第3話 高位なる日の下を歩く者


 風呂場から金髪碧眼の少女を追い出したマコト。

 本当なら、会話が可能になった理由を直ぐにでも尋ねたいところではあったのだが、自分が全裸であることを思い出した瞬間、慌ててリビングで待っているように指示を出した。


 

「さっきは見苦しい物を見せちまったな……わりぃ」


「見苦しい? いやいや、主殿はなかなかに立派な物をお持ちのようで、むしろ眼福じゃったぞ?

それよりも、儂はお腹がすいたのじゃ! 儂は昼食を要求するぞ!」


「眼福って……お嬢ちゃんに対する印象が音を立てて崩れていってるんだが……」


「ん? なにか言うたか?」


「……いや、何でもねぇよ。今、飯を用意してやるからちょっとだけ待って貰えるか?」


「うむ! 待つ!」



 少女の返答を受けたマコトは、テーブルの上にカセットコンロを置くとガスボンベをセットする。

 続けて、ミネラルウォーターの入ったやかんを設置すると、つまみを回してコンロに火を付けた。



「ほほう! これが科学の力というヤツじゃな!」



 目を輝かせ、様々な角度からカセットコンロを観察する少女。

 マコトはその様子を面白く感じながら昼食の準備を進める。

 とはいっても、カップ麺のふうを空けてフォークを用意するだけの単純作業なのだが。


 そうしてお湯が湧くのを待っていると、カーテンから陽の光が差し込んでいることが分かり、改めて今が昼食時であることにマコトは気付かされる。



「つーか、半日近く意識を失ってたのかよ……やっちまったな……」



 加えて、何の準備も進められていない状況で、半日も無駄にしてしまったことを理解するマコト。

  


「両親の仇を探すにしろ、スズネを追うにしろ、この初動の遅れは致命的だな。

黒い豚の化け物が付近に留まってる保証はないし、スズネだって安全な場所を求めてきっと移動を繰り返してる筈だ……

まあ、何処か安全な場所見つけて留まってる可能性もあるが……楽観はできねぇよな……はぁ」



 そして、自分の犯した失敗を嘆くと、大きく溜息を漏らすのだが――


 

「このタイマーが鳴ってから食べるんだぞ」


「コイツが鳴ったらじゃな! 主殿は食べないのか?」


「ああ、あんまり食欲が湧かないってのもあるし、先に準備の方を進めたいからな。だから、俺のことは気にしないで食べててくれ」


「うぬ! 分かったのじゃ!」



 ともあれ、幾ら嘆いても無駄にした時間は返って来ない。

 そう理解していたマコトは遅れた時間を少しでも取り戻す為、今後を見越した準備へと取り掛かることにした。


 

「水はストックがある筈なんだけど……おっ、あったあった。

2リットルが6本に、お茶も3本あるな」


「ぬあぁ~! 良い匂いじゃのう! 待ちきれんのう!」


「食料はカンパンと果物の缶詰……後はレトルトカレーにパスタ。

取り敢えずは、日持ちそう食料を優先してリュックに詰め込むか」


「まだかのう? ま~だかのう?」


「……そ、それと、離れに鉈があったよな?

そういやスコップも武器として使えるって話を聞いたことがあるな。

できるならカセットコンロを持って行きたいところなんだが……かさばりそうだしな。

そうなると持ち運びやすいマッチとかライターにしておいた方が良いのか?」


「ま~だかのう♪ ま~だかのう♪ ま~だかのう♪ ま~だじゃのう♪」



 取り掛かることにしたのだが……



「うるせぇよ!? 3分くらい黙って待てねぇのか!?」


「ぬあっ!? な、なんじゃ急に大声を上げてからに!?」



 少女が口ずさむ独特なリズムに、マコトは集中力を乱されてしまう。 

 が、それと同時に、聞きそびれている話があったことを思い出す。



「つーか、何で普通に会話ができるようになってんだよ!?」


「なんでって、本を読んで勉強したからに決まっておるじゃろ?」


「はぁ? 本を読んで覚えた!? たった半日で日本語を覚えたって言うのかよ!?」


「うむ! 多少難儀したが、言語というものは他者と意志疎通を図る為の道具じゃからのう!

