世界と異界の教典喰らい
クボタロウ
第一章 世界が終わった日
第1話 世界が終わった日
「年々暑くなってる気がするな……」
そう溢したのは小野屋マコト。
年は28歳で、中小企業に勤める平凡なサラリーマンだ。
「まま~こわいかおのおじちゃんがいる~」
「ちょっ!? す、すみませんうちの子が失礼なことを言ってしまって」
「ああ~……大丈夫っすよ。言われ慣れてるんで気にしないで下さい」
まあ、人相があまり宜しくないという特徴はあるのだが……平凡なサラリーマンであることに変わりはない。
「はぁ……にしても、この暑さどうにかならんかね?」
照り付ける太陽は腕をジリジリと焼き、アスファルトに陽炎を揺らめかせる。
茹だる様な暑さにマコトは思わずげんなりしてしまうが、貴重な昼休みを無駄にしてはいけないと考え、青信号に変わると同時に横断歩道を足早に渡った。
「あっちぃ……おっちゃん! 冷やしたぬきとコロッケ一つ!」
「よう、怖い顔のあんちゃん! 冷やしとコロッケだね!」
「……怖い顔は余計じゃね?」
「わりぃわりぃ! わかめ増量してやるから許してくれよ! な?」
「……ったく」
額に汗を浮かべながら、立ち食い蕎麦屋へと辿り着いたマコト。
店主と短い会話を交わすと、セルフサービスの水で渇いた喉を潤す。
「つーか、あんちゃんもすっかり常連だな? うちの味に惚れたか?」
「惚れてねぇよ。茹で置きとかする癖に何処からその自信が湧いてくんだ?」
実際のところ、マコトは特別蕎麦が好きという訳ではなかった。
忙しさのあまり昼食を逃すことも間々あるマコトにとっては、注文から提供までが早いというのは非常に魅力的なもので、その一点において、立ち食い蕎麦屋を多く利用しているだけであった。
そして本日も、立ち食い蕎麦屋の店主はマコトを裏切らない。
一分足らずの時間で、注文の品がマコトの前へと置かれることになる。
「……ずるっ、ずるるるっ」
マコトはスマートフォンを弄りながら蕎麦を啜る。
最新のニュースに目を通しながら、『前もコロッケだったか?』、『今度はごぼう天にすっかな?』。などと考えながら、美味いとも不味いともいえない昼食を腹に収めていった。
「さて、飯も食ったし午後からも頑張るかぁ」
頑張るとは口にしたものの、その声から覇気を感じることはできない。
仕事に対して特段やりがいを感じている訳でもなく、生活する為になんとなしに就いた職なのだからそれも当然だ。
とはいえ、だからといって雑な仕事をしている訳でもない。
事実、マコトがノルマをこなせなかった月はなく、その真面目な働きぶりから「新卒の育成は小野屋に」というのが定例となっている程だ。
ただ、仕事に対して情熱を傾けられないだけで、マコトとしては職場や同僚に不満がある訳でもなく、自分の置かれた状況におおよそ満足している訳なのだが――
「あっ、先輩発見! 先輩は今日も立ち食い蕎麦だったんですか?」
「ん、秋野か。別に俺が何を食っても良いだろうが」
そんなマコトにも、特別と呼べる相手が存在していた。
それは、入社以来面倒を見てきた秋野スズネ。
時に悩み、時に二人して頭を下げ、時に喜びを分かち合った職場の後輩だ。
「良くないですよ! 同じモノばかり食べてると栄養が偏りますよ!」
「そういうお前だって、碌な物食ってねぇだろうが?」
「食べてますよ! パスタとかガレットとか」
「まあ、パスタは兎も角、蕎麦とガレットなんて似たようなもんだろ?」
「へ?」
「知らないのか? 店にもよるとは思うが、ガレットの生地の大半は蕎麦粉だぞ?」
「う、うそだぁ~」
「嘘じゃねぇよ、ば~か」
「ああ! 馬鹿って言った!」
マコトは他愛もない会話に笑みを零す。
スズネと会話する時に感じる心の安らぎや温かさ。
これは恋愛感情であるとマコトは自覚していたのだが、変に律義なところがあるマコトは、社内恋愛禁止という社内ルールを遵守していた。
「それは兎も角、先輩は午後は何処を周るんですか?」
「午後は小野木商事との打ち合わせ――あっ」
「あっ? どうしたんですか?」
「いや、小野木商事なら実家から近いし、実家で飯を食えば良かったと思ってな」
「ああ~、小野木商事なら会社から近いですもんね。
っていうか、実家も同じ市内にあるのに、何で独り暮らしなんかしてるんですか?
