第23話 黒咲葉菜「嘆息と号泣」

 配達の仕事を……、……晴子……顔を……、青柳……見下ろした。


 ……チョコ」と……、「前から……だよ」……こと?」






 はあ……


 まったく頭に入ってきてくれません。


 わたくしの目には映っているのですが、文字がつるつると滑ってしまいます。




「申し訳ございません」




 わたくしは頭を下げて筆者に謝罪し、文庫本をリビングのテーブルに置きました。


 折角せっかく買ったメロンパンも喉を通りませんし、大好きなアセロラドリンクも、あまり味を感じません。




「葉菜チャン、大丈夫でスワン」




 大丈夫ですか。大丈夫ですよ。


 あひるの言葉は、どちらともつきかねます。


 わたくしは膝を立てて絨毯じゅうたんに座り、抱きしめたあひるに顔をうずめました。




「ヴギィ~~~でスワン!!」




 これは、あひるの苦しむ声です。




「ヴ~~~~」




 これは、わたくしのうなり声です。




 如何様いかようにすれば緑埜さんにお会いできるのでしょう。




 戦闘の後、老舗の和菓子喫茶店『雅庵みやびあん』に戻ってみました。


 ですが、緑埜さんは既にお帰りになったあとでした。




 緑埜さんの行きつけのお食事処、『小江戸屋』も探し当てました。


 そちらでは、好機とも思える二点の出来事がございました。




 緑埜さんの先輩で、女子力の高い「きの子さん」。


 彼女の名前を呼ぶ、赤い髪の男性をお見かけしたのですが、店内に女性の姿はありませんでした。




 その後、「緑埜さんが『小江戸屋』の前をお通りになった」、そう推測できる発言を赤い髪の男性がなさったので、すぐに走って追いかけました。


 しかし、緑埜さんの姿はなく、出会ったのは金髪の外国人男性だけでした。




 詰まる所、赤い髪の男性がお呼びになったのは「きの子さん」ではなく、「ヒロトさん」。


 わたくしの聞き損じでございます。


 きっと、あの、ドレッドヘアの大柄の男性が「ヒロトさん」なのでしょう。


 更には、(お伺いしたわけではございませんが)「ファーレーさん」とは外国人男性のお名前であったというわけでございます。






 わかっております。


 緑埜さんとお別れしてから、まだ……5時間ほどしか経っていません。




「ハァ……」




 既に、何度目の嘆息でしょうか。




「確かに、落ち込む気持ちはわかりますよお」




 あひるが心配してくれているようですが、




「あなたにわかるはずがありません」


「わかりますってえ! わたしは部下ですよお!」


「……フゴ」


「あなたは部下ではありません。どちらかと言えばペットでございます」


「ペッ……、まあ、それはそれで嬉しいですけどお」


「……フゴフゴ」




 今更、何を……




「……フゴゴ」




 ――? おやおや?


 あひるの話す言葉の語尾に、「スワン」が付いておりません。


 わたくしは顔を上げました。




「は、灰原さん!!」




 わたくしがそう言うと同時に、「ぷはぁ! でスワン」と、あひるが言いました。


 きっと、息ができずに苦しかったのでしょう。


 そもそも、息をしているのかも存じませんが。




 そして、先ほどから会話の相手をなさっていたのは、わたくしの部下である灰原はいばらめぐみさんでした。


 部下とは言え、年齢はわたくしの2歳上、23歳です。




 いつからいらっしゃったのでしょう。


 玄関から入って来たのでしょうか。それとも、地下から上がってきたのでしょうか。


 気が滅入めいっていたせいか、まったく気づきませんでした。




「ですがあ、わたしだって、葉菜様の悔しい気持ちはわかってるつもりですけどねえ」




 彼女は座って片肘をつき、うずまきキャンディーを舐めながら、銀色とも灰色ともつかない髪を揺らしておっしゃいました。




「ご、ご存知なのですか!?」


「そりゃそうですよお。ずっとモニターで観てましたもん……、あ! このメロンパンに付いてるシール、貰ってもいいですかあ? コレ、集めてるんですよお。25点集めたら、エコバッグが貰えるんですう! 今、まだ11点しかなんですけどねえ……けど、絶対、エコバッグは手に入れたいんですよお……」


「あひるもネットで見たでスワン! とっても可愛いバッグでスワン!」


「だろー」




 なんということでしょう!


 わたくしが緑埜さんをお探しする様子を、見ていらっしゃったなんて!




 彼女は【漆黒の亡霊ブラックファントム】の優秀な諜報員でございます。


 きっと、超小型偵察機「黒い魂プチソウル」を、わたくしの周りに飛ばしていたのでしょう。


 しかし……




「いくらわたくしの身を憂慮した結果の行為とは言え、断りもなしに、わたくしの周りに黒い魂プチソウルを飛ばすなど、容認できることではございません!」




「う……、そ、そんなことしてませんよお!」




 灰原さんは、目に涙を浮かべておっしゃいました。


 語気が強くなってしまったのかもしれません。




「あーあ、泣かせちゃったでスワン!」


「だってえ、普通にテレビでもやってるじゃないですかあー」




 ……え!?




「わたくしが緑埜さんをお探しする様子が? テレビで放送?? でございますか? YouTubeならまだしも、地上波でございますか!?」




「ミドノサン?? そんな妖魔獣、知りませんよお!」


「み、緑埜さんは、妖魔獣ではございません! なかば強制的に共通点を申し上げるとすれば、お強いところと、緊張なさった際のお顔のご造作ぞうさくらいのものです!!」




「葉菜チャン! そんなに強く言ったらまた……スワン」


「うわあああぁぁぁぁーーーーん!!」


「あ……」


「ほら……、でスワン」




「ですが……、ですが……、泣きたいのはわたくしも同じでございます!!」




 わたくしが緑埜さんを探し求めるご様子が、地上波で放送されたのですから。




「わあぁーーん!! まさかこんな形で『情熱大陸』デビューを果たすとは!」


「葉菜様、『情熱大陸』に出演したのですかあ!? うわあああぁぁぁぁーーーーん! 見逃したああああぁぁぁぁーーーー!」




 間に挟まれたあひるが戸惑う中、わたくしたちは泣き続けました。




 30分間泣き続けた後、お互いの勘違いであったことが判明いたしました。


 どうやら灰原さんは、妖魔獣「ゼラチンマン」がボウエイジャーに倒されたことで、わたくしが落ち込んでいると思っていたようです。




 ですが、先に泣かせてしまったのはわたくしです。


 わたくしは灰原さんに、丁寧に謝罪しました。


 しかし、許してはいただけませんでした。




 彼女に『ヤマザキ春のパンまつり』のシールを差し上げるまでは。

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