例え言語が違えど、意志の疎通を目的にしている以上は何処かに類似点や意味があるもんじゃ!

そして類似点や意味があるのであれば後は簡単じゃ、儂の言語と照らし合わせ、擦り合わせ、紐解いてしまえば良いだけの話なのじゃからな!

ああそれと、主殿が選んでくれた動物図鑑が絶妙じゃったな!

儂が見たことのある生き物も多く描かれておったから、言語を置きかえる作業にはうってつけじゃった!」


「い、一応は理には適ってるのか? でもだからって――……」



 マコトは「信じられる訳ねぇだろう」。そう続けようとして言葉を飲み込む。

 何故なら、現状を受け入れられない頭の固い者。或いは、世界の変化に適応できないものから死んでいくと予感してたというのに、如何にも頭の固い者が言いそうな言葉を口にしかけてしまったからだ。従って――

 


「……良し、飲み込んだ。お嬢ちゃんは勉強して日本語を覚えたって訳だな。

でもなんで、そんな訳の分からねぇ口調になっちまったんだ? 正直、見た目とのギャップに戸惑うんだが?」



 マコトは少女から聞かされた話を飲み込む。

 そうするのと同時に気持ちを切り替え、どうして珍妙な口調になってしまったのかを尋ねることにした。



「訳が分からないとは失礼なヤツじゃのう!

日本語の発音を勉強したデーブイデーでは、このような喋り方をする者は珍しくなかったぞ!」


「デーブイデー? ……ああ、もしかしてDVDのことか?」


「うむ、そのデーブイデーというヤツじゃな!

しかしまぁ、科学というものは凄いのう! 適当に弄ってたら急に動きだしたんじゃが、まさか喋り動く絵画を見せられる事になろとは思ってもいなかったわ!

その所為で時間を忘れて食い入るように見入ってしまったんじゃが――おかげ様で日本語の発音はこのとおりじゃ!」



 どのとおりだよ。

 マコトは胸の内でツッコミを入れた後、「そういうことか」と一人頷く。



「要するに、ポータブルDVDプレイヤーを弄ったら、親父が入れっぱなしにしていた時代劇が流れた。

それで日本語の発音を覚えたから、訳の分からねぇ口調になっちまったって訳か……はぁ、少しだけ恨むぜ? 親父」



 そして、マコトがそのような結論を出したところで――

 ピピピ、ピピピ。

 タイミング良く、3分が経過したことをタイマーが告げた。



「主殿! 鳴ったぞ! 食べても良いのか!?」


「ああ、熱いと思うからゆっくり食えよ?」


「子供扱いするな! ぬっ!? 美味い! 美味いぞ主殿!」


「そうかい、そいつぁー良かった」



 少女は随分とカップ麺が気にいったようで、麺を口へと運ぶ度に至福の表情を浮かべる。

 対してマコトなのだが――そんな「満面の美味しい」を見せつけられてしまったからだろう。

 


「食欲なんか湧かねぇと思ってたんだけど……なんだか腹が減って来ちまったなぁ。

お湯も残ってることだし、やっぱり俺も食うことにするか」


「ぬ! 主殿は青い方を食べるのか!? こっちとどっちが美味い!?」


「ああ、醤油も捨てがたいけどシーフードも好きだしな……できたら少し分けてやるから自分で判断したらどうだ?」


「妙案! 妙案じゃぞ主殿!」



 マコトはカップ麺のふうを切ると、トポトポとお湯を注ぐ。

 続けて割り箸を取り出すと、重しとして蓋の上に乗せるのだが――その瞬間、少女の瞳が途端に輝きだす。



「それは箸というヤツじゃな!」


「ん? ああ、箸だな」


「なんで箸があるというのに、儂にフォークを持たせたんじゃ!」


「何でって……外国? の人には箸の扱いが難しいと思って用意したんだけど、箸の方が良かったのか?」


「うむ! デーブイデーを見て、良くこんな棒きれで食事ができるものだと感心しておったんじゃ!

