第2話 ジャノウ


「け、契約? お前はいったい……何を言ってるんだ?

は、ははっ、もう何が何だか訳が分かんねぇよ……」

 

   

 苦笑いを浮かべたマコトは、円柱状の缶の中から一本の煙草を取り出す。

 続けて口に咥えると、100円ライターをシュッ、シュッと二回ほど鳴らし、縁側に煙をたゆたわせた。

 

 

「煙草やめてたんだけどなぁ……」



 年々肩身が狭くなっている喫煙者の境遇や、予想される煙草の値上げ。

 そういったものが面倒になったマコトは、三年ほど前、禁煙することに成功していた。 

 それ以来、煙草を吸いたいと感じたとしても、決して手を伸ばすことは無かったのだが……


 想い人である後輩と、嫌な別れ方をしてしまった。

 街が森に飲み込まれる光景と、怪物に襲われる人々を目撃してしまった。

 両親が怪物に頭を割られ、千切られる場面を脳裏に焼き付けられてしまった。


 どれ一つとっても精神的負荷になるというのに、それらの出来事が立て続けにマコトを襲ったのだ。

 精神の安定を保つ為、マコトが煙草に手を伸ばしてしまったことを誰が責められようか。



「こんな片田舎に金髪碧眼のゴスロリって……」



 おまけにだ。

 マコトの目に映るのは、ゴシックロリータを着こなす金髪碧眼の美少女だ。

 

 まあ、この場所が原宿であるなら「居るかもな」で、マコトも片付けることができたのだろう。

 だが、この場所は関東北部の片田舎で、ゴシックロリータを着こなす少女などまず見掛けることなどできない。

 しかも、西洋風の顔立ちをしているとなれば尚更で、怪しいの一言に尽きる。


 そして、そんな少女は、人間離れした手段でマコトとの意志の疎通を計ろうとした。

 脳に直接声を届けることで意志の疎通を計り、終いには「ケイヤク」という言葉と共に、マコトの唇を奪ってみせたのだ。

 

 要するに、少女の存在も行動も、既に精神的限界を迎えていたマコトにとっては新たな負荷でしか無く――



「このお嬢ちゃんも、今まで見た光景も、全部夢だったんじゃねぇか?」



 目の当たりにしてきた非現実的な光景を、「夢」の一言で片づけてしまいたい、という思いに駆られてしまう。


 

「本当に全部……夢なら良かったんだけどな……

ああ、そんなことは分かってるさ、これは夢なんかじゃない、現実だ」



 とはいえ、「夢」で片付けられないことも、現実であることも、マコトは十二分に理解していた。

 手に残る肉片の不快な感触が、服に染みついた血脂と糞尿の臭いが、これが「夢」ではなく、現実であることを嫌というほどに突きつけていた。



「ふぅー……」



 煙草を半ばまで吸うと、グリグリと灰皿に押しつけたマコト。


 

「夢じゃ無く現実なら……お前は何者で、何が目的なんだ?」



 改めて現実を受け入れると、目下の問題である少女へと視線を向けた。  



「?」



 しかし、少女は首を傾げるばかりで、質問に対する答えは返さない――というよりかは返せない。



「ああ、そういえば言葉が分からないとか言ってたよな。

そうなると英語とかなら伝わるか? May I ask your name?」


「……?」


「まあ、伝わらねぇとは思ってたよ……言葉でのやり取りができないのは結構辛いな……」


「?」


「ん? 今のは独り言だから気にしないでくれ」



 マコトが何かを言う度に、右へ左へと首を傾げる少女。    



「つーか、そういう仕草をしていると、ゴスロリ趣味の美少女にしか見えねぇよなぁ~」



 そんな少女の動きを見たマコトは毒気を抜かれてしまい、思わず笑みを溢してしまうのだが……



「でもまあ、やっぱり人間じゃないんだろうな……」



 実際のところ、少女が人ではないことをマコトは認識していた。

 認識していたからこそ、少女の行動を理解することができず、余計に頭を悩ませていた。

  

 マコトは顎に指をあてて考える。


 直接、脳に話し掛けるような能力を持っているんだ。間違いなく人間ではないだろう。

 人間じゃないなら、両親を殺した黒い豚の怪物と同類ということなのか?

 だとしたらもっと警戒すべきか? それとも……殺すべきなのか?

 だけど見た目は普通の人間だ。それに敵対するような素振りも感じられない。

 つーかなんで? なんで唇を重ねた?

