけらていた灰皿へと落とす。

 


「さて、観光案内を務めさせて頂くとするかな」


「うむ! よろしく頼むのじゃ!」



 そして、空になった缶コーヒーをゴミ箱へと放り込むと――



「しっかり捕まってろよ!」


「了解したのじゃ!」


「ちょっ!? お前手を拭いてからにしろよ!? ポテチの油でベタベタじゃねぇか!?」


「細かい男じゃのう……拭けば良いんじゃろ、拭けば」


「おまっ!? なんで俺のパンツで手を拭くんだよ!? なんなの!? 馬鹿なの!?」


「馬鹿とはなんじゃ! 儂はお利口じゃ!」


「その返しからして馬鹿っぽいんだよ!」



 二人は何とも気の抜けたやり取りを交わし、やけに晴れ渡る空にエンジン音を響かせ始めるのだった。




 第一章 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界と異界の教典喰らい クボタロウ @kubotarou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