それに……なんかケチくさいこと言ってません?」
「何でって、特に深い意味はねぇよ。
大学の時に独り暮らしを始めて、内定貰えたのが地元の会社だっただけの話だ。
そんで、気ままな独り暮らしを今の歳までズルズルとって感じだよ。
つーかケチくさくねぇだろ? 一食分浮けば、晩酌のビールが二本多く飲めるんだぞ?」
「晩酌って……家では良く飲まれるんですか?」
「まあ、嗜むくらいだけどな」
「へ~……じゃあ、今度お供させて下さいよ」
「へ?」
スズネの顔を見れば、僅かに頬が赤らんでいることが分かる。
つまりはそういうことで、その反応の意味を理解できないほどマコトは鈍感ではない。
「そ、そうか、それじゃあ今度皆で飲みに行くか? 良い店知ってるぜ?」
鈍感ではないのだが、上司であること、社内恋愛が禁止であること。
加えて、好きな女性の前では動じずに冷静でいたいという思いが、マコトの口からそのような言葉を引き出していた。
「そ、そう意味じゃ……分かってる癖に……」
そして、そんなマコトの言葉は悪手でしかなかった。
スズネは僅かに表情を歪ませ、目尻にうっすらと涙を溜めると――
「……先輩の馬鹿」
踵を返してマコトの元から離れて行った。
「馬鹿って……一体なんなんだよ……」
そう溢したマコトであったが、自分が悪いことを理解していた。
頬を赤らめて、勇気を振り絞って、スズネは一歩を踏み出したのだ。
それに対する答えにしては、マコトの言葉はあまりに軽薄が過ぎた。
「いや、今のは俺が悪い……そうだよ俺が悪かったよな」
それに気付いていたからこそ、自責すると共にスズネを追うことを決めるのだが……
ドォオン!
その瞬間、まるで地震の縦揺れを思わせる衝撃が襲う。
「じ、地震!?」
マコトはその衝撃に驚き、身を守るようにして身を屈める。
「ま、まじかよ……勘弁してくれよ……」
マコトは直に被災した経験はない。
それでも、被災地から程遠くない場所に住んでいたマコトは、給油する為に数時間ガソリンスタンドに並んだ経験があるし、商品が陳列されていないコンビニを目撃した経験がある。
それを引き起こした揺れが、それに近しい揺れが起きたことによりマコトは恐れを感じずにはいられなかった。
が、身を屈め、薄目を開いていたマコトの眼に予想しない光景が映る。
「な、なんだよこれ……」
薄目で覗いた先にあったのは、建物を割るようにして伸びて行く幾つもの樹木。
アスファルトを抉るようにして生まれた池からは、ちょろちょろと水が流れ、たゆたう陽炎を霧散させていく。
「は、はは……すげー綺麗だな……」
マコトは思わず驚嘆とも感嘆とも取れる声を漏らす。
その目に映っていたのは、人類が積み上げた文化を飲み込んでしまうような自然。
まるで人類が滅亡してから数百年が経過したら広がる様な神秘的な光景に、自然とマコトの口からそのような言葉がこぼれていた。
「俺は夢を見てんのか?」
実際、夢で終われたらどんなに良かったのだろう。
だが、マコトの理解を――その範疇を超える現象に襲われることになる。
「地面が光ってる……?」
地面に光る幾つもの円形の光。
アニメや漫画の知識があれば、それが魔法陣であると理解することができたのかもしれない。
しかし、マコトにはそういった予備知識が無く、ただただその光を見つめることしかできなかった。
いや、例え予備知識があったとして、どのような行動に移せば良いのか、マコトを含めて誰も正解を出すことが適わなったに違いない。
そして、正解が出せなかったことはマコトの失敗であり、延いては人々の失敗でもあったのだろう。
「ごあぁあぁあああああああ!」
人々は異形達の侵略を受けることになる。
魔法陣の光と共に現れたのは、人の身体に豚の顔を持つ異形。
「げぎゃあぁああ! ぎゃっ! ぎゃっ!」
続いて現れたのは緑色の肌を持つ、餓鬼を思わせる異形だった。
「は? なにこれ?」
マコトは呆けた声を漏らす。
そんなマコトの目に映ったのは惨劇だった。