 それに何の意味がある? 契約ってなんなんだ? 


 だが、いくら頭を悩ませたところで答えを出すことは適わない。

 従って、思考と精神を落ち着かせようと考えたマコトは、もう一度煙草の力に頼ろうとする。



「ちっ、……なかなか着かねぇな」



 が、ぬるりと吹いた生温かい風に、着火の作業を邪魔されてしまう。



「――ったく、やっと付いたか……はあぁ」



 左手を添えることで風を遮ると、何度目かの挑戦で着火に成功したマコト。

 焦らされた分大きく吸い込むと、大きく煙を吐き出した。



「……あれ? 今、左手使ったよな?」



 しかし、煙を吐き出し終えると同時に、あることに気付く。

 それは、折れたと確信していた左腕で、痛みを感じることなく風を遮っていたということだ。 


 

「それに……アバラの痛みも感じねぇ……

もしかして……お前が治してくれたのか?」


 

 実際、その質問は突拍子もなく、正気を疑われる質問だといえるだろう。

 だが、マコトは今日一日で嫌というほど非現実を味わっていた。

 加えて、目の前の少女を人間ではないと認識している。

 そのような経験と認識が、突拍子もない質問を、自然とマコトの口から引き出していた。


「?」


 対して、マコトの言葉を理解できない少女は、先程と同様に首を傾げる。



「腕を、ここをお前が治してくれたのか? って聞いてるんだけど……分かんねぇよな」



 言葉が伝わっていなことを察してしまい、諦め口調を溢したマコト。

 しかし、腕を指差す、腕を擦るという分かりやすい動きで伝えたことが正解だったのだろう。



『ウデ、ナオシタ』



 少女はコクりと頷くと、肯定の言葉をマコトへと返した。



「やっぱり、お前が腕を治してくれたんだな。

でもそうなると……人間じゃないっていう認識がいよいよ確信に変わっちまうよなぁ……

だけど、敵意が感じられないのも確かだし、腕を治してくれたのも事実だからなぁ……」



 肯定されたことにより、マコトは眉間を揉みながらブツブツと独りごちる。

 独りごちるものの――

  


「……まあ、虎穴にいらずんば何とやらか。

それに、人間じゃないなら、黒い豚の怪物についての情報とかを知ってるかもしれねぇしな」



 そのような考えの元、少女を受け入れるという結論に辿り着く。



「お嬢ちゃん、腕を治してくれてありがとな――って言っても伝わらねぇんだよな?

言葉が伝わらないのは大変そうだが……まあ、なんとかなるか。

兎に角、腕のお礼もしたいし、色々と準備を整える必要があるから……取り敢えず上がっていくか?」



 そう言うと、親指の先で玄関を指したマコト。 

 その動作を見た少女は、家に招かれているのだと理解し――


「……ン」


 小さく頷くと、玄関へと向かうマコトの背中を追うのだった。






 

「子供が好きそうな飲みものはねぇと思うけど――おっ、コーラがあるじゃん……でも、少し温いな。

氷は? 溶けかけて小さくなっちまってるけど、無いよりはあった方がマシだろ」



 少女をリビングへと招いたマコトは、コーラの注がれたグラスをテーブルの上にトンと置く。



「……」


「ん? 飲まねぇのか?」



 が、少女は怪訝な表情を浮かべており、一向にグラスを口に運ぶ気配は無い。



「ああ、飲んだことがない――いや、もしかて知らない飲み物だから警戒してんのか?

てか、世界で一番飲まれている飲み物を知らないとか……人間じゃなければ、住んでた世界すら違うって訳か?」



 マコトは、自分で口にした言葉に対して思わず苦笑いを溢す。

 昨日までの自分であれば、「まさか」「嘘だ」と口にし、決して辿りつこうとしなかった結論だったからだ。

 だが、それと同時に悪くない兆候だとも感じていた。

 

 何故なら、この現実を受け入れられない頭の固い者。

 或いは、世界の変化に適応できない、柔軟性の低い者達から死んでいくとマコトは予感していた。


 要するに、昨日と違う考え方というのは、この世界に適応する為の第一歩。

 それを踏み出したことを確信したからこそ、マコトは悪くない兆候だと感じた訳だ。 


 ともあれ、マコトが思慮に耽っている間にもグラスは汗をかき始めている。

 


「色だけ見ればアレだからな……俺が飲めば警戒も解けるか?