だから主殿! 儂も箸を扱ってみたい! プリーズなのじゃ!」


「なんで急に英語だよ」



 唐突に放り込まれた英語はさて置き、マコトは考える。

 考えるが、マコトの脳内には少女が箸の扱いを誤り、テーブルを汚す映像以外浮かんでこなかった。

 とはいえ、多少汚したとしても拭けば済む話だし、片付けるのだって大した手間ではない。

 そしてなにより――



「主殿! 儂も扱ってみたい! 箸を扱ってみたいのじゃ!」



 こうして美少女からお願いされているのだ。

 一般男性であれば「仕方がないな」と言って、懐の深さを見せる場面に違いない。

 だが、それを上手にできないのがマコトの駄目なところなのだろう。



「いや、溢しそうだから嫌なんだけど?」


「はあ?」



 平気な顔で嫌だと言ってしまえるヤツなのだから、後輩で付き合いの長いスズネは何度も苛立ちを覚える場面があったし、当然、この場に居る少女だって苛立ちを隠せない。



「主殿ぉ!? まさか主殿は儂が箸の一本や二本扱いこなせないとでも思うとるのか?

だとしたら、儂のことをちーっとばかし馬鹿にしておるぞ?」



 腕を組みながらマコトを睨みつける少女。



「箸の数え方は……うん、馬鹿にしてねぇよ。

日本語を半日で覚えるなんて普通じゃ無理だし、むしろ凄いと思ってるぞ?」



 対してマコトは「箸の数え方は一膳二膳じゃね?」、などと口走りそうになるが、それを言ってしまったら面倒になることが分かっていたので、少女を持ち上げて有耶無耶にする方向へと舵を取る。

 流石に、越えてはいけないラインくらいは理解しているようだ。



「そ、そうか凄いか! 尊敬もしているか!?」


「尊敬……してるしてる。すげー尊敬してるよ」


「そ、そうかそうか! すげー尊敬しているか! だったら良いんじゃよ!

ささ、主殿よ、そろそろカップ麺が出来上がったんじゃないのか?」


「30秒前だけど、まあ、誤差の範囲か。それじゃあ取り分けてやるよ」


「頼む! ぬっ!?こっちもい匂いじゃのう!

味も――うむ! 醤油とは違った香とコクがあって甲乙つけがいのう!」


「だろ? どっちも美味いし、どっちも無性に食べたくなる時があるら順位なんて決められねぇんだよな」


「一理ある! 実に一理ある考えじゃのう!」



 有耶無耶にする方向へ舵を切ったは良いが、あまりにもチョロ過ぎた所為で若干心配になってしまうマコト。

 一方、有耶無耶にされた少女は、口いっぱいに麺を頬張り、もっちゃもっちゃと幸せそうな表情を浮かべている。


 そして、少女は完食し終えると、満足そうに「ふう」と息を漏らしたのだが……



「――……はっ! わ、儂は何を満足そうに息なんか漏らしておるんじゃ!?

そうじゃなくて箸じゃよ箸! はぁしっ! 主殿!! 儂のことを図ったな!?」



 有耶無耶にされてしまったことに気付いた少女。

 それと同時に、このままでは「単純なヤツ」という認識をマコトに与えてしまうのではないか、という懸念を抱く。

 ゆえに少女は、自分が何者であるかを伝えることで、その不名誉な認識を覆してやろう。という結論を捻りだした。

 


「――こほんっ、どうやら少しばかり取り乱してしまったようじゃな」



 咳払いと共に、椅子から立ち上がる少女。

 貴族のお嬢様然とした立ち振る舞いでスカートを摘むと、妖艶な笑みを浮かべる。



「そういえば自己紹介を済ませていなかったのう。

儂の名はアンジェリッタ=パプルヴィツ――誇り高き一族の終わりにして始まりを担う者じゃ」



 アンジェリッタは言葉を続ける。



「誰が呼んだかのう? 【帳の傍ら】と。

誰が呼んだかのう? 【陽光を嘲る者】と。 

誰が呼んだかのう? 【教典を貪る者】と」



 そこまで口にすると、まるで重力を感じさせない跳躍で、テーブルの上にふわりと降り立つアンジェリッタ。

 


「とはいえ、主殿にはその言葉も、その名の意味も分からないじゃろうからな。

じゃから、こちらの言葉を借りて、儂が何者であるかを端的に説明させて貰おう」



 そして、テーブルの上からマコトを見下ろすと――



「儂は、高位なる日の下を歩く者! 