「やめろぉお! 痛い痛い痛いってッ!!」
「ショウちゃん!? ショウちゃん助け――入んない! そんなの入んないってばッ! ひぎぃっ!?」
「パパ! ママ――ぷぎゅ」
惨劇どころではない……地獄だった。
異形達は、姿を現すと共に目に付く老人を潰し、女を犯し、子供の頭を割った。
「な……なにこれ?」
マコトは思わず苦笑いを浮かべる。
あまりにも現実離れした光景と惨状に、マコトの理解が追いつかなかったからだ。
が、それも時間にして数秒のことだった。
「秋野ッ! 親父ッ! お袋ッ!!」
震える足を抑えながらマコトは駆ける。
気まずい形で別れてしまった後輩と、近くに住む両親のことを想い。
「なっ!? 何でこんなところに木が生えてんだよ!?」
しかし、マコトは会社へと続く道路を巨大な樹木が遮っていることを知る。
「ざけんなッ! これじゃあ秋野がッ!」
まずは先程別れたスズネとの合流、その後、両親と合流という計画を立てていたというのに、いきなり躓かされるマコト。
「だったら――」
この道を通らなくても実家に帰ることは可能だ。
そう考えたマコトは、スズネと合流するよりも先に、両親と合流することを決める。
だが……下手に駆けつけることができるという距離は幸運だったのか?
それとも不運だったのか?
「――マコトッ!! お前だけは逃げろッ!!」
「マコちゃん! お母さん達に構わないで早く逃げてッ!!」
両親が、黒い肌をした豚の顔を持つ異形と対峙している場面に間に合ってしまう。
「逃げられるかよッ!! 逃げられる訳がねぇだろうがッ!!」
マコトの実家は農家だ。
広い庭には、母屋の他に離れがある事を知っており、離れには農機具があることを知っている。
マコトは離れへと駆けみ、その手に鋤を取ると――
「親父とお袋から離れろぉおおおおおおッ!!」
裂帛の気合と共に、異形へと向けて鋤を振り下ろす。
「なッ……無傷? ――がはっ!?」
だが、異形の肌に傷を付けるどころか、払いのけるようにして振るわれた拳によって、身体を宙に浮かすことになった。
『折れた!?』
『左腕が!?』
『いてぇ!?』
『殺すッ!!』
マコトは痛みのあまり、単語での思考を繰り返す。
それと同時に、両親を襲おうとし、痛みを与えた異形に対して殺意を抱く。
だが。
「――ハッ。カハッ……」
塀に打ちつけられ、大きく息を漏らしたマコトの意識は、思いに反して薄れていく。
「親父ぃ……おふぐろぉ……」
徐々に閉じていくマコトの眼からは、自然と涙が零れていた。
マコトは本能的に察していたのだろう。
これが両親との今生の別れになると。
現にマコトの眼には……
「よくもマコトをッ!! けひゅ!?」
「まこちゃんに何するのよッ!? ひぎゅ!?」
頭を潰され、胴をネジ切られる両親の姿が映っていた。
「カハッ! ゲホッ!」
少量の喀血と共にマコトは意識を取り戻す。
「親父……お袋?」
数時間は意識を失っていたのだろう。
いつの間にか夜の帳は下りており、インフラが断たれている所為で周囲は暗闇に包まれていた。
「親父? お袋? 何処に居るんだよ?」
マコトは体中に激痛を覚えながらも、スマートフォンの照明アプリを頼りに両親の姿を探す。
「何処に居るんだよッ!? 親父ぃッ!! お袋おッ!!」
マコトが悲痛な叫び声をあげたその時だった。
ぐにゅりとした感触を足裏に感じることになる。
「なんだよこれ……」
足元を照らせば、ライトを反射してテラテラと光る肉片のようなものが落ちていることが分かる。
「ああ、死んでるかも」
それは諦めから出た言葉ではない。
ライトで照らした先にあったのは、食い掛けのスペアリブのようなモノと、散らばった肉が付着した頭髪。
その現状を理解して尚、諦めたくないから「かも」という言葉をマコトは使ったのだ。
しかし、それも僅かな時間で、嫌でも現実を思い知らされる。
散らばった肉片から覗いたのは、昔流行った頃に、父親に送ったミサンガだった。
「ははっ……親父ぃ……小学生の頃に送ったヤツだろ?