こいつはな、喉を鳴らして飲むのが一番うまいんだよ。こんな風にな」



 氷が溶け切ってしまえば味が薄まってしまうし、何よりも、初めてコーラを飲んだ時の反応を見てみたい。

 そのように考えたマコトは、自らが喉を鳴らすことで、安全な飲み物であることを伝えようとする。


 が、思い返してみれば、マコトは昼食をとってから碌に水分を摂取していなかった。

 加えて、夏場であることと、極度の緊張状態にあったことが、マコトの体内から水分を奪っていった。

 だからだろう。



「んぐっ――ごっごっ! ぷはぁっ! ああ……うめぇ」    



 警戒を解く為の一口だった筈なのに、傾けるグラスを止めることができず、数秒の時間でグラスの中を空にしてしまった。



「あっ、全部飲んじまった……わ、わりぃ」  



 だが、警戒を解くという意味では、マコトの行動は限りなく正解に近いものだったに違いない。

 何故なら……少女は見ていた。

 嚥下する度に隆起する喉仏、唇を伝って顎先を濡らす水滴。

 そして、口元を拭うと共に見せた至福の表情を。

 それらの情報は、言葉が分からない少女にも「これは美味しいものだ」と確信させるほどのものであり――


 

「――::――:――::――!!」


「ちょっ!? や、やめろって!?」



 その美味しいを全部飲まれてしまった少女は、謎の言語を口にしながらマコトの腕を激しく揺する。



「――::―:―! ――:―:――!」


「なに言ってるか分かんねぇけど! 悪かった!悪かったって!」



 少女の視線は空になったグラスに釘づけになっており、その表情を見れば、非常に悲しげな表情を浮かべていることが分かる。

 いや、悲しげを通り越してもはや涙目だ。



「だ、だから悪かったって! まだあるから安心しろよ! ほら!」



 本心で悪いと感じていたマコトは、急いでコーラを注ぐ。

 次いで、氷を浮かせるとテーブルの上にトンと置こうとするのだが――



「――:――:;;―!!」


「いや、取らねぇから安心しろって!」



 テーブルに置くのを待たずして、マコトの手からグラスを攫った少女。

 スンスンと匂いを確認するように鼻を鳴らした後、恐る恐るといった様子でグラスを口へと運んだ。



「―:――!!」


 

 少女の表情がキュッと縮まる。

 恐らくは炭酸の刺激に驚いているのだと思うのだが、それも一瞬の出来事で。



「ンクッ、ンクッ――ハァ~」 



 目を輝かせると同時に一気に飲み干すと、マコト同様に至福の表情を浮かべた。



「どうだ美味かっただろう?」


「――:――::―:!!」



 余程美味しかったのだろう。

 お代りを催促するようにグラスを突き出した少女。

 その姿見たマコトは、僅かに心が和んでいくような感覚を覚えてしまう。



「ゆっくりコーラを飲ませてやりたいのも山々なんだが、この場所に化け物が戻ってくるかも知れねぇ。

それに、色々と準備を済ませなきゃいけねぇからさ、ゆっくり付き合ってやる訳にはいかねぇんだよ。

だからほら、温いかもしれねぇけど、残りは好きに飲んでくれねぇかな?」



 だが、現状を考えれば和んでいる場合ではない。

 そう気持ちを切り替え、準備を整えることを決めると、少女に1.5リットルのペットボトルを手渡した。



「取り敢えずは……この血をどうにかしたいし風呂と着替えだな。

その間お嬢ちゃんは……ははっ、早速コーラに夢中になってるみたいだな。

この感じなら、ちょっとくらい放っておいて大丈夫な気もするけど……」



 とはいえ、こんな暗闇の中に放って置くのは気が引けるのも確かだ。 

 蝋燭の灯りがあるとはいっても、蝋燭の灯りではあまりにも乏しく頼りない。

 そのように考えたマコトは、手招きをして少女を呼ぶと、父親の書斎へと案内する。 



「多分親父の書斎になら……やっぱりあった。

ほら、こいつがあれば少しは明るいし、俺が風呂に入っている間も本を読んで時間を潰せるだろ?