誇り高き吸血鬼一族の真祖であり、【教典喰らい】と恐れられたアンジェリッタ=パプルヴィッツその人じゃ!

と、いう訳で主殿――以後お見知りおきを――じゃ」



 アンジェリッタはスカートを摘み、もう一度妖艶な笑みを浮かべた。



「テーブルの上に立つのは行儀悪いぞ? ほら、降りろ降りろ」


「えっ、あっ……ご、ごめんなのじゃ……んしょ」



 が、反論の余地も無く、ぐうの音も出ない正論で怒られてしまう。  

 そのことにより、大人しくテブールから降りるアンジェリッタではあったが、マコトの反応があまりにも淡泊な上に期待外れであった所為で苛々が増してしまう。

 その結果―― 



「というか主殿ぉ!? 些か反応が薄すぎやせんか!?

人じゃないんじゃぞ!? 吸血鬼なんじゃぞ!? しかも真祖なんじゃぞ!?

もっと『きゅ、吸血鬼って……あの吸血鬼のことか?』とか! 『し、しかも真祖だって!?』とか!

そういった驚きに満ちた反応があるじゃろうが!?」


「んなこと言われても、お前が人間以外のナニカだっていう確信はあったし、吸血鬼って言われたところで今一ピンとこねぇんだから仕方ねぇだろ?

それに、色々ありすぎた所為で感覚が麻痺してるっていうか何つーか……」


「それでも! それなりの反応を返すのが大人の対応というヤツじゃろうが!」


「きゅ、吸血鬼って……あの吸血鬼のことか? し、しかも真祖だって!?」


「おっそいわい! なんじゃ、その心のこもってないワザとらしい演技は!?

それにやるならやるで、少しぐらい独自性を加えたらどうなんじゃ!? 儂の言葉をそっくりそのまま返しただけじゃろうが!?

やっぱり! やっぱり主殿は儂のことを馬鹿にしているんじゃろ!」



 マコトの反応に苛々が爆発してしまったアンジェリッタ。

 マコトの襟首を掴かむと、「ばかぁ」「あほぉぅ」と言いながらガクガクと揺する。

 

 そうして揺すられるなか、そっくりそのまま返したのは確かに意地悪だったな、と反省するマコト。

 加えて、本当に悪いと思ったからこそ、素直に謝罪の言葉を伝えることにした。


 

「わ、悪かった悪かった! 今のは俺が悪かったよ」


「本当に悪かったと思っておるのか!?」


「本当に悪かったって、だから……勘弁しくれよアンジー」

 

「ふぇ? 今なんて言ったのじゃ?」



 そんなマコトの謝罪を受けて、間の抜けた声を漏らすアンジェリッタ。

 

 

「だから、悪かったて……」


「その後じゃ!」


「その後……アンジーって呼んだことか?」


「そうじゃ!」


「ああ、アンジェリッタじゃ少し呼びにくいと思って、勝手にあだ名を着けちまった。

気に障ったなら謝るし、アンジェリッタって呼ぶようにする――」


「さ、触ってない! さ、触ってないからアンジーと呼んでくれて一向に構わんのじゃ!」


「なぁ、本当に良いのか? 嫌なら嫌って――」


「か、構わんと言っているじゃろうが!」


  

 そして、そのような会話を交わし終えると――



「アンジー、アンジーか……ふふん」



 そこには不機嫌そうなアンジーの姿は無く、嬉しそうに鼻を鳴らすアンジーの姿があった。

  

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