第35話 黒咲葉菜「わたくしのお仕事見学」①

 緑埜さんにお目にかかるのは、何日振りでしょうか。


 嬉しさのあまり、涙が溢れそうです。




 緑埜さんはわたくしを見て、至極しごく驚いたご様子でした。


 鼻孔と眼球が膨れていらっしゃいます。


 これぞ緑埜さんです。




「葉菜さん……、なんでここに?」




 その様に思われるのも無理はありません。


 昨日の夜、基地アジトの地下7階で、灰原さんはおっしゃいました。




「緑埜航平の勤務先は……、国防省の総務三課です」




 わたくしは運命を感じずにはいられませんでした。


 翌日、つまりは今日、職場体験先の幼稚園で行く、園児のお仕事見学が国防省なのですから。




 ですが、灰原さんに緑埜さんの職場をご教示いただいたということを、緑埜さんに伝えるわけには参りません。


 緑埜さんの調査をお願いしたのですから。


 その旨をお伝えすれば、緑埜さんはわたくしに嫌悪感を抱いてしまうかもしれません。




「わたくし二日前から、こちらの幼稚園に職場体験として伺っているのです」


「そ、そうなんですか。職場体験先でお仕事見学って、なんかややこしいっすね」




「黒咲さん、お知り合いなの?」


「緑埜くん、知り合い?」




 お二人の声が重なりました。




 わたくしにお尋ねになったのは、幼稚園教諭の須藤すどう先生です。


 そして、緑埜さんにお尋ねになったのは、以前、お食事処でお見かけした……、お名前は確か、ヒロトさんです。




(※ 葉菜の勘違いです [第23話参照])




 緑埜さんの同僚の方だったとは驚きです。


 そうなると、あのときのファレさんは、やっぱり緑埜さんのことだったのではないでしょうか。




「はい、以前キャバクラで」




 わたくしが須藤先生に返事をすると、緑埜さん、ヒロトさん、須藤先生のお三方は同時に噴き出しました。


 笑ったのではありません。驚いたのです。




「キャ、キャバクラ!!?」




 須藤先生に訊き返された瞬間、わたくしは焦慮しょうりょしました。


 立派なお仕事ではありますが、幼稚園児たちの前で申し上げる言葉ではありません。




「センセー、キャバクラってなに?」「ねえ、教えて!」




 実際、園児たちは興味津々です。


 そしてヒロトさんも、そのお話にご興味をお持ちのようです。




「緑埜くん、キャバクラとか行くんだね。あれ? ってことは、彼女はキャバ嬢さん?」


「ちゃ、ちゃいますよ! 彼女は『鎌倉』って言うたんですわ。言い間違いですわ」




 す、素晴らしい!


 緑埜さんは、瞬時に誤魔化してくださいました。


 この一瞬で、『キャバクラ』と『鎌倉』が言葉として酷似していることに、いったい幾人の方が気付くでしょう!


 コートジボワールの村、『カバクマ』は思いつきましたが、そのような場所で偶然出会うことはあり得ません。




 そこで、偶然出会う可能性がある日本の地名、『鎌倉』を思いつくなんて、流石は緑埜さんです!




「失礼いたしました。少々活舌かつぜつなんがございまして」




 わたくしは頭を下げ、緑埜さんの雷同らいどう付和ふわいたしました。


 顔を上げて緑埜さんに目を向けると、ドキッといたしました。


 緑埜さんがわたくしの顔を凝視なさっているのです。




「それ、どないしはったんですか?」




 緑埜さんは、ご自身の頬を指さしながらおっしゃいました。


 きっと、戦闘の際に緑の拳士グリーンさんに傷付けられた、頬のことをおっしゃっているのでしょう。


 絆創膏は付けずとも、化粧で隠せると考えたのですが、やはり目立つようです。




 緑埜さんのお言葉に対し、園児の中で大将的地位を確立している源太郎げんたろうくんが言いました。




「葉菜せんせーのキズ、男にやられたんだぜ」


「オトコニ ……ラレタ? キズモノ?」




 緑埜さんは脳内で何か異なる意味に変換されているかのように、言葉をお発しになりました。




「女の子にケガをさせるやなんて、同じ男として許されへん!!」




 なんとお優しいのでしょう。


 同じ男性でも、緑の拳士グリーンさんとは大違いです。


 そこで再度、源太郎くんが、驚愕すべきことをわたくしに言いました。




「ねーねー、コイツ、葉菜せんせーの彼氏か?」




 なんと不躾ぶしつけな!


 緑埜さんに対して『コイツ』などと!




「ち、違いますよっ! 緑埜さんに謝罪してください!」




 子ども相手とは言え、間違った言葉遣いを放置しておくわけには参りません。




「お、おう。ご、ごめんな、兄ちゃん」


「か、かまへん、かまへん。気にせんでええで」




 緑埜さんの言い方は、少し動揺していらっしゃるように聞こえました。


 やはり、子どもに「コイツ」呼ばわりされて、お気になさっているのでしょう。




 すると、緑埜さんはヒロトさんに何かをおっしゃいました。




「うん、いいよ」




 ヒロトさんがお答えになりました。




「大丈夫なんですよね?」


「心配ないって!」


「葉菜さん、良かったらコレ、使ってください」




 緑埜さんの手のひらに載った箱を見て、わたくしは驚愕しました。


 実物を見たのは初めてです。




「よ、よろしいのですか?」


「どうぞ、どうぞ」




 わたくしは有難く頂戴いたしました。




 これもきっと、女子力の高いきの子さんからいただいたものなのでしょう。


 ああ、羨ましい。


 わたくしも、きの子さんのように、気配りのできる女性になりたい。




(※ 葉菜の勘違いです [15話参照])




 きの子さんを思い出したことで、こちらの件も思い出しました。




「緑埜さん、遅くなりましたがこちら、お返しいたします」




 危うく失念するところでしたが、わたくしは緑埜さんに紙袋を渡しました。




「あ、コレ、こないだのスーツの下ですやん!」




 緑埜さんはそうおっしゃい、紙袋から『スーツの下』を取り出しまた。


 スラックスでも、スーツパンツでもなく、『スーツの下』という表現に愛らしさを感じます。




「え? マジで? 破れてたとこ、全然わからへん!」




 きの子さんと、ミラノクチートのおかげです。




「めっちゃ、ありがとう!」


「いえ、感謝するのはわたくしの方です。助けていただいたわけですから」


「いやいや、そんなこと」


「きの子さんにも感謝の意をお伝えください」


「? 伝えるも何も……、伝わってると思いますよ? ねえ?」




 緑埜さんがそうおっしゃると、隣のヒロトさんが「うん」と、お答えになりました。




「!!」




 そこで、やっと気付きました!


 わたくしは、とんでもない思い違いをしていたようです!




 きの子さんというのは……、女子力が高いだけでなく、遠くに居ながらも他者の気持ちを読み取ることができる、千里眼せんりがん、いや、千里脳せんりのうとでもいうのでしょうか、そのような能力まで兼ね備えているのです!




 他人ひとの気持ちが手に取るように、それが離れていても把握できるわけですから、当然、女子力も高いはずです。




 ああ、叶うならば、一度、ご尊顔を拝したいものです。

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