……まあ、読めないとは思うけど、この図鑑なんかは読めなくても絵だけで楽しめると思うからよ」



 相変わらずマコトの言葉は少女に伝わっていなかった。

 それでも、手渡されたランタンの灯りと、目の前に広げられた動物の図鑑。

 その指し示す意味が「コレを読んで待っていろ」。であると理解した少女はコクリと頷いて返事を返した。






 服を脱いだマコトは、期待することなく風呂場の蛇口を捻る。



「まあ、出る訳ないわな。電気もガスも付かなかったし、インフラ関係は壊滅的ってことか」



 蛇口を捻っても水が出ないことは分かっていた。

 それでも風呂場を利用しようと考えたのは、この場所になら身体を洗うだけの水があることを知っていたからだ。



「いつか役に立つ。ってお袋は言ってたけど……まさか本当に訳に立つ日が来るなんてな」



 マコトが浴槽の蓋を開けると、そこにあったのは大量の水。

 言ってしまえば昨晩の残り湯なのだが、今のマコトにとっては充分にありがたく、非常に助かるものだった。

 

 

「他にも使い道があるんだとは思うんだが……

飲み水にするにはろ過する必要があるし、そもそも此処に長居するつもりもないからな。

少し勿体無い気もするけど、思い切って浸からせて貰うことにするか」



 マコトはひとしきり血脂を落とすと、浴槽に身体を沈める。

 そして、温くも冷たくもない中途半端な温度に心地良さを感じながら、目を閉じて今後の予定を整理し始めた。



「まずは準備だろ……数着の服と、飲み水と食料の確保。

親父が防災バックを常備している筈だから、それも拝借するか。

それに怪物……流石に素手で相手をする訳にもいかねぇし、武器になる物を揃える必要があるな……」



 マコトは独りごちる。



「親父とお袋の仇を討つ為にも、化け物についての情報収集は必要だよな。

つーかスズネは生きてる――いや、きっと生きてるよな?

なんとかスズネと合流したいけど、そうなると足が必要になるか……

でも足となると……親父の軽トラとかセダンじゃ、木の根が飛び出してるような道路は走れねぇよなぁ。

そうなると俺の250か? いや、一人暮らしを始めてから碌に火も入れてねぇからなぁ、バッテリーがあがっちまってるか……」



 マコトは、手のひらでお湯をすくうと顔を洗い、そのまま顔を覆った。



「つーか、本当に死んじまったんだよな……

なんでなんだろうな? 親父もお袋も、あんな殺され方をするような人生は歩んでねぇ筈だよ。

だって真面目だけが取り柄のしがないおっさんだぜ? 御朱印集めが趣味のそこらへんにいるおばちゃんだぜ?

本当、なんでだろうな……流石に理不尽が……理不尽が過ぎるだろうが……んぐっ、ぐふぅう」



 声を押し殺して涙を流すマコト。



「だけど……絶対、あの黒い豚の怪物は俺が殺してやるからな。

だから……向こうでゆっくり休んでてくれよ? なぁ、親父、お袋」



 そして、決意を新たにすると、浴槽から上がる。



「あれっ? あっ、やばいかも……」



 だが、浴槽から上がった瞬間、酷い立ちくらみがマコトを襲った。

 

 実際、マコトの精神も肉体もとっくに限界をむかえていた。

 しかし、限界であるからこそ精神と肉体のバランスを保つことができていた。

 要は、身体だけに休息が与えられたことによって、ギリギリで保っていた精神と肉体のバランスが崩れてしまったのだ。


 

「お、俺には、やらなきゃいけないことがあんだよ……」


 

 マコトの意志とは裏腹に、段々と力が抜けていく足腰。

 それでもマコトは、気力を振り絞って立ち上がろうとするのだが……

 


「勘弁……して、くれよ……」



 気力振り絞るも空しく、マコトは浴槽の外で意識を失うことになった。






「主殿、そんなところで寝ていては風邪を引いてしまうぞ?」



 マコトの耳に聞き慣れない声が届く。



「起きろー主殿! 儂はお腹がすいたのじゃ!」



 声が届いたことにより、マコトはぼんやりとした意識を徐々に覚醒させていく。



「俺は……寝てたのか……?」


「そうじゃよ? いつまで経っても戻って来ないから、こうして駆けつけてやったのじゃ! 褒めろ!」



 マコトは思う、誰だこの珍妙な喋り方をするヤツは?と。

 そして、徐々に意識を覚醒させていったマコトはうっすらと眼を開き――



「おはよう主殿! おやおや、主殿の主殿も揃ってお目覚めのようじゃのう?

かっかっ! 儂の主殿はまだまだ現役といことじゃな? こいつは重畳じゃ!」



 声の主が金髪碧眼の少女であることを知ると――



「どうやら頭を強く打っちまったみたいだな……は、ははっ」



 盛大に苦笑いを溢すのであった。

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