まだ着けてたのかよ? 物持ちが良いにもほどがあるだろ」
肉片から覗いたのはガラケーと、赤べこのストラップだった。
「お袋ぉ……首がべこべこ動くから赤べこじゃねぇよ。
べこって言うのは、牛のこどぉいうんだよぉ……」
マコトの眼からとめどなく涙が零れる。
恥も外聞も関係ない、マコトは喉を鳴らすことを止められなかった。
「今埋めてやるからな……」
マコトは離れからスコップを取り出すと、庭の一角に穴を掘り始める。
周囲からはサイレンの音が聞こえ、時折悲鳴も聞こえたが、一心に穴を掘り続けた。
「大した親孝行出来なかったな」
マコトは肉片を素手でかき集めると、掘った穴にそっと置いていく。
正直、肉片を素手で掻き集めるという行為は常軌を逸しており、マコトは何度も吐き気を覚えていた。
それでも吐かなかったのは、ここで吐いたら両親が可哀想だと思ったからだ。
両親だって息子にこんなことをさせたくはなかった筈だ。
それを理解しているからこそ、マコトは吐くことも無く、丁寧に丁寧に埋葬を終えた。
マコトは、こびり付いた血脂を落とそうとする。
しかし、外付けの水道は、蛇口を捻っても数滴の水しか落とさない。
マコトは仕方なく雨水のたまった水瓶で血を落とそうとするが、それでは落としきることができず、家庭用洗剤を使用して血脂を落とすことになった。
「この世界はどうなっちまったんだよ……」
マコトは縁側に座り、父親が吸っていたタールの強い煙草に火をつける。
「ふぅー……ううぅううっ」
煙が目に染みた所為だ。
マコトはそう言い訳をすると、もう一度瞳を潤ませた。
マコトの目に映るのは、煙と涙でぼやけた景色。
その景色の向こうで、誰かが声を掛けた。
『ナンデ、ナイテル?』
それは声では無く、直接脳を揺さぶられるような感覚をもって言葉として響いた。
「なんで? 怪物に両親が殺されたんだッ!! 泣いちゃいけないのか!?」
現実離れした光景の連続に、感覚が麻痺してしまっていたのだろう。
マコトは怪しげな質問に対して、声を荒げて返答を返してしまう。
『オマエノコトバワカラナイ……デモ、オコッテルノワカル』
「何なんだよコレ!? 気持ちわりぃ声を出すなよッ!!」
マコトがそう考えるのは当然だ。
この会話は一種のテレパスであり、言語の通じない煙の向こう側の人物が、記憶や感情を繋ぎ合せて言語に近いものへと変換していた。
そもそも、言葉としての情報量が違うし、マコトが不快に感じるのも仕方がないことだ。
それでも、涙で滲んだ先の人物は意志の疎通を図る。
『ドウシタイ?』
「どうしたい? ……だって?」
その言葉にマコトは言葉を詰まらせる。
「俺は……殺したいッ! あの黒い怪物をッ!!
両親を殺したあの黒い豚の怪物を!!」
だが、言葉を詰まらせたのも一瞬で、自分の胸の内をさらけ出していた。
実際、マコトの言葉を声の主は理解していなかった。
だが、言葉が通じなくても怒っていることくらいは理解できる。
加えて、その切ない表情から、僅かばかりではあるが怒り以外の感情が含まれていることを理解していた。
だからだろう。
『ソレダケカ?』
そのような短い言葉で――
「秋野を……生きているならスズネを助けたい……嫌な別れ方をしちまったから」
マコトのもう一つの本心を引き出しだ。
声の主は、やはり言葉の意味を理解できなかったが、くつくつと笑う。
先程まで、世界を恨み殺しそうな表情をしていたというのに、途端に優しい表情をマコトが浮かべたからだ。
ゆえに声の主は思う。
人間というものはやはり面白いと。
ゆえに声の主は思う。
脆弱な人間に力を貸してやろうと。
『チカラガホシイカ?』
「欲しいに決まってる……俺に力があれば親父とお袋を助けることができた、だから――」
『コトバハワカラナクテモ、オマエノオモイハツタワッタ、ダカラ――』
瞬間、マコトの唇は、柔らかくしっとりとした感触に塞がれる。
『ケイヤクセイリツダ。ヨロシクナアルジヨ』
「け、契約?」
呆けるマコトの目に映ったのは、金髪碧眼の十代半ばの美少女。
その少女は、ぺろりと唇を舐めると、歳に相応しくない妖艶な笑みを浮かべるのだった。
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